リンカーンの有名なスピーチに、ゲティスバーグの演説というのがある。
これは、1863年11月19日、ペンシルベニア州ゲティスバーグにある国立戦没者墓地の奉献式におけるたった2分間の演説である。
この演説は米国において、独立宣言、合衆国憲法とならぶアメリカ史に特別な位置を占めるスピーチとなったが、実は、ダグラス・マッカーサーによって日本国憲法の前文の一部となった。
有名な “government of the people, by the people, for the people”という一節である。これをマッカーサーは以下のように展開した。

Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.(GHQによる憲法草案前文)

ちなみに、日本国憲法ではこれを以下のように表現している。

“そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。”

この雑文は憲法研究の論文ではないので上記は余計であるが、システム開発の現場では、“of the customer, by the customer, for the customer” が設計の大原則であることをみなさんはご存じだろうか?
システム、特にアプリケーションの設計においては“あっち側とこっち側”という概念がある。あっち側とは、客側に立った立場である。こっち側とは、自分側に立った立場である。

長年職業プログラマをしていると直接客と接する機会が少ない。収益や利益や売上を意識する場面が少ないこともあり、意識の「重心」がいつの間にか、あっち側(客側)からこっち側(自分側)に移っていることが多いのだが、その悲劇は、当人がそのことにまったく気づいていない点にある。
例えば、こっち側しか考えられない人にプレゼンをさせると(商品の説明やデモ、等)、自分の知っている(常識だと思っている)ことは一切話さない。そして、相手が眠かろうが離席しようがどういう反応であろうが、まったく無視するという珍現象が起きる。
そんなことはありえないと思うかもしれないが、現実にそういう事件は現場で起きているのである。
そもそも、なぜプレゼンテーションをおこなっているかを考えればそんなことはありえないのだが、このような事件が起きてしまうのである。
なぜかといえば、当人の気持ちの重心が100%こっち側(自分側)にあるからである。
すなわち、自分による自分のためのプレゼンをしているからである。客のことなど一切関係ないのだ。このことに当人は気づいていない。長年プログラムばかり組んでいて偏った仕事をしていると“こっち側”しか考えられない人間になってしまう。
究極の自己中心人間である。

こっち側しか考えない人間に設計の仕事をまかせると、時々変な変更(データベースや仕様)を何の相談もドキュメントもなく加えたりする。
「なぜこういう変更をかけたのか?」と質問すると、「この方がいいと思って」という答えが返ってくる。「何がいいのか?」と5つのなぜを繰り返すと、実は、“自分にとって”という前置詞が省略されていることに気付く。
こっち側のことしか考えられない人間は唯我独尊である。
また、あっち側(客側)のことを一切考慮しないので、自分の立てた仮説通りにしか物事は進まないと思い込んでいる。そうすると、1つだけ作った前提条件が崩れるとすべての仕事が崩壊するような事故を起こすのである。
“そんなことはありえないと思ってました”と当人は言い訳するが、こっち側のことしか考えない人間のif文には常にelseもelse ifも存在しない。自分が世界の中心だから自分の想定したこと以外のことが起こるとはまったく考えないのだ。
こういう人間に提案書を書かせると、詳しく説明しないと誰も理解できないような、自分にしか分からない複雑な提案書を書く。すなわち、自分による自分のための提案である。

この近視眼的な偏狭さが生まれる原因は、客の言うままに長年プログラムを作っていたにもかかわらず(すなわち、頭脳をまったく使っていない)、お金のことも客のことも一切考えない単純作業(プログラミング)に没頭していたため、すべての思考が、of myself, by myself, for myselfになってしまったためである。
これはIT業界には多い現象で、職業プログラマと呼ばれる人々にこの傾向が多いようである。
インフラの得意なSEはアプリケーションのノウハウがないので、まったくピンとこないようであるが、良いアプリケーション、分かりやすいアプリケーション、使いやすいアプリケーションは常に、“of the customer, by the customer, for the customer”という思想のもとに生まれるものなのである。
我々はこのことを常に肝に銘じなければならないのである。
だが、こっち側しか理解していない人間にとっては、こっち側の論理(すなわち、自分の立場に立った理論)が世界のすべてなので、その中に眈溺している限りはすべて正しくすべてに矛盾がないのだ。まったくもってすべてが完全なのだ。それ以外の可能性は1%もない。
そういう人を数人懐柔しなければならないのが筆者の設計者としての仕事である。
道のりはその当人の人生観まで立ち入らないと完成しない。
そこには自分が間違っているということを本人に気付かせる難しさがある。
設計の道は険しい。