【第118回】恐怖の3段ロケット女

秋葉原連続殺人事件の顛末を見ていて気になる言葉があった。
犯人は自分の優等生時代を下記のように述懐している。
「親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理矢理勉強させられてたから勉強は完璧」

その後、気になる一文が下記である。
「中学生になった頃には親の力が足りなくなって捨てられた」

これを読んで筆者は思い当たる節が多いにあり、「あー、こりゃ3段ロケット女だ」と思ったのである。
3段ロケット女とは過保護の一症状で、これと同じ症状の米国版がデスパレートな妻たちに登場する、マーシア・クロス扮するブリー役(マーサ・スチュワートばりに完璧に家事をこなす役)がタイプとしては似ているかもしれない。
3段ロケット女は向上心のかたまりである。プライドも高いし、人一倍見栄っ張りである。自分の子供を世間に自慢したいのである。そのために何でもしてあげようと努力する。だが、本人の実力はそこそこである(むしろ足りない)。
筆者が知っている3段ロケット女は、「小学校までだったら私は完璧に教えられる」と豪語して、それこそ毎日の宿題からテストの答え合わせから文房具の補給から靴下の組み合わせまで、何から何まで手取り足取りすべてを面倒見て、もてるすべての労力を注ぎ込んで子供を教育する。
そうやって1段目のロケットに点火すれば後は2段目、3段目のロケットを順調に点火して大気圏を脱出できると信じている。
筆者はその様子をみて、「で、彼が中学にあがったらどうするの?」と聞いたら、その3段ロケット女は、「小学校であれだけ勉強教えたんだからあとは自分で伸びてくれるはず」と確信していたのである。
案の定、小学校で完全に好奇心や自立心を奪われて母親の言いなりに羊のように育てられたその少年は中学に入ると指導してくれる母親がリタイアしたのでみるみるうちに成績が落ちていったのである。
当人は、もともと自立心を殆ど奪われて依存心も強いので自分で2段目ロケットを点火して宇宙に旅立つ力も気持ちもない。
3段ロケット女は、塾に通わせたり当人を叱咤激励したり、旦那をたきつけたりして何とか2段目のロケットに点火しようとするが、もともと1段目のロケットは自分が点火して勝手に燃焼させていたので、子供ロケットははじめから点火していなかったのである。
子供は、母親が勉強しろと言うから付き合っていただけで、自分の意思で勉強していたわけでもなく、子供に当事者意識は全くない。また能力も身についていない。
かくして子供ロケットは自力で航行する能力を持たないで失速したのであった。

よく言う世話焼き女房の過激(過保護)バージョンである。3段ロケット女は実は依頼心が非常に強く、自分でできないことを平気で他人に要求するのである。
この傾向は旦那にも向けられて、自分はまともに仕事に就いたこともないし、専業主婦で働く気もないのに、旦那の出世が遅いとか給料が安いとか良い家に住みたいとか、自分の思うとおりにならないことを旦那にぶつけるのである。
そして自分は自分にできることだけ一生懸命やって、できないこと(例えばこの場合は中学校の勉強とか高校の勉強とか大学の学問)にはまるっきりチャレンジしない怠け者なのである。
ただ、できる範囲はとても熱心にやるものだから一般的には怠け者には見えないというところも子供にとっては不幸なことである。
世に言う教育ママの典型である。

筆者は子供を育てるときに家人に「むやみやたらに勉強しろと言ってはならない。子供に強制した内容は当然自分でも勉強せよ。自分でやれないことを子供に強要してはならない」と、ただ口先ばかりで勉強しろと促す行為を禁止した。
その結果、中学1年の息子の成績は1と2の山で5段階評価であるにもかかわらず、3以上の科目が1つもないような惨憺たる状態であった。
ここで面白いのは、彼はその史上最低の成績でも一向に劣等感を抱くことなく不登校にも引きこもりにもならず、「お前、そんな成績でよく学校に行く気になるな」と筆者がからかっても、「僕は全然平気」と馬耳東風であった。小学校で塾にも通わず全く勉強させなかったのでこの成績は仕方がなかったと言える。
その後彼は高校受験に失敗して私立の高校にやっと引っかかって、浪人して何とか大学に入ることができている。小学校から猛勉強しなくとも帳尻は十分に合うのである。もともと遺伝的に見ても筆者より優秀になることはないので、東大・京大に入るような学力は求めていないのでそんなに勉強する必要もない。

3段ロケット女が何故出現するかといえば、幸福を先送りしたからである。彼女は幸福を先送りすることができると信じきっているのである。
幸福の先送りとは下記のようなアルゴリズムでできている。

小学校でいい成績を取る目的は有名中学に入学するためである。有名中学に入っていい成績を取って有名高校(秋葉原事件の場合は青森高校)に進学するためである。
有名高校でいい成績を取れば一流大学に進学できる。一流大学を卒業すれば高級官僚や商社マンになれる。そうすれば一生安泰でエリートとしての人生が約束される。
3段ロケット女は一応このようなアルゴリズムを持っていて、エリートになる遥か十数年前から子供に苦しい思いをさせて勉強させ、20年後のエリート人生を実現するために今の辛苦をじっと耐えるのである。
これが幸福の先送りである。

ところが、この論理のどこかの過程で予定が狂うと(秋葉原事件の場合は北海道大学に進学できなかった)、先送りした幸福はどこかに消え、無駄な苦労だけが累々と残るのである。全ては“幸福”を先送りできると浅はかにも思い込んだ3段ロケット女のあさましさから出発しているのである。先送れなかった子供の人生は真っ暗になるわけである。

そもそも自分にできないことを子供に強要することが間違いであるという根本が理解できていないのである。
大学で無理矢理優秀な成績を収めさせたければ自分も同じレベルの学問を学んで導けと筆者は言いたい。そのくらい学問に情熱があれば、羊のように自主性のない無気力な子供でも博士とかMBAになれると思う。そのくらいの覚悟がないといけないし、学問は出世の手段ではないので、歴史にしても数学にしてもその意義を正しく伝え、一生の礎として使えるように正しく指導しなくてはならない。そこの根本を無知蒙昧な3段ロケット女は判っていない。多分学問に興味のない旦那も判っていないかもしれない。

学問は甘美なものなのである。
筆者はどういう分野であれ、それだけに浸って生きれたらどれだけ幸福であろうかと思う。学問は就職や出世の手段ではない。その根本的なことを理解していない人々が実に多すぎると筆者は思うのだ。

幸福は先送りできない。
未来は全く判らない。明日死ぬかもしれないし、行きたい大学も、行きたい会社も10年後には存在しないかもしれない。幸福を先送りすることは無意味な行為なのだ。
一応目的を達成して高級官僚や商社マンになっても、そののち不始末でクビになったり、仕事に行き詰って自殺してしまうことだってある(筆者の友人は出世街道を驀進しておりましたが、昨年突然のガンで3ヶ月で他界してしまいました)。実に就職するまでの20年間の二倍の40年を自分の推進力で乗り切らなければならない。これだけでも自立心や心の強さを養うことがいかに重要であるかは自明である。3段ロケット女は社会で活躍したことがないので(若い頃に専業主婦になった人が多い。筆者の世代の女性はみんな25歳前後で専業主婦になりました)、社会人として、はたまたビジネスマンとして、はたまた企業人としてどういう素養が必要なのか全くわからないのである。
そこで自分の理解できる範囲の勉強とか一流大学とかのイメージを幸福の実体と妄信して子供に強要するわけである。この手の現象は日本中いたるところで発生している。
先送りした幸福自体が現実味に乏しいのである。これに付き合わされた子供はたまったものではない。

命は有限である。未来はわからない。平均寿命は統計であって、だれもが80まで生きられるわけではない。
それ故、“今を切に生きる”ことが大事なのである。
10年後の満足よりも今の瞬間の幸福や充実が重要なのである(これは場当たり主義ではありません)。

まずは自分自身で自分自身を幸福にできることが根本である。
自分自身で実現できないことを他人に求めてはいけない。
たとえ配偶者でも子供でも自分にできないことを強要したり要求したりしてはいけないと思うのである。

あるとき仏教学者の鈴木大拙が外国人から質問された。
“釈迦の最後の説法は何か?”
大拙曰く、“依頼心を捨てよということだ”
最後の旅に随行したアーナンダが“あなたがいなくなったら私はどう生きていけばいいのですか?”と問うたのに対して、釈迦は“自らの教えで自らを照らせ”自灯明と諭したのである。
それを大拙は“依頼心を捨てよということだ”と解説したのである。

1段目から自分で点火(自灯明)せよということである。
そういう自立心を育てることが重要だったのかもしれない。

テルアビブ以来の日本人による無差別殺人が起きたが、その背景はあまりに脆弱である。