【第88回】禅とSE

禅は外国人にも日本人にも神秘的に見える宗教である。
“悟りを開く”という境地に何か超自然的な偉大さを感じてしまうからである。
筆者は若い頃から禅に関する本が大好きで、大森曹玄、秋月龍珉、古田紹欽の本や、碧眼録、無門関やらを読みあさっていたのだが、その中でも一番愛読したのが鈴木大拙の著作であった。
その大拙の本の禅学入門を久しぶりに読み返してみて不思議な印象を持ったのである。
鈴木大拙という人をご存知ない方もいると思うので少しだけ解説してみよう。

 


鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎〔ていたろう〕、英字:D.T.Suzuki,
1870年10月18日 – 1966年7月12日) は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。1959年日本学士院会員、文化勲章。
100冊ある著書のうち、23冊が英語で書かれている。梅原猛曰く、
「近代日本最大の仏教者」。同郷の西田幾多郎、山本良吉、藤岡作太郎とは石川県専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。
(以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)



大拙の禅学入門はもともと外人を啓蒙するために英語で書かれたものであるが(その点では岡倉天心の茶の本とか、新渡戸稲造の武士道と成立が似ています)、後に自ら日本語に書き直した本である。
禅の神秘性というものは“悟り”という、摩訶不思議な境地や座禅のような修行や禅坊主の奇矯な行動や禅問答の難解さ等々、超俗的なトピックスに彩られて表現されている。
それゆえ、門外漢を魅了する要素がふんだんにあるのである。
その大拙の名著である禅学入門をつらつら読み返してみて、なぜ不思議な印象を持ったかというと、禅とは何かという章から始まって大拙が迷っているのが感じられるからなのである。
一言で言うと、言い訳がましい。禅を称揚する文章を書きながら大拙は迷っているのである。
何に迷っているのかと言うと、簡単に言えば、
“禅は果たして仏教なのか?”
“禅は仏教の中では異端ではないか?”
という迷いである。
大拙は仏教という宗教を正面から見据えて禅の解説を書こうと試みたのであるが、随所に非仏教的な特徴を見出し、原始仏教からも大乗からも遠く離れた中国禅の姿に迷いを感じているように見受けられたのである(以下引用)。

 


“大乗仏教の現状を探求してみると、とにかくその表面上の形態と組織においては根本的な仏教なるものと大いに逕庭あることを認めざるを得ないのである”
“しかし、このためにこの派の仏教が原始仏教の一般に理解されるような意味において真に仏教でないという人々があるが”
“しかるに仏教の一般分野を視察して再び禅に帰り来たれば、吾々はその単純と直接と実際主義的傾向と、しかしてその日常生活との交渉の密接なることは他の仏教諸派と比するにはっきりと対立をなしていることを認めざるを得ないのである”
“禅は宗教であるか。これが一般に考えられるような意味では、それは宗教ではない。禅には拝すべき神もなく、守るべき儀式もなく、死者の行くべき定められた未来の住家もなく、さらに最後に何人かによってその幸福が保障されるであろうような霊魂なるものもないのである”
(以上、鈴木大拙 『禅学入門』 講談社学術文庫より引用)


 

宗教、とりわけ仏教としての禅を考えると非常に異端で特殊であると言わざるを得ない。何せ一切の言葉を否定するのだから経文も経典も念仏も一切不要ということになるのである。
しかも一切の論理を否定し、直接自らの心を探求するのである。釈迦もへったくれも一切関係ない。これがどうして仏教の一派であり続けられるのかさえ不思議である。禅に比べれば新興宗教の方がまだ仏教らしいかもしれないのだ。

何が仏教なのかをめぐって鈴木大拙は迷ったのではないかと思ったのである。
禅の教理を表した言葉に以下のようなものがある(達磨大師の教理)。

 不立文字(ふりゅうもんじ)
 直指人心(じきしにんしん)
 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
 教外別伝(きょうげべつでん)

摩訶迦葉の拈華微笑(ねんげみしょう)の故事から出発したこの師資相承のシステムには仏教の根本教理である、縁起や空の思想は登場しない。その点では大いに異端であるということが言えるのではないかと筆者は思うのである。

禅の本を読むと、大悟して悟りを得ると人間が超人的になって絶対的な幸福な境地になると暗示されている。
筆者もこの世の憂いを逃れて、絶対的な幸福な境地を得たいと願って、実際に座りもしないし、師匠に参じることもしないくせに本ばかり読んでいたものである。
だが、この悟りの境地がなぜ釈迦と関係あるのかは論理的には全く不明なのである。一切考えることをやめろと公案の修行の中で教えられるので、論理的に考えては元々いけないのだが、ゴールがさっぱり見えないということは厳然としてあるのである。
その点、一切有部だろうが、大乗であろうが、テキスト(経典)をもとにしたほかの仏教は分かりやすいようだ。

世の中には、体験しないと分からないことが多いのだが、それを言葉で伝えることは難しいようだ。
“何のために”、“何のメリットがあって”、だとかの必ず納得ずくの理屈が必要なのである。
禅の社会は経験主義なのでそういう若者の屁理屈を真っ向から打ち砕くシステムになっている。要するに、“四の五の言わずに黙って座れ”である。

知識はマニュアルを読んで習得できるが、技術は学習の横系と経験の縦系を紡がないと得ることができない。
経験しなければ分からないことを経験していない人に言葉で伝えるのは極めて困難であるし、また、そういうことに労力を使っても従労に終るだけである。それ 故、不立文字といい、只管打座なのである。そういう極めてファジーで茫洋とした価値を千年以上うけついだという点では禅教団は極めて特異な伝統を現在に至 るまで保っているといえよう。ここが歴史の成せる技である。

振り返ってみれば、システムズエンジニアリングの世界は高々50年位しか歴史がないのに革命に次ぐ革命で、毛沢東時代の中国のように動乱の時代が続いている。
それゆえ、正統が正統として受け継がれることなくニセモノが堂々と跋扈する世界になっている。生半可な知識で高給を取るコンサルや、スペックも書けないSEが堂々と商売をしていて、しかも詐欺師と言われない。これはSE社会が未熟であるということの証明であるし、正統をきちんと受け継がなかったために真物と 偽物の区別がつかなくなった混乱した社会になっているのである。

特に90年代前半のオープンシステム文革時代のドキュメント不要、ソフトウエア工学不要で育った世代が30後半から40前半の中堅を占めるようになってからはその傾向はさらに加速される。
規範となる“経験”や“修行”の過程が形成されていないので、必要な訓練が伝統として施されていない状態で現場力を失った人材が多数輩出されてしまったのである。
その結果、システム開発はいつも事故になり、累々たる屍の山を築くことになった。
その現場力の低下はユーザーの側も同じで、間接要員と定義されて予算を削り続けた結果、現在のレガシーシステムを維持するのがやっとで、会社を未来に向かって支える戦略的な情報システムなど考える余力さえなくなったのである。

もし、SE社会を建て直すとすれば、真の認可を受けたSEが弟子を教導する禅教団のようなシステムを作らなくてはならない。そして只管打譜(ただひたすらプログラムを組む)修行や只管起仕様書(ただひたすらアルゴリズムを書く)修行を実際の経験として積んで、真の実力を身につけないと駄目である。

実はこのシステム作りを大きく毀損する要因を作ったのが情報処理試験であったと筆者は思う。これは知識と技術の違いが判らない(即ち本物でない)人々が学問的知識や受験ノウハウでシステムを構築したため、試験に受かっても実際のシステム開発ができない人材を多数輩出してしまったのである。
規範がまちがっているために人材を教導できていない仕組みが出来上がったのである。
これも不幸なことであった。

今、日本の社会のいたるところで、“現場力”が落ちている。
それは失われた20年の間にコストダウンをやりすぎたせいである。
アメリカかぶれどもにすっかり打ちのめされてしまったといえる。
“無駄”と排撃され、のりしろを失った日本の社会は、直接の結果を出さない行為に投資をしなくなったのである。

経験しないと習得できない技術をどのように未来に伝承したらよいのだろうか?

いっちょシステム開発向けの公案でも考えますか?