【第48回】幸福を科学する

このメルマガは幸福の科学の評論ではない。
幸福を科学するとどうなるかという異説である。
これは筆者の口癖と非常に関係がある。筆者は仕事のストレスで疲弊すると「あ~、いつか幸せになりたい」と口走ってしまうのである。そうすると筆者の秘書O女史は「社長は十分に幸せじゃないですか」といつも切り返されるのである。
幸福とは非常に面白い概念で、当人しか認識し得ないし、第三者からは絶対に理解し得ない、不思議な境地である。
例えば、ここに全くもてないさえないAさんと、モデルのような美人の奥さんをもらって社内中の憧れであるカッコいいBさんがいたとする。Aさんから見るとBさんはどうひっくり返しても幸福に見える。ところがBさんは幸福ではないかもしれないのだ。なぜならBさんはゲイだからである。
このように幸福という価値観は極めて個人的で抽象的な概念なのである。

幸福論といえば、フランスの哲学者アランとスイスの法学者にして政治家のヒルティ、日本では寺山修司などが著述しているが、どれも問題の中核の周りをぐるぐるまわっているだけで決め手には欠くようである。
昔、ポン酢醤油のコマーシャルで、明石家さんまが鍋を囲みながら、「幸せって何だっけ、何だっけ、ポン酢醤油のある家さ」と歌ってみたり、阪本順治監督の 傑作映画「ぼくんち」では、二太少年が「幸せってあったかいご飯の中にあるんだよね」と泣かせてくれたりしたが、それも科学された絶対の軸を持った価値観ではない。

皆さんは“幸福”とはどういう価値観なのか科学したことがあるだろうか?
実は仏教では“空”といって、どういう価値も状態も変化し続けて、あるもの(形あるもの)はないもの(形ないもの)に流転し、ないものはあるものに変化すると教える。だから“禍福はあざなえる縄の如し”と言って、メビウスの帯のように変化し続けるので幸福という絶対境地はないと諭している。
それはそれで正解であるが、その一瞬がどういう要素で成り立っているかは知りたい。

筆者は全くの怠け者であり、趣味と呼ばれる嗜好事を全く持っていないが、昔からヨットに乗っているので、人様からはヨットマンだと思われている。
これは誤解も甚だしく、クラブレースで優勝したこともなく、ロングクルーズもしないし、たまにマリーナに行ってもご飯ばかり食べて酔っ払っているのが常である。
そういう怠け者のヨット乗りのことをこのヨット業界ではブルーウォーター派と言う(邦訳を無理にすれば波枕派ですな)。
このブルーウォーター派の伝説の長老が昔の後楽園ホテルの社長であった田辺英蔵氏である(実は彼のボースンだった人が数年前クルーでした)。
彼はシーボニアを起点に蒼龍号という23フィートの木造ヨットで日本中の海をクルーズ&ダイビングしていた伝説のヨット乗りである。
その田辺氏がヨット雑誌舵に20年位前に連載していたエッセイ「キャビン夜話」に書いてあった話であると確か記憶しているが(出典を紛失してしまったので正確に憶えていないが)、彼は幸福を4つの要素に分解した。

単純に楽しむ
人から求められる
命をかける
世のために尽くす
これが幸福を科学した内容だとすれば、不幸はこれらの否定形であると言えるだろう。
試しに作ってみよう。

滅多に楽しめない
人から何も期待されない
自分の身をひたすら守る
自分のためだけに生きる
上記のような生き方をしている人は案外多いのではないだろうか?

最近、日本人も欧米人のように個人主義になってきていて、“勝ち組になる”とか、“生き残る”とか、“成功する”とか言って自己中心、利己心丸出しの人生観を持っている人が多くなった(特に団塊ジュニア世代ですな)。
そのため自己を犠牲にし、自己を律し、人望を集め部下や顧客から信頼されるリーダーが本当に少なくなってきたように感じる。 「GMとともに」を書いたGMの中興の祖、アルフレッド・スローンはP.F.ドラッカーを全くもって黙殺した。P.F.ドラッカーが“会社という概念”を著述したときにその本質的な誤りにGMの経営陣はすぐに気づいたからである。
それは何かと言うと、ドラッカーは“会社という概念”の中で、リーダーシップという“人格”やノブレスオブリージュ(高貴なる者の義務)よりも、マネジメ ントという“技術”や“方法論”がGMの成功のポイントであるかのような書き方をしたからである(要するにTPSを研究して“カンバン”のしくみしか解説 していないということです。浅薄ですな)。
そこに真の経営者(実業家)と単なる評論家で理屈をこねるコンサル(虚業家)のギャップがあったのである。

話は戻るが、幸福は当人以外は誰にも共有することのできない価値観である。
それゆえ、絶対なのである。
筆者が思うに、幸福は苦難との対比でしか生まれない。それゆえ、豊かな人生とはそういう苦難艱難辛苦を克服した者たちだけに与えられる。
それを逆に言うと、天から降ってきた試練とか苦難をじっと歯を食いしばって乗り越えた人でないと真に幸福を味わうことはできないということになるのである。
カール・ブッセの、


山のあなたの空遠く
「幸い」住むと人のいう。
ああ、われひとと尋(ト)めゆきて
涙さしぐみかえりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸い」住むと人のいう。

「海潮音」より、訳)上田敏


という詩があるが、この人は、尋めゆきて忍耐力が足りないために、幸福を掴んで帰ってくることができなかったのであろう。
筆者がなぜこういうことを書こうと思ったかというと、最近、リリー・フランキーの「東京タワー」を読んで大いに泣き、絶対不幸の中の絶対幸福をその中に見 てしまったからである。自分のため、自分のメリットのため、自分の生活のためばかりを考えないで、心を幸福に向けて解放する必要を感じたからである(皆さ んもぜひ読んで下さい。心が洗われますよ)。
因みに、ヒルティの「幸福論」に引用されていた、フォン・クリンガーの一文で、“どうしたら策略なしに常に悪とたたかいながら世を渡ることができるか”という文章がとても面白かったので最後に紹介します。(以下引用)

 



“どうしたら策略なしに常に悪とたたかいながら世を渡ることができるか”

(一)
まず第一に彼(すなわち、この行き方を試みようと思う者)は、世のいわゆる「幸福をつくる」ことを、微塵も心にかけてはならない。
きびしく、力強く、公明正大の道を踏んで、恐れることなく、またわが身をかえりみることなく、おのれの義務を果たし、自らのどのような行為も私欲の汚点で汚されることのないように、心を充分清潔に保たねばならぬ。いやしくも正義と公正に関するかぎり、事の大小、軽重を問うてはならぬ。

(二)
第二に彼は、清廉潔白に身を保つためには、世間に輝きでようとする欲望を捨て、浅薄な虚栄心や、こころを乱す名誉心、権勢欲を去らねばならぬ。
人々はたえずかような欲望に駆られて、社会の舞台の上でかずかずの愚行を演ずるのであって、そのために、働きかけていく相手や仲間を深く、手ひどく傷つけること、最も剛直純清な徳行、いな、もっとも大胆な徳行すらも遠く及ばぬほどはなはだしいものがある。・・・・・

(三)
第三に、このような心情の人は、ただおのれの義務がそれを要求する場合にのみ、社会の舞台に立たねばならぬ。
しかしその他の場合は、一人の隠者として、家族と少数の友人との間に、書物のなかに、精神の王国のうちに生きねばならぬ。
こうすることによってのみ彼は、人々がそのために毎日精根をつくしてあくせくする、そのくだらぬ事のために、他人と衝突する煩わしさを避けることができ る。また、こうすることによってのみ彼は、その独特の生き方を世間から許してもらうことができる。というのは、かれはじっさい、人々の間に座席を占めず、 自分の価値で世間を圧迫することなく、義務を果たしたあとは、退いて、ふたたび静かに生活したいという願い以外に、世間から求めることがまったくないから である。
それでもなお彼が、もしひとに嫉妬の心を起こさせ、また憎しみの念を呼ぶならば、それらはいずれも非難者が自ら公表するのをよろこばぬようなこと、少なくとも彼の面前であからさまに非難できないような事柄に基づくのである。
さてこの境地に到達した人には、この世できわめて多くのことが成就するだろう。彼が心にかけなかったもの、目的として意図しなかったことも、おのずから成就するのであって、ついには世の人が広い意味で幸福と呼んでいるものをさえ得るにいたるであろう。・・・・・

(四)
わたしはただ次ぎのひと事を書きそえておく。彼はあらゆる(恣意的な)改革的意欲とそのきざしとに対しては厳に警戒しなければならない。
単に意見だけをもつ人たちと、意見について争ってはならない。自分自身のことをただ静かに、というのは自分の心の奥で、深く考え、反省しなければならない。
わたしは、わたしの力と素質の許すかぎり、自分の性格と精神とを展ばしてきた。しかも、わたしはこのことを真面目に、かつ誠実になしたので、世の人の幸福と呼び、繁栄と称するところのものがおのずから得られたのである。
わたしは自分自身を、他人にたいするよりもさらにきびしく、仮借なく観察し、とり扱ってきた。・・・・・わたしは決して演技をしなかった。またそれをしよ うとする気も起こらなかった。わたしはいつも、自分が獲得して持ちつづけた性格をはばかるところなくさらけ出してきたので、今ではもう、自分の人間が変 わったり、自分と違った行動をするかも知れないという懸念をまったく感じなくなった。ひとはもはや自分自身を誘惑する気づかいがなくなった時にのみ、初め て他人の誘惑に対して安全であることができる。
—多くの職務がわたしに課せられた。しかし、わたしはそれらの職務を果たしたのちは、その残りの時間を深い孤独と、できるかぎりの節制とのうちに過ごしたのである。

■フリードリッヒ・マックス・フォン・クリンガー
ゲーテの友人にしてのちのロシアの将軍。
カタリナ二世(エカテリーナ二世とも言い、アラスカを米国に売却した宮廷ロシアの女王)治世下の腐敗したロシア宮廷にあって高潔を貫き尊敬を集めた。