【第167回】仮想敵を作る人々

仮想敵とは何ぞや? 国語辞書を見るとこう書いてある。

「団体や個人が計画を立てる場合に、仮に敵と想定する相手」

仮想敵とは“仮に敵と想定する”のだが、なぜか想定した側にとっては本当の敵になってしまうのである。 これは不思議なことだ。

人間には成長するときに、怒りや憎悪のエネルギーでしか成長できない種類の人間が存在する。 そうした人間には正しい努力と継続的な勤勉が欠如している。また、才能もない。 そのために怒りや憎悪の力を利用して目標となる敵を倒すという行為のなかで成長しようとするのである。

希望や夢のエネルギーによって成長する人間がホワイトパワー、善のフォース(スターウォーズ風に言えば)で成長するのに対して、怒りや憎悪のエネルギーによって成長する人間はダークパワー、悪のフォースで成長するのである。

ところが、仮想はあくまでも仮の敵なので本当の敵ではない。 従って、憎悪の対象になるものではない。ときには善き存在であったりもする。そうなると怒りの炎が弱まって成長のダークパワーが弱まってしまうので、仮想の敵を本当に憎悪して敵と思うように自己暗示をかけるわけである。 それによって敵と定義した存在を乗り越えて成長できると信じているのである。 これは相手にとってはすごく迷惑な話であるし、自分の都合で憎まれたのではたまったものではない。

勝手に相手をライバル視して執拗な嫌がらせをするOLや、同期の足を引っ張るおじさんや、49対51の差を0対100に拡大して兄弟げんかをしかける親や(実は筆者の親のことです)、反日反日で国民を教育する(これは世界に2ヶ国しかありませんが)国などがそれに相当する。

仮想敵のうちはよかったがこれが本当の敵に進化したときに、仮想敵を生産した側は矛盾を承知でヒステリックに相手を“悪者化”しなければならない。そうしなければ自分たちの作り出した自己矛盾と対峙しなければならなくなり、せっかく怒りのパワーで成長した結果が台無しになってしまうからである。

現在の中韓が歴史認識と呼んでいるものが正しいか正しくないかはどうでもよいのだ。 日本はとりあえず“敵”でないと困るのである。そのためにはもっと悪い奴でどうしようもない悪人でないと困るのだが、実際はそうではないから、一生懸命抗日ドラマを作ったり銅像を立てたりするのである。

これら“仮想敵を作る人々”は、誰かに無理やり(当人の意思とは関係なく)成長して欲しいと念じている勝手で強欲な人々である。 ある意味では強烈なエゴイズムの持ち主でもある。また、極めて非仏教的存在でもある。

憎悪のパワー(恨ハンですな)で達成した成果に何の果実があるのか? それは復讐に似た結果が待っているだけである。

物理の作用と反作用は同じエネルギーで均衡するが、復讐のエネルギーは暴力と同じ種類のエネルギーなので“作用”に対して何十倍もの“反作用”が働くのである。

要するに、“やりすぎ” “力をふるいすぎ” “暴力の使いすぎ” になるのである。 ましてや現実の敵ならまだしも、“仮想の敵”に対して本当の敵と同じことをするというのは悪意むき出しの暴力そのものである。

正式な“暴力”に対して、我々が何をしなくてはならないかということは決まっている。 だが、こうした歪んだ暴力に対して何をしなければならないかはとても難しい。

日本の農水省と文部省がかなり無能というのはすでにわかっていたが、今回の件で外務省までもが極端に無能であることがわかってしまった。 我々は無能な外務省の代わりに、この歪んだ暴力に対抗する手段を見つけないといけない(太陽政策でもいいです)。そうでないとこれは自衛隊の出番につながることになる。 そのくらいの危機になかに我々はいるのではないだろうか。