焚書坑儒とは、紀元前213年に秦の始皇帝によって断行された弾圧である。
現代ではこの言葉は、言論、思想、学問を弾圧することを指す故事であり、熟語になっている。
(以下引用)


焚書・坑儒(ふんしょ・こうじゅ)とは、中国を秦王朝が統治していた時代に発生した思想弾圧事件。焚書・坑儒とは、「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)」の意味。

秦の始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。『史記』によると、丞相の李斯は、儒者たちが古(いにし)えによって現政府を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。始皇帝はこの建議を容れて挟書律(医学・占い・農業以外の書物の所有を禁じた令)を制定した。

これにより、民間人が所持していた書経・詩経・諸子百家の書物は、ことごとく郡の守尉に提出させ、焼き払うことが命じられた(焚書)。李斯は、秦の歴史家によるものを除いてすべての史書は燃やすべきであると主張し、各諸派によって書かれた書物は、地域の官僚に処分をするよう命令が出された。儒教の経典である六経のうちの『楽経』はこの時失われ、漢代に五経として確立された。

翌年(紀元前212年)、廬生や侯生といった方士や儒者が、始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難して逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺した(坑儒)。ただし、その後も秦に仕えた儒者はおり、陳勝・呉広の乱が起きた際に二世皇帝胡亥が儒者の叔孫通に諮問している。

紀元前206年、漢の高祖劉邦が秦を滅ぼしたが、依然として挟書律は現行法であり、その後恵帝4年(紀元前191年)11月になってようやく廃止された。また、『韓非子』和氏篇には商鞅に仮託して、挟書を政策として採用すべきだと議論しており、李斯の独創ではなく、戦国末期には法家によって議論されていた現実的な政策であった。始皇帝はそれを採用したに過ぎず、劉邦政権が踏襲したことによっても、挟書律が少なくとも為政者にとっては現実的な政策であったことが分かる。

魯迅は「華徳焚書異同論」において、ナチス・ドイツの焚書と比較して、焚書・坑儒を進歩的な行為だとしている。また文化大革命時には「批林批孔」運動において、毛沢東が焚書・坑儒を正当化する漢詩を詠じたが、後に中国共産党の公式見解の一つとされる席簡・金春明『「文化大革命」簡史』では、毛沢東の焚書・坑儒を誉める漢詩を「表面的には歴史学者の学術書に対して反対意見を述べているようにみえるが、(中略)政治闘争の必要から書かれたものである」と述べている。

(以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部引用)


ここで面白いのが、かの毛沢東が焚書坑儒を礼賛する漢詩を詠んでいたという事実である。
独裁者が国をコントロールするためには国民を無知蒙昧にすることである。無知蒙昧に導くための最短の方策は昔の本を読めなくすることである。
昔の本を読むと歴史が分かってしまうので現在の独裁を維持するためには邪魔であるし、歴史から学んだ正しい事実や正しい判断が明らかになってしまうからである。
そのために毛沢東は漢字の原形を喪失するくらい簡略化した簡体字(simplified)を公布した。
これを教育することにより、1964年の文化大革命以降に生まれた中国人は1964年以降に簡体字で書かれた本しか読めなくなってしまったのである。それまでの漢字は繁体字(traditional)と呼ばれ、現在でも台湾や香港では使用されている。
これは一種の思想弾圧である。大なる読書家であった毛沢東は簡体字を公布するのと同時に、繁体字の大判の(文字の大きい)中国の古典を4000冊も自分用に作成させている。
これは形を変えた焚書坑儒であると筆者は見ている。
独裁を完成させるためには歴史を葬り去らねばならないのである。
これによって、普通に教育を受けた中国人は古典を読めなくなってしまった。

同様のことが韓国でも行われている。
現在の韓国人は大部分の人が漢字をまったく書けないし、まったく読めなくなってしまっている。
韓国人の名前の「李」「朴」なども本来は漢字で表記されていたが、最近の韓国のビジネスマンの名刺は、ハングルと英語の組み合わせになっており、漢字の名前は使われていない。
1970年に韓国は漢字の教育をやめてハングルのみになった。それによって現在では国民の80%が漢字を読めなくなってしまった。現在では韓国の大学生の25%が「大韓民國」を漢字で書けないと言われている。
これによって深刻な文化断絶が発生してしまった。
李朝までの文書は全て漢字であり、それ以前の古典や歴史を読むことができなくなってしまったのだ。図書館に行っても自国の本が読めなくなってしまったのである。
大学の研究者でさえ、1960年代に自らの指導教授が書いた論文が読めなくなってしまったのだ。
これも形を変えた焚書坑儒である。

これによって歴史や古典や古い本を読めなくなった両国民は文字による知識の拠り所を失ってしまったのである。
これは民族の歴史を喪失するということも意味するものであろう。文字を失うということは文化を失うことなのである。
歴史は常に過去の記録の中にあり、古い本の中にあり、古典の中にある。
古い本を読めなくなってしまった国民には歴史は存在しない。日中韓の歴史紛争はこうした文字の焚書坑儒による歴史喪失が根底に存在するのである。

おそらくこの神学論争は永遠に続くであろう。