【第160回】求ム新宗教、求ム新哲学

今現在、地球上に存在する共産党は中国共産党と日本共産党だけである。
共産党とはそもそも何をする団体かと言えば、マルクスの共産主義による幸福な社会を作るための団体である。
マルクスの共産主義は、マルクス経済学に基づいた貧富なき幸福な豊かな社会を作るための哲学であった(本来は)。

共産主義は19世紀までの資本家による搾取によって生まれた社会の格差貧富の差を是正するための思想として登場したのである。 資本を労働者が共有して不当な搾取をなくして平等な社会の形成をめざした哲学であった。
今風に言えば、19世紀までの歴史的なジニ係数の是正のために生まれた哲学がマルクスの共産主義であった(要するに貧富の差をなくすということです)。

その共産主義を信奉し、共産党一党独裁で共産主義を実現している中国が世界最大級に悪化したジニ係数の国の一つになっている。
すなわち、平等な社会を作るために採用した共産主義によって中国は世界一不平等な社会になってしまったのである。

中国は現在、不動産バブルという経済の原子爆弾を抱えているが、天文学的な貧富の差はもうひとつの中国社会を崩壊させる一歩手前の原子爆弾である。
“恒産なくして恒心なし”とコメントしたのは古代中国人(孟子)であるが、現在の中国は、恒産ありて尚恒心はない。天文学的な恒産があっても恒心はない。

今、世界は無秩序と混乱の時代に向かっている。イスラム圏のテロ問題、イスラム原理主義やアラブの春による戦争、アフリカの崩壊、中国危機、等々、 第二次世界大戦で反省したはずの人類は再び第三次世界大戦に向かっていると筆者は感じている。

世界平和を目指すためには世界のジニ係数を低くすることである。これは世界の格差を縮めるということである。 貧富の差を縮めて中間層を増やすことである。
このためには、世界の所得を単純に分配するのではなく、相互扶助する仕組みが必要であり、そのための相互理解が必要となる。 相互理解のためには、共通した価値観による教育が必要である。
ここでハタと立ちすくんでしまうのは、教育は学校を作って教科書を作れば実行できるが、共通の価値観を形成する“思想”を人類はいまだ持っていないのである。
唯一神教(自分たちの神だけが正しく、他は邪であるという価値観を持つ宗教)である、キリスト教やイスラム教やユダヤ教はそれ自体が争いの種である。 紛争のもとである。戦争の種子である。
民族や愛国心も単なる争いの種を作るもとでしかない。

ヒッグス粒子を発見するような科学の時代になって、未だ人類は共通の価値観を持っていない。相互理解し合うための基盤を持っていない。 現在、伝承されている宗教や哲学や思想が現代のグローバリズムの中では不十分にしか機能しないのである。
新興宗教も民族を越えて共通できる価値はないし、所詮、先祖だの霊だの言ったとたんに民族の壁を越える力はない(日本人の先祖に黒人が いると信じられますか?でもクロマニヨンくらい辿ればありうる話です)。

今、人類は貧富の差だけがグローバル化して途方に暮れているのではないだろうか?
我々は今まで人類が発明したどの宗教も哲学も思想もこのグローバリズムの中で役に立たなくなっているという事実にもっと真剣に向き合うべきなのである。

プラトン以来のギリシャ哲学を正面からひっくり返して見せたのはニーチェであったが、これもカソリック対非カソリックの長い戦いの一端で、こんなことに ヨーロッパ人は1,000年以上の時間を費やしてきたのである。実に不毛で無駄な労力である。これにイスラム教やユダヤ教が参戦したら何千年あってもまとまることはないであろう。

今この時に次の時代を導くような新しい宗教か、または思想(哲学?)が誕生しなければならないと筆者は思うのだ。

新しい宗教となるためにはいくつかの条件が必要となる。
第一に、唯一神教であってはならない。今までの唯一神教を包含する多神教でなくてはならない。
第二に、先祖とか霊を拠り所にしてはならない。民族の壁を越えなくてはならない。
第三に、経典を極端に解釈して暴走する原理主義への歯止めがなくてはならない。既存の宗教はすべて原理主義によって内乱を起こしている。
第四に、人類を地球市民と考え、すべてに相互理解と相互扶助をもたらすものでなくてはならない。
第五に、対立する思想や概念を持ってはならない。ゆえに、すべての哲学、思想、宗教を合理的に解釈して融合するものでなくてはならない。
第六に、戒律を持ってはならない。戒律のために民族は融合せず齟齬が生まれるのである(イスラムの礼拝のようなものです)。ただし、モーゼの十戒程度の 規律、もしくは規範はなくてはならない。十戒には、汝殺すなかれ、と書いてある が、キリスト教徒もユダヤ教徒もこれを真剣に実践していない。ほかの戒律が多すぎてプライオリティが下がったせいである。シンプルでよいので全人類が実践できる規律は最低限必要である。

こういう条件を満たした新しい宗教を提唱する聖人は現れるだろうか?
ニーチェは、“ツアラトゥストラかく語りき”で、新しい聖書の創造を試みたが、あれとて一神教ゾロアスター教をもとにしているので不完全である。 神が一人しかいないというのが非常にマズイと筆者は思う。太陽も月も風も波も神でよいではないか?多神教が一番平和である。他を否定しない立場にこそ相互理解の鍵がある と言えよう。

最近、古代インド哲学のウパニシャッドを読んでいて、梵我一如、ブラフマンとアートマンの融合にハタとひらめくものがあった。
そうだ、宇宙と人間の関係を宗教にすればよいのではないだろうか?そうすれば仏教もキリスト教もイスラム教も幸福の科学も共産主義もすべて包含することが できる。古代インド人は実に頭がよい。梵我一如を核としてすべてを融合する世界宗教を創ればよいのである。宇宙と人間の関係が、神と人間の関係である。

そこで提案であるが、どこかの大学の哲学の先生か宗教学の先生か誰か、この宇宙宗教の聖書を執筆してもらえませんかね(ニーチェくらいの学力があれば何とかなるのではないかと思うのですが)。