【第152回】リーダーなき社会、ヒーローなき社会

戦後約70年余りを過ぎて日本は世界一平和で豊かな国になった。
日本の企業もグローバルで活躍するようになった。
そこまで敗戦から立派に立ち上がったのならば今後もそれを持続させればいいのではないかと思うのだが、それがうまくいっていない。
人がいないのだ。真のリーダーがいないのだ。

政治家も人材不在である。
戦後初めて自己都合で首相を辞任した福田元首相、これまた自己都合で途中で投げ出した安倍元首相、マンガばかり読んで漢字の読めない麻生元首相。
“戦争を知らない子供たち”と揶揄された団塊の世代で初めて首相になったのは安倍さんだったがイヤになったらすぐに辞めてしまった。
東電の清水元社長は事故が起きたらショックでその辺のオバサンのように寝込んでしまった(もしかしたら気絶していたのかも)。
卑怯者を絵に描いたような菅首相も平気で嘘をつき人を騙す。
一時期マスコミでもてはやされたソニーの出井さんも、日立の庄山さんも化けの皮がはがれた。

その器にあらずの人材が日本の大組織や政治をうまく継承できず、衰退のシナリオに組していることは疑いようもない事実であろう。
日本は重要な組織の至るところでリーダー不在となっている。
日本人にもともとそのような遺伝子がなかったのならわかるが、幕末の西郷隆盛や勝海舟、明治の渋沢栄一や東郷平八郎や大山厳、大正の後藤新平や高橋是清、昭和の吉田茂や田中角栄のような時代を背負ったリーダーをいくつもの変革期に活躍させて日本を発展させてきたのである。

戦前と戦後で違うものは一体何か?
それは教育である。

戦前は現在のようなマルクスの唯物史観ではなかったので、歴史を人物を通じて教えていた(日本の歴史教科書が唯物史観かどうかについては筆者の主観であり ますが、戦後日教組が強くなってますますその傾向が強いです)。それこそ、二宮金次郎(尊徳)や楠木正成や野口英世である。その人物の行動を通じて物の是 非を学んだのである。
また、戦前の教育には現在の教育にはない“修身”という道徳教育があり、子供に物の善悪正邪の判断を徹底的に教え込んだ。また元田永孚の教育勅語のような明快な規範が提示されていた。
何も武士道まで遡れとは言わない。子供にきちんとした善悪の教育をすれば、いじめもなくなり、惻隠の情を持った義によって生きる人材が育成されたはずなのである。
今はサラリーマンの世の中なので道徳なんぞは無用である。卑怯千万、勇気無用の人材の山である。

後継のリーダーが不在でつぶれた大組織はたくさんある。
中には上場企業で社長を公募したり、ヘッドハンターに依頼した会社もある。

一時は日本一のスーパーであったダイエーもそうである。
創業者の中内功は自分の長男の中内潤を後継者に一時指名したがうまくゆかず、結局は中内功自身が再び社長に復帰して、最後には会社に引導を渡すことになってしまった。
息子は無能とか凡庸のように思われるかもしれないが、大企業の部長くらいであれば十分に能力や才能を発揮したかもしれないのである。売上高1兆円の企業のオーナーには向かなかっただけの話である。
そんな大きな会社を経営するのが得意な人間などそこらの教育では育成不能である。

ソニーの社長、ダイエーの社長、総理大臣と、今の日本には真の器を持ったリーダーがいない。
フランスのエコール・ノルマルやエコール・ポリテクニークのようなエリート養成機関を持たない日本は、いわゆるエリートコースというものはない。
東大や京大を出たら、ノブレス・オブリージュ(身分の高い者が背負うべき義務のこと)が身につくのかといえば、そうした教育は一切ないし、戦後70年以上 にわたる日教組の大活躍によって(これは皮肉です)愛国心をもって国旗や国家のために命を捧げる覚悟のある若者が消え失せてしまった。今では自国の国家す ら斉唱できない若者が量産されている(サッカーの試合で君が代を斉唱できないのは日本人ではありません)。

サラリーマンの家庭で育つと、卑怯者結構、勇気無用、安泰であれば偉くならなくてよいという遺伝子を叩き込まれる。
そののち社会人になって結婚すると、奥さんが家計を管理し、小学生のようにお小遣いをもらう生活が始まる。
そこから失敗しないように失敗しないようにリスクを極力回避して生きて、手柄は自分に、不都合や失敗は部下に押し付けて上司の聞こえよく出世していって、20年後に売上高1兆円の会社を経営する人物になれるだろうか?

たぶんそれは無理である。

それでは百歩譲って、部長になって、経費使い放題、ゴルフ三昧で社用車付きになって島耕作のように銀座?あたりで、女性にもてまくったら20年後に1兆円 の会社のビジョンを打ち立てて組織を引っ張ってゆく人材になれるのだろうか?(ちなみに皆がマンガの島耕作に憧れるのはたいした能力もなく実績もないのに どんどん出世して女性にモテモテだからです)。

否! それも無理である。

そんなことは有り得ない。
×(バツ)がつかないように生きてきた(即ち勇気がない、即ち卑怯である)サラリーマンに経営が務まるはずがない。
そういうリスクを上手に回避してきた人は、何千人もの社員の生活の面倒みろと言われた途端にノイローゼになってしまうであろう。

日本人はヒーローや天才を嫌う民族である。
従って、そうした人の上に立てる器の人間を見ると、皆で足を引っ張る。
大組織でリーダーシップを持って責任感と義務感があって、勇気があって果敢にチャレンジするような人間がいたら10年経たない間に追い落とされてその組織にはいないであろう。
そういう嫉妬にかられた男の内ゲバを繰返していくうちに大企業にはリーダーとなるべき人材が枯渇するのである。
その結果、上にいって出世するのは誰も敵を作らない、誰からも否定されない一度も失敗らしい失敗を経験したことのない当り障りのない人材になるのである。

平和の安定した時代にはこういう人物は全組織の調整役としてトップに向いているのかもしれないが、今のような乱世(変革の時代)になると、こういう可もなく不可もなくの人物では企業は衰退するのである。
強い使命感と強い意志があってサラリーマン根性に毒されていない指導者を今の日本の社会は求めているのではないだろうか?

義によって生きる、原理原則を貫く、卑しいことはしない、ものの道理を理解する、自己犠牲を厭わない(自己保身に走らない)、強い意志をもって高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を果たすリーダーを今の日本は求めているのではないだろうか?

ヘッドハンターさん、どこかでそういう人を探してきてください。