【第146回】未来予想図

日本の知識人の分類には米国や英国あたりから見ると訳の判らない分類がある。
「僕は理系だから文学や小説はとんと苦手で。語学もからっきしでして」だとか、「僕は文系だから数学には弱くて」などという、“理系・文系”という分類である。
これは単に大学受験のときの受験科目の選択の組み合わせの問題であるに過ぎないにもかかわらず、一生を通じた先天的知性の天分のように語られる驚異的な分類である。

一般的に理系・文系はどういう動機によって決まるかといえば、「僕は数学や物理が苦手で文系に進みました」だとか、「僕は国語や英語が苦手で理系に進みま した」というような能力の消去法で決まる場合が多い。それゆえ、その後に就く職業とは何の関係もないのだが、なぜかこの分類(或いは決断)がその後のその 人の一生を決定してしまうことが多い。

遠く明治の頃、日本には東京、京都、大阪、東北、九州、北海道の6帝大と、早稲田、慶応の6大学くらいしか大学が存在しなかった頃、大学の卒業生は学士様 と呼ばれ、文系(特に法学部)のエリートは高等文官試験という、中国の科挙のような1回の試験で人生が決まるようなエリートコースが存在した。

戦後一貫して文系の方が理系よりも生涯賃金が高く最終的な地位も高いという時代が続いていた。同じⅠ種の官僚でも事務官と技官ではまったく出世のシナリオ が違っていたのである。民間にしてもそうであった。もともと大学での勉強量は文系よりも理系の方が圧倒的に多いのだが、待遇は必ずしも勉強量に比例しない というのは不公平なことであった。

今年は未曾有の就職難と言われている。大学生の60%しか就職出来ず、あとはフリーター街道まっしぐらだと言う。そこにきてインターネットの普及が文系の職場を大きく激変させてしまった。出版社の低迷、広告の衰退、テレビの衰退、ジャーナリズムの衰退である。
一昔前、文系のエリートが就職した業種の1つが大手出版社であった。現在、出版社は宝島社を除いてどこも赤字である。週刊ポストや文春のような週刊誌も廃刊の危機にある。広告収入が激減しているからである。
もう1つの文系のエリートコースが新聞社やテレビ局であったが、新聞はメディアとしての存在感をなくし赤字である。紙メディアとしていつまで存在し続けられるかは時間の問題である。
長年バブル経営が続いたテレビ局も5年連続のボーナスカットで経営は赤字である。コマーシャル収入が激減していてメディアとしての地位も危ない。
新聞社もテレビ局もくだらない偏向報道や付和雷同のちょうちん報道をやりすぎて信用がないし、下請けに番組を任せてくだらない芸人だらけになった番組に魅力もない。将来性は限りなくない。
文系のもう1つのエリートコースは業界系と呼ばれた電通や博報堂をはじめとする広告代理店である。現在、広告マンは交際費をカットされ、ボーナスもカット され、広告収入は未曾有の低迷を続けている。現在の銀座の閑古鳥はこれらリストラ間近の広告業界が引き起こしたものである。

また、よく勉強の出来るエリートの登竜門であった弁護士や公認会計士も合格者の水増しや市場のシュリンクで振るわない。昔は公認会計士と言えば資格を取っ ただけで大手監査法人から最低年俸700万を保障されたものだが、今では会計士補から会計士になって大手監査法人に就職できても年俸は400万前後で普通 のサラリーマンと大差ない。資格商売の特権は失われている。それどころか会計士になった人の半分が就職できず浪人(無職)のままである。せっかく青春の大 部分を費やして猛勉強したにもかかわらず、国家試験に受かって無職である(2010年の合格者約2000人のうち、就職したのは約1000人だけです)。 その会計士補も今では公認会計士試験合格者と呼ぶらしい。

弁護士も昔はイソ弁(居候弁護士:事務所を持たず他の事務所に間借りしている弁護士)まではいたが、現在は司法試験に受かっても受け入れ先がなく、軒弁 (軒先を借りる弁護士)や、ケー弁(携帯で商売する弁護士)も登場している。決して億万長者になるようなセレブな仕事ではなくなっているのである。
破産管財人のようなおいしい仕事は合格年次の古い先輩弁護士にしかまわって来ないので、昔は嫌われていた(儲からないから)国選弁護人でさえ人気がある。そのくらい仕事がない。

キャリアの官僚も昔ほどの既得権益はなく、天下りも制限されて歴代の政権からバッシングされるので億の退職金の夢もない。
ついでに言うと、航空会社も文系エリートの金城湯池であったが、LCC(Low Cost Career:格安航空会社)の登場でパイロットでさえエリートの職業ではなくなった。スッチーも往年の輝きはない。

そう考えてみると、この時代になって文系エリートの行く先は商社しか残っていないのではないだろうか。その商社に東大も京大も慶応も早稲田も殺到するわけだから決してバラ色の就職戦線ではない。
文系と言えば、法学部、経済学部、文学部あたりが典型であろうが、彼等には弁護士や会計士の資格でも取らない限り手に職がない。何でもできるということは何にもできないということなのである。
せっかく勉強して一流大学に入ったのに、文系不況のせいで思ったような未来予想図を描けない学生がたくさん出てきているのではないだろうか?
「こんははずではなかった」と皆思っているに違いない。
インターネットの普及やGoogleやAmazonの登場は世の中の枠組を根底から変えてしまう要素を持っていたのである。

時代のせいで就職できず人生が狂ってしまう若者を吸収する道はあるのだろうか?

筆者は1つには日本もそろそろ産業構造を変えるべき時代が来ていると感じている。
明治以来の殖産興業は90%の第1次産業(農業漁業林業)の人口を第2次産業(製造業)にシフトさせ、その第2次産業から更に第3次産業(サービス業)に シフトさせてきた。第2、第3次産業に求められる技能や能力はホワイトカラーとしてのそれなので、大卒のような高学歴は必須であった。それゆえ、猫も杓子 も大学に行くようになって今日のような大学全入時代が出現したのである。
ところが、大学を出たけれど就職はないというこの時代になって、そもそも大学に行く必要があったのか?なまじ大学を出たばかりに職業の選択肢が限定されるという現象が起きてきたのである。
料理人や漁師や農業や大工という方向は学士様となった今では考えにくいのである。
また、自殺者が3万人だとか、鬱が100万人だとかこんなにも大量に心の病を抱える人が多いということは、向いていない仕事に就いている人が多すぎるからに他ならないのである。
例えば、頭より体を動かすことの方が好きな人が無味乾燥な事務仕事や営業をやったらストレスが溜まるに決まっているのである。
いつの間にか日本は職業の選択肢が偏ってしまって試験の成績がよくないと幸福になれない社会を作ってしまったのである。
その上、文科系エリート産業の衰退が追い討ちをかけている。
文科系では勉強ができても幸福になれない産業構造の変革が生まれつつある。

人は今を見て不幸になるわけではない。
未来が見えなくて不幸になるのである。
未来予想図が描けないために絶望するのである。

“成長、成長”と皆が言うのは、成長の先に今より良いと思われる未来予想図があるからである。筆者が以前書いた“幸福の先送り”ということでもある。

幸福と思われるシナリオが今ではなく未来に予想できないことによって不幸になるのである。

日本はこの時点で文明国になり、飢餓を克服し、世界一のサービスに囲まれた国になったが、その中で満足できない不安に駆られた将来を憂うる人々をたくさん出している。未来予想図が描けないからである。

サザエさんの幸福というのは循環型の幸福で、昨日と明日がまったく同じパターンで延々と続くことによって成り立つ。去年も豊作で今年も豊作だったから来年 も豊作に違いない。このままで生活は持続的に続くという種類の幸福である。それゆえ、サザエさんの家ではカツオ君もワカメちゃんもタラちゃんも歳を取らな い。カツオ君は10年経っても20年経っても小学生のままで決して大学に行ったり就職してサラリーマンになったり、中年太りして頭の毛が薄くなったりはし ないのである。
それゆえ、日本人はもともと変化を求めていない。変化の先に幸福を見出してはいない民族である。農耕は誰もやっていないが、それをして農耕民族と言うなら ば農耕民族なのかもしれない。少なくとも現状を破壊することが幸福に直結するとは思っていない。“改革”というのは米国で勉強した竹中さんのようなインテ リゲンチャが言うことであって、その先のガレキの山に未来があろうと心躍らせている人は少ないのではないだろうか?

話を本題に戻すが、筆者の息子を含めて今の若者には職業選択するだけの教養もなければ見識もない。その足りない頭で未来予想図を描こうとするので就職先はワンパターンになる。
今の日本にはその拠り所となるワンパターンがなくなっているのである。自分を20年先も30年先も幸福にし続けてくれる選択肢がなくなっているのである。

ならばどうすればよいか?

筆者は、「青年よ旅に出よ」と言いたい。日本でフリーターに甘んじるならば海外に行くしかないのだ。何も日本だけで幸福を追求する必要はない。
これから老人大国になって一時衰退する日本を離れて雄飛するのである。
青年よ大志を抱け、である。今は何もないかもしれないが、未来を予想できるフィールドに活路を見出すのである。

もう日本の文科系エリートが進むべき道は日本には存在しないのである。
語学と国家観をしっかり身につけてコスモポリタンとして活躍すべきである。