【第137回】ビンボー話 -西原理恵子 『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(前編)

日本で一番最初に貧乏を研究した本が『貧乏物語』という本である。
河上肇というのちのマルクス経済学者が約100年前の大正時代に書いたベストセラーであった(彼がこの本を執筆したときには日本にマルクスや資本論は登場しておりませんでしたが)。
河上肇は『貧乏物語』の中で、貧乏を3通りに定義している。

第1のパターンは、1,000万円の年収があるA君に対して500万円の年収しかないB君を金持に対して相対的に貧乏であると定義している。即ち、貧富の差、富の偏在における相対的な貧乏である。
第2のパターンは、英語のPauper、即ち、非救恤者(ひきゅうじゅつしゃと読みます)としての貧乏である。これは生活保護などの社会的援助なしでは生活が成り立たない貧乏である。
第3のパターンは、1日に最低限必要な栄養及びカロリーに基いた食費、被服費、住居費、等の雑費を算出して、それをもって一人前の生活必要費の最下限とし、その線を貧乏線と定義してその貧乏線に所得が達しない人々を貧乏とするのである。

前述の河上肇はその貧乏人に第一級(貧乏線以下)、第二級(貧乏線の真上に乗っている人々)と定義し、その第一級と第二級を対象として貧乏人と定義している。

現代における貧乏を論じるためには、現代における貧乏線を検討しなければならない。
現在、OECD(経済協力開発機構)などで使われている貧乏線の定義は、日本の平均年収の半分、即ち、平均年収450万/2=225万円以下の人が貧困層 であり、225万円が貧乏線ということになる(因みに、日本の貧困率(社会における貧困層の割合)は13.5%で、OECDの中では下から2番目です)。
225万円を12で割ると1ヵ月の生存経費は187500円である。これは東京都の母子世帯3人の生活保護費177,900円とほぼ同じ位の水準である。
18万円の収入を分析してみよう。土日休みで月20日稼動すると、18/20=日給9,000円である。9,000円を8時間労働で稼いだとすると時給は 1125円で、これは約1,000~1,200円の時給が東京都に住む場合の最低時給とみることができる(但しこれは土日休みの場合なので週休1日だとすると 最低時給は900円ということになる)。この金額は最低限生きてゆくためのミニマム経費なので、旅行に行ったり、習い事をしたり、外食をしたり、趣味を追求するようなのり代は含まれていない。砂の生活の経費である。

日本人は自慢話を嫌う。それが事実であろうがなかろうが日本人は自慢話が嫌いである。しかし、その自慢話の中でいくら言っても嫌味にならないジャンルが2つだけある。この2つに関しては接待やデートや宴席でいくら話しても嫌味にならない自慢話である。

その1つが、“自分はこれだけ美味しいものを食べた”という美食自慢である。美味しいラーメン屋から高級鮨屋まで日本人は“余はいかにしてかくも美味なる ものを食したか”の話題が好きである。最近テレビで盛んに企画される大食いの番組もその延長上にある話である。日本人は美味しいものの情報にとても興味が あるので、B級からA級グルメまで美食談議は風発するのである。

そしてもう1つが貧乏話である。貧乏に自慢などあるかと思われるかもしれないが、自虐ネタの貧乏話はうけるようだ。
西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』なんぞを読むと自慢話になるくらいの立派な貧乏が出てくる。
貧乏話を自慢話にしたのは古今亭志ん生に代表される噺家がはじめであろう。貧乏長屋のハっつあんの話である。
そのころは語るに足るような立派な貧乏話が乱立していた。そしてこれらの貧乏話にはなぜかしらユーモアがあって刺すような冷たさはなかったのである。
西原理恵子のビンボー話はとてつもなく暗い話であるにもかかわらず思わず笑わずにはいられないユーモアがある。それが読者をひきつけてやまない。西原理恵 子は筆者と同じ年齢なので貧乏歴で言うとほぼ同じ世代の話である(ちなみに最下層のカーストから盗賊になって国会議員になって暗殺されたプーラン・デビも同じ世代(年齢)であります)。

西原理恵子の貧乏話に初めて出会ったのが映画『ぼくんち』であった。
筆者は数年前に渋谷のマイナーな映画館でこの映画の予告を見て死ぬほど驚いた。それは単なる予告編であったが、これは見なくてはなるまいと思い、封切りを速攻で観に行ったら案の定傑作であった。
とある田舎町の銭湯の扉がガラリと開いて小学校高学年位の男の子とその弟らしき小学校1年生位の男の子の2人が風呂桶を抱えて登場する。その銭湯の番台のおばちゃんに弟が大きな声で宣言するのである。

「おばちゃん、僕たち貧乏なんです」
すると間髪入れずに
「入れ!」

と、おばちゃんは一喝するのであった。これにはしびれた。
ストレートな貧乏という言葉が鮮烈だったのである。
それが西原理恵子原作、阪本順治監督の『ぼくんち』であった。ここには本当に作り事ではない日本の貧乏が活写されていた。切なくて素晴らしい映画であった。
主人公の二太少年(兄の名は一太。子どもの名前に一太、二太とつけるのもいかがなものかと思うが)が、「幸せっていったい何だろうね」とDVで血だらけに なって悲しむ姉の友人に聞かれて「幸せってあったかいご飯の中にあるんだよね」というセリフや、孤児になって漁師の祖父に引き取られてボロボロの漁船で町を離れる時に泣かずに二ッと笑ってみせる姿が目に焼き付いて離れなかった。

実は戦後数十年して日本から貧乏がなくなった日があった。
日本から貧乏がなくなったのは1970年代の終わりではないかと筆者は考えている。なぜならばその頃に乞食が消え失せたからである。“右や左の旦那様”という口上や家々の裏口を廻って物乞いする姿は今では映画にもテレビにも出ない。
ホームレスやレゲエのおじさんと乞食のおじさんは一見同じように見えるが、実は生活は全く異なる。レゲエのおじさんは物乞いをしない。どちらかと言えば好 きでホームレスに従事している側面がある。ところが乞食のおじさんは他に生きる手段がなく家々の勝手口をまわりながら物乞いをしていたのである。この乞食 のおじさんはいつの間にか高度経済成長とともに日本から消え失せてしまった(恐らく今もだと思うが)のである。これが日本から貧乏がなくなった日だと筆者は考えている。

筆者が育った時代の70~80年代にかけて“一億総中流”という言葉が流行していた。誰もが(日本人の誰もが)自分を中流であると思い込んでいたのである。
今となっては筆者にも実感が湧かないが、当時の日本の社会には妙な安定感があったと思う。家もあり職業もありテレビも車もクーラーも所有し、子どもは大学に進学するという家庭が日本の家族の平均的なモデルだったのである。それこそその頃の生活はサザエさん家のように永遠に不変であるようにさえ思えたのであ る。その頃の大部分の日本人は誰もが自分の生活を貧乏でも金持でもない普通・真ん中・中流と思っていて、ずっと自民党に投票して安定した生活が出来ると思い込んでいたのである。
それが小泉・竹中政策によって一変することになろうとは小泉さんに投票した時の国民はつゆも考えなかったと思う。
小泉・竹中経済は功よりも圧倒的に罪の方が大きいが、中でもとりわけ深刻なのは徹底した格差社会を作ったことであろう。“自己責任”という美名のもとにアメリカかぶれがアメリカの真似をして日本の社会にあった“ゆとり”を徹底的に打ち壊したのである。
筆者はこれまでコラムの中で何度も竹中イズムを批判しているので、今回特に言及しないが、彼のアメリカ化政策のもたらした富の偏在は格差社会を生み、その格差の下で負けていった親のもとに育った子供たちを苦しめる結果となった。
いつの時代も貧乏の犠牲者は子供なのである。多分竹中教授はアメリカの強者の論理である、“自己責任”や“生き残りをかける”の原則を導入して格差社会を 生み、貧富の差を拡大させた。地方にシャッター通りを量産し、リストラや非正規雇用の山を築いた。教育にも貧富の差が導入され、いまや国立大学でさえ授業 料が高すぎて普通の家庭では入学できなくなっている(20~30年前の授業料は10万から20万円でしたが、現在は53万円です)。その政策が是であるか 非であるかはその後の民主党の大勝が歴史的に証明している。竹中さんは貧富の差を大人同士の必勝劣敗のように考えているようだが、一番の犠牲者は格差の下 で負けていった親のもとに育った子供たちなのである。このことを皆は(特に竹中さんは)理解していない。ちょっと興奮して竹中批判になってしまったが、話を戻そう。

西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』は貧乏を真面目に捉えた稀有な本でもある。
この本の第一章はこのようなタイトルで幕を開ける(以下引用)。


第一章 
どん底で息をし、どん底で眠ってた。「カネ」がないって、つまりはそういうことだった。

生まれる場所を、人は選ぶことができない。だとしたら、ねえ、どう思う?
人って、生まれた環境を乗り越えることって、本当にできるんだろうか。

(以上、西原理恵子著 『この世でいちばん大事な「カネ」の話』より一部引用)


人間には持って生まれたカーストがある(上記の“生まれた場所”のことであります)。カーストはその生まれたカーストの中で(同じレベルで)生きるしかな いように仕組まれている。自堕落な生活をして、より下のカーストに落ちるとその人間が生きているうちに這い上がることは難しい。その子供は下のカーストで 生まれ、下のカーストで生きることになる。20歳までの子供の人生は、ほぼ親のカーストの影響で決まる。教育と家庭環境がそれに拍車をかける。生まれた カーストがいやで、より上のカーストに上ろうとしてもなかなかその山は越せない。カーストを破る(生まれた環境を乗り越える)ことは本当に難しい。これは 実際に体験した人でないとわからない。生まれたカーストがいやで上昇志向を持っていてもなかなかカーストの壁は破れない。カーストを破ることによって、そ の人がいままで属していたカーストとのすべてのアイデンティティやリレーションを失い、行き先のカーストでもなお試練が待ち受けている。それを延々のリ越 えて行かなければならない。辛く苦しい旅である。ただし、カーストを越えると別の世界が待っていることも事実である。

カール・ブッセの、

山のあなたの空遠く
「幸い」住むと人のいう。
ああ、われひとと尋(ト)めゆきて
涙さしぐみかえりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸い」住むと人のいう。

「海潮音」より、訳)上田敏

この詩にカーストを越えられず親の人生と同じ境涯で生きた人の敗北感を感じるのは筆者だけだろうか?
カーストの壁を破ることはとてつもなく困難なことで、艱難辛苦の山であるが、それでも生まれたカーストを乗り越えて断ち切ってより違う種類の幸せを目指す人が、1,000人に1人くらいいるのである。西原理恵子もその一人である。

次回に続く