【第132回】巨象も滅ぶ

日本のサラリーマン社会には、パーキンソンの法則のような冗談みたいな非科学的な説のようで、実は正鵠を得ているという定理が存在する。

2:6:2の法則もその1つで、集団や組織を形成すると、その中の人材は、2割が優秀で、6割が平均値(並)で、2割が劣等であるという経験則のことである。組織はその優秀な2割によって運営され、あとの8割はその恩恵によって生きているという構図である。
もうすこし平たく言えば、“売上の8割と利益の8割は全従業員のうちの上位の2割で生み出して、母集団の60%の平民はプラスマイナスゼロで、下位の20%は足を引っ張っているというものである。

これは「パレートの法則」とも呼ばれるが直接は関係ないようで、一種のマーフィーの法則のようなものと思えばよい。
この説は諸説ふんぷんとあるが、どうも松下幸之助が提唱したものらしい。
この経験則は人材マネジメントや組織論で散々語られているので筆者は特に解説する心算はないが、一流大卒揃いのエリートを集めて粒よりの集団を作っても、実はその中で2:6:2が形成されるというのは面白い事実である。

今度の選挙で自民党が崩壊の危機に瀕している。
戦後約70年近く政権を担った大政党がなぜこのようなことになったのか、人材不足という観点で考察してみようと思う。

この3年間で日本の首相は3人交代した。しかもその2人は任期半ばの政権途中で責任を放棄して勝手に辞任したものである。日本の首相が私事都合で勝手に辞めるということはかつてなかったことである。しかも2代連続してである(2人とも二世議員、世襲であるということがポイントでありますが、それは後で詳述します)。
これだけでも自民党の人材不足は露呈したわけであるが、なぜそのような事態になったのかを2:6:2の法則の観点から分析してみたい。

サラリーマン社会で集団を作ると、母集団がどんなにエリートでもボンクラでも2:6:2の構成になってしまうとは前述したが、会社のマネジメントはこの中の2を特定して(実は単純には特定できないのですが)、2を別集団にし、その中で2:6:2をまた作り、人材を変化させるとか、下の2割は定期的にレイオフするとか(マイクロソフトが下3%を自動的にレイオフするというシステムをやっていました)、いろいろ手をこまねいているようである。
この構造を放っておくと、2割がエリート、6割が凡人、2割が万年ヒラ社員と固定化してエリートが牛耳る官僚集団になるか、または2割のエリートが、万年ヒラと0対500位の差があるのに給与は0.8対1.0位しか違わないことにイヤ気がさして会社を辞めていくかという結果になるか、いずれにせよ組織の健全性と継続性にに支障をきたすことになるのである。
なぜこのようなことになるのかと言うと、中位の6割と下の2割の人間の態度に問題がある。特に下の2割の意識と態度は重症である。

日本の組織は学校以来、横並びの意識が強い。
「同じような大学を出て、同じ時期に入社しているんだからそんなに能力が違うはずはない」
「あいつは運がよかっただけで本当の実力は俺と大して変わらない」
「同じ人間で同じ時間しか生きていないんだから、そんなに違うはずはない」

できない20%の人間から、できる20%の人間を見ると、こんな感想を持っている。トップ20%の人間ができない20%の人間の100倍以上の業績や仕事量をこなしているにもかかわらず、そんな事実は見ようともせず、ただ根拠のないこれらの理由をふりまわして、自分はできない人間ではない、とウソぶいているのである。
だから、2:6:2で下位の20%を放置しておくと組織が壊れるのである。トップの20%の人間が会社のほぼすべての業績をあげているのならば、下位20%の人間はトップ20%の人間に食べさせてもらっているわけだから、本来であれば大感謝してカバンでも持たせてもらうところであるが、下位の20%はトップ20%を尊敬すらしていないのが通常である。ひどいときには嫉妬して足を引っ張ったりもする(男の嫉妬は怖いというのはこういう身も蓋もない構図から来ています)。そういう人間は基本的に、ダメな自分に甘いのである。
自分にそんなに甘いからダメなのだという逆の論理もあるが、とにかく仕事ができる連中に素直に感謝はしていない。たくさん働いて業績を上げて、給与はそれほど変わらず、尊敬されないばかりか嫉妬されて足まで引っ張られたのでは、上位20%は早晩会社を辞めてしまうであろう。

自民党にも派閥という集団があって、やはり内部は2:6:2でできている。自民党は現在人材がいないと嘆いているが、ほんの15年前までは小泉純一郎も石原慎太郎も自民党総裁選の泡沫候補で、派閥も持たない一匹狼だったのだ(このとき総裁選に挑戦した彼らをマスコミはドンキホーテのように扱っていましたが、この行動力と勇気を評価する視点がなぜ内部になかったのか考えさせられます)。
人材は確かにいたのである。それがなぜ壊れたかと言えば、派閥が内部人事により腐敗して求心力を失ったからである。もともと派閥は田中角栄のような一代のボスが築いた集団である。それゆえ、ボスがいなくなったら解散すればよかったのである。それが権益や発言権を死守するという目的のために内部から領衿を昇格させて世襲制にしてしまったのである。このことによって、並の60%や下位の20%の人材が能力や人望とは違う理由で派閥のオーナーに昇格したのである。派閥が失速した真の原因はここにあると筆者は見ている(世襲議員が根性ないのも同じ理由です。苦労が足りないのです)。

権力闘争によって内部昇格した派閥のリーダーを当の派閥も国民も認めなかった。
それゆえ、今日の“足並みが揃わない”だとか、“足を引っ張る”という現象が消えないのである。要するに、秩序が保たれなくなっているのだ。

内部昇格で首相になった人物も多い。筆者はその中でも、竹下登が出てきたときには宰相に不相応な風采となりに本当に失望し、議員内閣制の不条理を呪ったものである(同じ田中派の親分なのになぜ角栄とこうまで違うのかと思ったものです。がっかりでした)。
その後も派閥内部昇格から何人も首相が出て、特に派閥同士の密室談合で首相になった森喜朗が出てきたときには国民の怒りも頂点に達したのではないか。だれも選んでネーゾという意見は自民党内からも噴出したのであった。

小泉政権が誕生した背景にはこうした派閥政治の腐敗があったのである(もちろん官僚と癒着した族議員という構図もありますが)。
昔の大福戦争や角福戦争や、角栄 vs 佐藤の時代はヤクザの親分同士(派閥の創設メンバー)が戦っていたので派閥にも結束力と方向感があったが、60%の平民と20%の愚民から昇格したリーダーではとても創設者の力量には及ばない。それゆえ、派閥の結束力やロイヤリティも劣化したのである。

自民党は主義主張の異なる議員の集まりなので、本当の意味で言えば郵政民営化なら郵政民営化で意見が皆、一になるわけではない。それは今も昔も変わらなかった。
昔と今が違うのは、昔は反対意見を持つ個人がいても派閥や党が決定するときには反旗を翻したりしなかった。決定するとき(即ち多数決の力を行使するとき)は鉄のような団結力で一枚岩だったのである。
それが小泉政権時代に小泉執行部 vs ”抵抗勢力”という論理で派閥の垣根を飛び越えたために崩れてしまったのである。

かくして、自民党は派閥の再生に失敗したのである。今回の渡辺喜美元行革相の反乱などは足並みが不揃いで足を引っ張り合う鳥合の衆と化した自民党の実態を写像したものである。総論で行革を支持し、大臣を作り、各論で行革に反対し大臣を罷免したのである。
郵政の西川善文罷免も同じ構図である。もっとも、民主党になったら郵政事件となって背景が明らかになると思いますが(西川氏を延命した理由は選挙前にバレてはまずいことがたくさんあるからではないかと筆者などは邪推しています)。

第65回、66回の筆者コラム「民主主義の行方(前編)(後編)」で、「民主主義はなぜ衰退したか」ということを書いたが、今回も劣等な集団による多数決の不合理が”最大多数の最大幸福”をもたらさなかったと考えている。

これから選挙が始まるが、100年ぶりの大不況の中で70年ぶりの政権交代が起きるのか?歴史の転換点はすぐそこに来ていると言えよう。

この世紀の大チャンスに選挙に行かない人がいたとしたら、日食を見逃すくらい残念なことである。
皆さん、選挙に行きましょう。