【第131回】グラン・トリノと米国製造業の衰退

ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」が、ケイト・ウィンスレッド主演で映画化された。これは筆者がここ10年で読んだ恋愛小説ベスト3のうちの1つである。5年位前に新潮社のドイツ語訳で読んだのだが、非常に難しいテーマを見事な筆力で書き切っていて、ギュンター・グラス以来あまり読むものがなかったドイツ小説で久々の名作である。
主人公のハンナを演じるケイト・ウィンスレッドは美人だがドイツ婦人らしくなく、筆者のイメージでは、ケリー・マクギリス(ハリソン・フォード主演の『目撃者』に出ていた女優)か、ブリジット・ニールセン(シルヴェスター・スタローンの前妻で『ロッキー4』や『コブラ』で共演)がピッタリであろうと思うのだが、ハリウッドチームが映画化したのでキャスティングは仕方がない(でもやはり残念ですが)。
最近の映画は日本語の題名がパッとせず、英語の題名そのままの映画も多いが、「朗読者」を『愛を読むひと』という題名としたのはとてもうまい訳である。原作のフレーバーを実によく表現していると思う。

最近のアカデミー賞はいろいろな意味でパッとしなくなった。一昨年が『ノー・カントリー』で、昨年が『スラムドッグ・ミリオネア』である。
『ノー・カントリー』は、No Country for Old Menという原題が示すように、夢のない米国を溜息をつきながら描いている。
一方、『スラムドッグ・ミリオネア』は、インドのムンバイのスラム街の少年がクイズに勝ち進み億万長者になるという物語で、「夢があるんじゃないの」と単純に考えてしまうがどうもそうではないらしい。
筆者の友人曰く「あれは本来アメリカで撮りたかった映画だったんだが、今のアメリカでは撮れない。なぜなら、あれはアメリカン・ドリームを描いた映画だからだ。今のアメリカには冗談でもアメリカン・ドリームなどなくなってしまったんだ」。
アメリカン・ドリームが最後にあったのは恐らく『ロッキー』の頃ではなかっただろうか?1972年のことである。それこそ『ロッキー』でシルヴェスター・スタローンも無名の俳優からハリウッドの大スターにこの1作で躍り上がってアメリカン・ドリームを実現した人物であった。
2つのアカデミー賞作品を通してアメリカは夢のない社会になってしまったということを間接的に表現しているのである。夢のないアメリカのもう1つの代表選手が、クリント・イーストウッドが主演、監督をつとめた『グラン・トリノ』である。
『グラン・トリノ』のあらすじは以下のようなものである。
(以下引用)


朝鮮戦争の帰還兵でフォードの自動車工だった老人コワルスキーは、妻に先立たれ息子たちにも邪魔者扱いされつつ、日本車が台頭し東洋人の町となったデトロイトの通りで隠居暮らしを続けていた。外国人を毛嫌いしていた彼の家にヴィンテージカー、グラン・トリノを狙い、ギャングらにそそのかされた隣家のモン族の少年タオが忍び込むが、コワルスキーの構えたM1ガーランドの前に逃げ去る。
その後、なりゆきでタオの姉スーを不良達から救ったコワルスキーは彼ら家族の温かさに親しみを覚え、タオに一人前の男として仕事を与えてやろうとするが、それを快く思わないモン族のギャングらがタオにからみ、顛末を聞いて激昂したコワルスキーはギャングのメンバーに報復を加える。これに対してギャングらは一矢を報いようとタオの家に銃弾を乱射し、スーをレイプする。
復讐の念に燃えるタオと、それを諌めるコワルスキー。報復の連鎖に終止符を打つべく、コワルスキーはひとりでギャング達の住みかに向かい、そこで懐から銃を抜き出すように見せかけたところ、ギャングらはコワルスキーに対して一斉に発砲、射殺し、その廉で検挙される。このとき既にコワルスキーは自宅を教会へ寄贈すること、グラン・トリノはタオに譲るよう遺言していた。
(以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)、グラン・トリノ、2009.7.6付より引用)



おそらくイーストウッドのファンは最後の射殺されるシーンに肩入れしたのではないだろうか。タバコをくわえて決闘するシーンが、イーストウッドの初期の作品のガンマン姿を彷彿とさせるのである。イーストウッドは映画俳優人生をマカロニ・ウェスタン(この言葉は現在では死語ですかね、イタリア製西部劇でごんす)の名作『荒野の用心棒』からスタートさせている。この映画は黒澤明の『用心棒』のリメイクで、その後の『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』と共にイーストウッドの出世作となったものである。

『グラン・トリノ』の主人公のコワルスキーは映画の最後で煙草をくわえながらガンマンとして死んでゆくのである。最初の役が最後の役となったわけである。ガンマンとして銀幕に登場したイーストウッドはガンマンとして去って行ったのである。

ここまで読んでこのコラムのタイトルである『グラン・トリノと米国製造業の衰退』というのが何の関係があるのかという話に戻ろう。

タイトルの『グラン・トリノ』とは1970年代にフォードが作ったスポーツカーである。イーストウッド扮するコワルスキーは1972年に自らの手で組み上げたグラン・トリノを宝物として大事に保存していたのであった。
映画の場所はおそらくデトロイトのあまり裕福ではない地区で、昔は中流の米国人が住んでいたような立派な家が並んでいるが、今では住民層も変わり治安の悪い地区になっている。おそらくイーストウッドはフォードのリバールージュ工場かハイランド工場に定年まで勤めて米国の工業社会を支えた労働者の一人だったのである。

さて、ここからは筆者の勝手な解釈である(学問的根拠はありません、悪しからず)。

20世紀初頭から1960年代までが米国の製造業の黄金時代であることは余人をして反論しようのない事実であると思う。その当時の米国の産業構造を見ると、WASP(White Anglo-Saxon Protestant)と呼ばれる支配層(米国をもともと創り上げた階級)の下に、貧しく勤勉な移民が工員として働いていたのである。アイリッシュ(『ギャング・オブ・ニューヨーク』のギャング団の母体)イタリアン(『ゴッド・ファーザー』のコーサ・ノストラマフィアの母体)、ドイツ系、ポーランド系などのヨーロッパからの移民が米国の工業社会を縁の下から支えていたのである。彼等は皆カトリックであった(『グラン・トリノ』でもイーストウッドの亡き妻が通っていたカトリック教会の神父が懺悔に来るようにイーストウッドに日参していたが)。
要するに、メジャー支配層のWASPピューリタンの下に貧しい移民カトリックが働いていたのである。

デトロイト周辺のミシガン州にはポーランド系の移民が多く、イーストウッド扮する、コワルスキーもポーランドからの移民の家系である。筆者の友人にもミシガン大のCPIをとった奴がいるが、彼の先祖もやはりポーランドからの移民で、「何でミシガンにはポーランド系が多いの?」と聞いたら、気候がポーランドにそっくりなので移り住んだ人が多かったという話を聞いた。

その構成が変わるきっかけを作ったのが1964年の公民権法である。公民権法はケネディの時代に検討され、有色人種(特に黒人の)参政権をはじめとする人権を白人と同じく付与するものであったが、その後ジョンソン政権下で積極的に政府が後押しすることで黒人の社会的・経済的地位を向上させるために、役所や企業や大学に黒人を優先的に(若しくは白人と同数)採用することを義務付けるアファーマティブ・アクション政策が取られた。これによって米国の工業社会に黒人やヒスパニックが流入し、WASPの下が必ずしもヨーロッパ移民やカトリックではなくなったのである。
米国の工業社会の衰退はここから始まったのではないかと筆者は見ているが、米国でこういうことを言うと人種差別になるので、重要なことではあるが表立っては言えないことなのである。
筆者は差別される側の黄色人種なので別に問題はないと思うが、米国の製造業が世界最強であった時代は間違いなくエリートWASPの下で真面目で勤勉なカトリック系移民が働いていたのである。これがまた、マックス・ヴェーバーが言った、資本主義の精神を体現しているのである。宗教の厳しい戒律が生んだ信頼と勤勉が、富の循環を形成して米国資本主義を発展させたのである(このことはフランクリンを例に出してマックス・ヴェーバーも主張しています)。これはそして米国の資本主義が世界最強であった頃のモデルなのである。

このモデルが1960年代からの公民権運動によって徐々に崩れ、現在のようにビッグ3がビッグ1になってしまう歴史を作ったとも言える。その意味で隣人の中国系移民のために命を落とすポーランド系カトリック移民のイーストウッドは米国の産業構造の終焉すらも演じたのではないかと考えてしまったのである。
ちなみに、黒人系やアジア系移民によって工業社会が衰退したと考えられる国は英国とフランスであり、移民を受け入れてない日本とドイツだけがBRICSの台頭にもめげずにもの作りを続けてゆくのではないだろうかとも筆者は考えている。
最近の米国の裁判で行き過ぎた黒人登用を白人に対する逆差別であるという判決がでた。これは遅きに失した判断といわざるを得ない。
ちなみに昨年までの(ということはリーマン・ブラザーズ事件が起こるまでのことですが)スタンフォード大の卒業生の90%が文系も理系もウォール街(すなわち金融業)に就職したそうである。人材の面でも製造業は衰退していたのである。

アメリカン・ドリームが完全に無くなってしまったアメリカ。明日はどっちだ?