【第125回】GMとともに -GMをめぐる点と線 その2

前回のコラムで長々とアルフレッドスローンJr.著「GMとともに」を引用したことにはわけがある。
1つは、彼等が1920年代(日本では大正時代です)、20世紀初頭に既に生産準備のしくみを確立していたという事実と、当時世界のどの国も追いつけない最先端のテクノロジーを駆使していたという事実である。
何が最先端かというと、製鉄所から搬入されたスティールを金型でプレスして自動車のボディを成型するという現在の生産のやり方を既に確立していたのである。そのころトヨタでは板金工が金槌で鉄を叩いて成型していたのである。大量生産などできるはずもなかった。

ここにスローンの時代から30年後の昭和27年(1952年)7月26日に日本の自動車業界の現状を記録した、「第13回国会、参議院運輸委員会」の議事録がある。出席者は11名、当時の日本の自動車業界を代表するメンバーである。
(以下引用)


第13回国会、参議院運輸委員会
○昭和27年7月26日
○議題:一般運輸事情に関する調査の件(輸入自動車に関する件)
○出席者:
 議員委員 委員長以下11名
 政府委員 通産省通商機械局長
       通産省通商機械車両部長
       運輸省自動車局整備部長
       経済安定本部貿易局次長
 事務局側 2名
 参考人 トヨダ自動車工業株式会社社長 石田退三
      OAS委員  梁瀬長太郎
      東日本カイザーフレーザー社長 櫻井俊記
      大洋自動車株式会社社長 井上正明
      全国乗用自動車協会会長 新倉文郎
      日本貿易協会専務理事 猪谷善一

(以上、「第13回国会、参議院運輸委員会」議事録より引用)


これによると、スローンの時代から30年経っても日本の自動車は鉄を現場の板金工が金槌で叩いて成型して自動車を作っていたことが判る。実に当時のトヨタはGMから30~40年テクノロジーで劣っていたことがよく判る。それが国会で国の問題として議論される状態であったのである。とてもとてもキャッチアップするようなレベルにはなかったのである。
この中に出てくる、梁瀬長太郎という人は現在のヤナセの創業者であり、新倉文郎という人は大和タクシーの創業者である。スローンの生産準備の話から30年経っても日本の自動車は全くGMの足元にも及ばない状態だったのである。
(以下引用)


○石田退三(トヨダ自動車工業株式会社社長)
……需要家のかたがたには非常な御不便をかけ、又同時に、機械技術的なブランクがあったために今日世間で非常な批判を仰いでおるわけであり……
……アメリカの新鋭機械も入ることができ得ると存じておりますので、これができれば五百台(月産)までは生産できる。……
……又価格の問題になりましては、御承知の通りこの朝鮮特需以来非常な暴騰をいたして参っておりますので、今日下げ渋っておる関係がありますが、現に仮にアメリカの鉄鋼材と比べますと、普通の鋼材が先ず一倍半、それから薄板に至っては二倍二部という高価な値段になっておるのであります。而も私どもここで皆さんに訴えたいことは、一番私どもは終戦直後におきましては僅かに三五%の歩止りしかなかったのであります。(中略)今後現在皆さんが非常に設備の改良、その他によりまして改良生産方式をとられることによって、その質がよくなると同時に、最近は各メーカーといろいろ御相談を申上げまして、自動車に極く適当なる寸法のものを頂き、なお自動車に適当なる材質のものを頂く、なおできるだけこの材質についての検討は、材料メーカーと自動車技術メーカーのしょっちゅうの技術懇談会によってこれを打開して行こうという考えをいたして参ったのであります。……(以下省略)

○梁瀬長太郎(梁瀬商会社長 現在のヤナセの創業者)
(前略)国産車の寿命というものは悲しいかな今は誠に短く、不完全なものであって、一年もたてばがたがたし始めて、二年もたてば寿命が終るというふうに、みんな営業を長くした人間は思っております。……
……先ほどお話のように二百や三百作っても只のお稽古で、向こうではプレスというようなぽこんぽこんと打ちあけたようなボディーを作っている際に、こちらではハンマーでひっぱたいてでこぼこのボディーを作って、横から見ると情けないような始末であります。……
……アメリカのように乗用車を作るということはプレス技術もいいようでありますけれども、アメリカのミシガン湖の北川の或るスチールでなければよくて値の安いスチールは得られないというような細かいところまで行っておる。そういうような状態ですから、この点はよく考えて算盤の合うトラック、バスでも精を出して作って頂いて、乗用車には手をお染めにならんほうが経済上却ってよくもあり、国家全体としても又徳用である。……(中略)
国産自動車製造業者のために十分にお考えになってやめられたほうがお得であると差出がましいけれども、私どもは思うのです。それで何が故にこれをお作りになるかというと、恐らくは私は経営者のほうはつまらんということはおわかりであるが、技術者が国産乗用車ぐらい作らせなければ面白くない、何とかわれわれの楽しみに作らせろ、そうは言わんけれどもそういう気分を持って言うので、これが抑え切れないのでこれをお作りになっているのではないかとさえ思った。……
……今外国車の輸入をやめて国産車で間に合せるということは甚だつまらん考えであって、例えば三、四歳の子供の手を取って、これを引っぱり廻せば一人前の競争に出られるか、オリンピックに三つ、四つの子供の手を引いて出そうという考えのように我々には見えます。……

○新倉文郎(大和タクシー創業者)
……国家乗用自動車を使っておりまするのは、我々ユーザーが八五%であります。それから国産乗用自動車を今日使っておるというのは誰が使っておるのかというならばその大部分は我々である。ところがそれはよくて、好きで、望ましくてこれを買っているのかというとそうではございません。泣き泣き買っている、非常に搾取をされて、暴利を貪られて、そうしてボロなものを押付けられておる、……(中略)
……生産コストに重大なる影響を持つ鋼材の問題をおっしゃられましたが、一体乗用車にどれだけの鋼材が使われて、一台に対する原価が幾らになっておるか御明示願いたい。……(中略)
・・・…私はその前に皆さん並びにお役所の人たち、一般の会社、工場、自家用の人たちが一体国産をお使いになりますか。(中略)
……外車を圧迫して手続を複雑にして、何でもいいからいやがらせをして外車を圧迫するというこの保護政策は、国民はさような保護を納得いたしません。国民は断じてさような馬鹿馬鹿しい保護政策は納得いたしません。そこで私どもは、機械局が治外法権的存在において国産メーカーを保護することは、私ども国民の使う者の声ではないのでありますから、一つどうかよその国やってもらいたい。……

○吉岡千代三(通産省通商機械局長)
……まして、国産車と外車との点で国産車が大いに劣ると我々が考えておりますのは、発條の関係、電装品の関係等でございます。(中略)
……走行試験でございますが、東京から大阪、それから更に紀州へ参りまして、伊豆のほうに走行試験をやったわけでございます。特に東京、大阪間はその運転しております者は食事その他で休憩をいたしましたけれども、エンジンはそういう間もとめませんで、ノン・ストップで一種の耐久試験という形でやったのでございますが、幸いにいたしまして十数時間の間全く故障なくしてとにかく一応の使用に耐え得るという程度の見極めがついたのでございます。実は二年ばかり前に同じような試験をいたしまして、このときは終戦直後、生産再開した当初でございましたので、甚だお恥かしい次第ではございますが、第一日においてすでにそういうノン・ストップの耐久試験に耐えなかった、こういうような状況にあったのでございますが、各大学の先生がたもこの期間内としては非常な進歩であるというような御意見でございました。……

○梁瀬長太郎
……鉄の性質その他自動車に向いた鉄が日本でうまく得られるかというと、これが得られません。よほどもっと研究して、支那でも、印度のタタでも、或いはどこの鉄がいいとか、どこから持って来てどうするとか、もっと研究を積んで、自動車の用途に値の安い鉄を選んだほうが勝つようです。その鉄の選択をするほどの余裕がありません。日本では漸く鉄やスティールを入れるだけであって、中の品質の研究、調査をする余裕がありません。……
……それからその他に使われるもので何が国際貿易の上から日本で自動車をうまく作ってアメリカ品などに追着いて行かれるかと調べて見ると、実に何にもありません。それでこちらが研究をして五歩というときにはアメリカは七、八歩進んでおる、七、八歩日本が進むときにはアメリカは十歩進んでおる。この勢いを以て行けば算盤ずくで行っても三年、五年、八年、十年と進むに従ってだんだん開いて行く、いずれの日がこれに追着くことがありましょうか。……

(以上、「第13回国会、参議院運輸委員会」議事録より引用)


ここで興味深いことは、ヤナセの創業者の梁瀬長太郎は、国産自動車が米国のGMに追いつくのはまったくもって不可能であると喝破している点である。
彼はこのあと日本における代表的な輸入車の販売ディーラーになるのだが、その背景にはこうした日本の自動車産業の絶望的な状況があったのである。技術も鉄もマーケットも何もかもが米国に劣っていた時代であった。このころの最先端の米国の自動車産業をキャッチアップできるとはまったく想像だにしていなかったのである。
日本車が米国でMade in Japanとして高品質の代名詞になったのは実に40年後のことである。1990年代にカムリが登場するまで待たなくてはならなかったのである。

面白い資料が出てきたので思い切り横道にそれてしまったが、GMの時代にアルフレッド・スローンによって完成されたGMのマネジメント組織が、その20年後にどのように変化したかを検証してみたい。

●デロリアンの憂鬱
皆さんはデロリアンという言葉を聞いたことがあるだろうか?
今となってはこの人物が、エンジニアとしてポンティアック事業部を大発展させシボレー事業部を建て直し、副社長としてGMの技術のトップであった人物であるということを知っている人はほとんどいないと思う。
デロリアンといえば多くの人が思い出すのはバックトゥーザフューチャーで登場したガルウィングの不思議な車であろう。あれは、GMの副社長であったジョン・Z・デロリアンがGMをスピンアウトし、デロリアンモーターズという自動車会社を立ち上げて作ったDMC-12というスポーツカーなのである。
彼は1970年代のGMの内幕を“晴れた日にはGMが見える”という本の中で詳細に語っている。
その中でGMの伏魔殿であった本社の役員室(これを14階と呼びます)の弊害をつぶさにレポートしている。この14階とはまさに官僚主義GMの中核をなす機関で、これによってGMは長い衰退にむかったことがデロリアンのレポートによってよくわかるのである。
(以下引用)


GMのマネジメント方式
(中略)
GMでは、多種多様な事業部と現業活動を調整し、全社的なプラスになるようにそれらを方向づけるために、一般的な政策指標と統制とを制定、実施し、その枠内で各事業部が担当事業を運営している。この政策ならびに統制機能は、本社経営陣の職責になっていて、おおむね各事業部で名を成した者たちで構成されている一連の委員会を通じて遂行される。ひと頃は、「階上の人たち」、つまり14階にあるこれらの委員会の委員は、現業での経験を基にして事業発展計画を立て全社を統制することになっていた。過去におけるGMの成功の原因は、この集権的な統制と分権化された現業活動とが微調整されて釣合いがとれていた点にあった。
ところが、この微調整がすでに手に負えなくなっていることに私は気づいたのである。昇進を重ねるにつれて、私は、GMの現業活動が徐々に集権化されるのを目のあたりに見るようになった。事業部は次第に、意思決定権限を剥奪されていった。
現業活動の決定がますます、14階で下されるようになった。これは企業経営に必要不可欠の能力と幅広い、事業上の視野とを欠いているかに見受けられる人たちが出世して権力を掌握したために生じた事態だった。
(中略)
委員会と小委員会は、1920年代から40年代にかけて系統的に設けられたのだけれども、GMの発展を計画し方向づけるという役目を果たしていなかった。委員会、小委員会とも大勢に目を注がず、本来ならば事業部どころかマネジメント系統のもっと下の方で検討し処理すべき、事業活動の些事にかかずらわっていた。多大の権限を持っていた技術政策グループ(委員会)の果たしていた仕事が、そういった見当違いの適例である。GMの当初の組織設計では、同グループは、幅広い製品政策と新製品分野をトップ・マネジメントに具申し検討を要請するという役目を果たすことになっていた。ところが、そういった職責分野で活動するかわりに、同グループは、たとえば、個々の乗用車系列のバンパーの大きさやデザインとか、キャブレターの形状とか、シートベルト・ブザーの音色とかいったまことにくだらなぬ技術上の決定にかまけていた。現業部門の、製品関係の事実上すべての決定事項が、ほんの些細な決定事項までもが、同グループの裁決を要した。もちろんこういったことは製品政策とは何の関係もない。この種の些事に没頭していたばかりに、同グループは、急速に業界全体に波及している製品革新の大きな動きをちょくちょく見落とした。小型車ブームに乗りそこねたのが、その一例である。1960年代半ばから末にかけて、同グループには、公式、非公式にいくつかの小型車生産計画が(私自身も関係していたのだが)提出された。それらの計画で提案された、在来型よりも互換性の高い、計量の小型車は、原材料とエネルギーをさほど食わないので、売れ足の早い輸入小型車と(原価面でも)優に太刀打ちできるはずだった。
市場がその方向に突っ走っていたのに、しかし、それらの提案はことごとく却下された。同グループが現業部門の日常活動にかかずらわっていて業界の大勢に目を向けていなかったからである。

(以上、J.パトリック・ライト著「晴れた日にはGMが見える」/新潮社 25-27ページより引用)



これはかつてのGMを揶揄した対岸の火事ではない。
J-SOXやコンプライアンスといった米国グローバリズムの裏で、日本の大企業の管理システムは完全に性善説から米国型の性悪説に転換し、いままで現場が決定したことを、法務とか管理部門が、顧客や協力会社の営業的事情や、商業的道徳心を一切無視して推し進めるようになっているからである。
実は現在の銀行をはじめとする大企業は、こうした竹中教授が推進した米国かぶれグローバリズムの余波をまともに喰らって官僚化硬直化しているのである。これはいまそこにある危機である。日本の企業の活力や、会社間の信頼関係がそれによってずいぶん損なわれているのである。
その影響はオーナーのいないサラリーマン経営者の下で特に顕著に現われている。
たとえば日本の経営者が歯を食いしばって守ってきた雇用の義務をこのサラリーマン経営者官僚団はいとも簡単に放棄してしまったのである。最近の期間工のレイオフなどもその典型的な例である。すべてが米国化して性悪説に傾いている。これは日本の国を劣化させる非常に深刻な爆弾であると筆者は考えている。
デロリアンはこの性悪説バリバリの14階官僚集団の一員となって様々な問題を見つけるのである。
(以下引用)


無駄な業務や会議
1960年代に事業部のマネジメント階層を昇っていくうちにしかし、私は、本社の経営担当者が「役立たず」になってしまったような気になるのは、能力を発揮するほどの仕事をしていないからだ、ということに気づき始めた。階上に昇るに及んで、グッドマンの言葉は、私にとってさらに大きな意味を持つようになった。担当職務から満足を得られなかったばかりでなく、担当職務の相当部分が、上役が私にやらせたがっていることで構成されていることを知ったからだ。私が本社トップ経営陣に参加するかしないかのうちから、テレルは私に仕事をあてがい始めた―こまごまとした仕事、馬鹿馬鹿しい仕事、仕事のための仕事を、マネジメント系統のずっと下の方で決を下して然るべき仕事を。
そういった仕事の中には、事業活動に何の影響も及ぼさないものがあった。その種の仕事をあてがうのは相手の知能、知識に対する侮辱以外の何物でもない―相手が17年に及ぶ勤務歴を持つ、かなりの実績のあるGMマネジャーともなればなおさらだ。
(中略)
同じ頃、私は突然、後にも先にも例がないくらい大量の書類の山に埋まることになった。毎日、文字通り六百項から七百項の書類を読みかつ処理しなければならなかった。なかには重要な書類もないではなかった―たとえば、事業部からの業績報告書のように。けれども大部分は、グループ担当副社長というマネジメント・レベルにとってはどうでもよい書類だった―たとえば、セントルイスの新設ビュイック地区事務所の賃貸契約書(要サイン)のように。テレルが私にあてがっていた仕事同様、これらの事項の大部分は、マネジメント系統のはるか下の方でストップして然るべきものだった。にもかかわらず、なんとはなしに「14階」まで上ってきたのである。
このような山のような書類の一部は、「14階」で催されるおおむねどの会議に関してもその内容について「事前情報」を流す、という慣習から生じたものであった。会議に出席する経営担当者の一人一人に、会議で行われるプレゼンテーションのテキストが配布されることになっていた。14階の会議では、予期せぬことが起こってはならないのである。各経営担当者は事前にテキストを読んだうえで会議に出席し、プレゼンテーションを聞く。たとえばマーケティング部が火曜日の会議で特定の計画を提案する予定だとしたら、その前の週の金曜日か前日の月曜日までに、関係経営担当者の手許に計画のテキストを届けておくのである。
この慣行は無駄なように私には思えた。同一の情報を少なくとも三度入手することになるからだ―まず最初にテキストを読み、次に会議でプレゼンテーションを聞き、最後に会議の詳細な記録に目を通す。かりに提案された計画について引き続き会議が開かれるとしたら、同一のプレゼンテーションを最低6回、受けることになる。この慣行は結局、芳しくない結果しか生まなかった。他の面でもっと有効に生かせたはずの、経営担当者たちの貴重な時間を空費させ、会議をだらけさせ、退屈なものにしたのだ。
私が出席した「14階」でのプレゼンテーションでは、聴き手の経営担当者の三分の一もが居眠りしている、といった状態が再々だった。大口を開け高鼾をかく、といった態の居眠りではない。静かで安らかな眠りである―椅子に深々と身を沈め、両腕を組み、頭を垂れ、すやすやと寝息を立てているのだ。フィルムによるプレゼンテーションの場合には、暗雲の中で時には半数が眠りに落ちる。

(以上、J.パトリック・ライト著「晴れた日にはGMが見える」/新潮社 55-57ページより引用)


それでもデロリアンはエンジニアとして技術オンチの財務畑出身の14階の住人たちに小型車にシフトする重要性を訴え続けた。
GMのすべての首脳陣が小型車の将来を理解していなかったわけではない。一部の財務出身の技術オンチ集団が理解できないので反対しただけのことなのである。要約すれば、自動車をつくるメーカーのトップであるにもかかわらず金勘定しかしたことがないので、自動車に興味がないし、理解もできなかったということである。皆さんはこれを笑い話にするであろうが、ソフトウエアの会社にソフトウェアがさっぱりわからない経営者はたくさん存在するので日本でも不思議なことではない。コンプライアンスを重視しすぎると官僚的な特殊な人材が上に行ってしまって現場から乖離するオペレーションを実践する例は日本でも沢山出てきている。
ちなみにデロリアンは小型車について下記のように痛切に反省している。
(以下引用)


職業人としての最大の過ち
(中略)
結局のところ、「14階」での私の努力は全然、実を結ばなかった。その責めの一端は、トップ・マネジャーたちが(エド・コールは別にして)、自動車事業の実際の運営経験を持っておらず、健全な事業上の成果を挙げることを閑却してGMのシステムの恒久化をいちずに目指していたことにある、と私は思っている。意思決定をスピード・アップし、市場の動向(たとえば、好み)に逸早く呼応し、ディーラー・サービスを向上すべく私たちが設計していた計画の重要性がトップ・マネジャーたちには根本的には判っていなかった。「14階」で重要な意思決定に携わっていた人たちの多くは、財務スタッフを通じて、あるいは非自動車事業や部品事業部門で、GMという会社を知った人であり、知る人だったのである。この人たちには、私たちが設計した計画の妥当性が判らなかった―それらがいずれも、気をそそるようなキャッチ・フレーズつきの派手な計画ではなく、適切に調整された、懸命な努力だけを要求する単純にして基本的な計画だったからである。
同時に、「14階」で私の努力が実を結ばなかった責めの一端は、私自身にも帰さざるを得ない。私から見れば、たとえば小型自動車への転換といったような決定は、GMの将来のためにどうしても下さなければならない重要決定であることが明々白々だった。私としては、そのことを何としてでも上司たちに理解させるべきであった。コルベア計画や大々的なバンケル・エンジン計画は、結果が吉と出るという確証がなかったにもかかわらず、本社への売込に成功している。そういう先例がある以上、GMにとって基本的に重要な私の計画が、本社に売り込めないはずはなかったのである。
私が「14階」で、何としてでもそういう任務を果たすべきだったことは、自動車業界におけるその後の変動を振り返ってみればなおさら明らかである。が、私はそうはしなかった。
これはGMでの職業人生を通じて最大の過ちであったと今の私は思うのである。

(以上、J.パトリック・ライト著「晴れた日にはGMが見える」/新潮社 383-384ページより引用)


会社を去る前、デロリアンはGMの危機をライバルのフォード社と比較してレポートにまとめている。そのレポートの内容は、現在でもGMの問題の本質を14階に訴えている。
この企画(筆者コラム「GMとともに」)はこのあとに“リーン生産方式が世界の自動車産業をこう変える”と、“トヨタがGMを越える日”も引用しようと考えていたが、あまりにも長くなりすぎるので、このデロリアンの迫真のレポートを引用して、今日のGMの衰退の歴史の研究にひとまずピリオドを打ちたいと思う。
GMはアルフレッド・スローンという天才経営者兼エンジニアによって世界一の自動車会社になったが、その後継者たちは彼の残した偉大な経営マニュアルである“GMとともに”をついぞ理解できなかったのである。それはそのはずで、金勘定しかしたことのない連中が、ものづくりなど理解できるはずもないのである。
これは米国の社会全体に言えることである。
カリフォルニアのパロアルトにスタンフォード大学という名門大学があるが、現在、そこの卒業生の90%は金融業に就職するそうである。
筆者は製造業が衰退した国は徐々に国力を落として行くと考えている。
ましてや米国は強大な軍備を維持してドルを防衛しているが、軍事費は再生のない投資なので必ず国力を衰退させることになる。
英国や米国の現在の姿は、明日の日本ではないだろうかと心配する今日この頃である。
(以下引用)


GM・フォード経営比較調査報告書
(中略)
「フォード社との比較により明らかになったのは、GM内部には本当の意味での問題が存在しているということである。当社の絶対的な利益率がフォード社と比較して高いという事実を隠れ蓑にするのは、それが主として中価格ならびに高価格市場における当社の相対的な優位によるものであるだけに、無謀のそしりを免れない。……いまのGMのマネジャーの士気と効率は、近代GM史上、最低である。GMのさまざまなマネジメント階層は、互いにあからさまに批判し合っている……何よりも問題なのは、14階に、極めて多数の無能なマネジャーがいることである……今日のマネジメント上の過誤の大部分は、作為の過誤ではなく不作為の過誤である……機会をみすみす取り逃がし―やるべきことをやらずにいる……現にわれわれがシボレーで強化している少数グループを例外として、GMには事実上、マーケティング専門家がいない。スローン氏の教えに反して、われわれは、入手し得る最良の情報を利用して決定を下してはいない。最新のマーケティング用具のどれ一つとして、系統的に、ないしは広範に、利用されてはいない。たとえ利用されたとしても、その結果は無視されるのが通例である。……年に五十万ドルも稼ぐ経営担当者たち、もう何年来、当社の顧客がそうしているように自分で自分の車を買ったことがない経営担当者たち、しかも、同僚経営担当者としか社交上の接触のない経営担当者たちには、世間の好みを判断する基盤がないという事実を、われわれは忘却しているように思われる……いまのGMには、士気の高いチームもなければ、この会社を築き上げたチーム精神もない……現行グループ・マネジメント体制は、この問題についての理解が無きに等しいために、何の成果も挙がらない安易な解決策しか生み出していない……ジョン・ベルツが指摘した通り、企業としてのGMのイメージは、今日、どの事業部よりも低い―この場合にもまた、その原因はわれわれが行為せずに反応している事実にある……当社が外国の乗用車メーカーと太刀打ちできないのは、何よりも経営陣の過誤によるところが大きい。かつての経営陣は、当社の利益獲得上の優位を貪欲に利用したものである……いまのシステムと経営陣は、社内の進取の精神を押し殺している」
私はまた、GMの抱えている問題とそれらの問題がもたらした結果をも指摘した。

トップ経営陣の経験と能力の欠如-
「いまのGMで事業上の重大問題に直面した際に、いったい誰に助力と助言を求めたらいいと言うのか?自動車事業のグループ副社長または執行副社長の職位に、自身で乗用車事業部を運営したり苦境に喘いでいる事業部ゼネラル・マネジャーに手を貸してやれるだけの力量の持主が就いていたのは、過去七年間中たったの二年間だけである。その結果、それらの職位に就いていた者には、もがき苦しんでいる経営担当者を―助けてやるどころか―解任するという姿勢が生じた。これは、GMの主たる強みの一つ―深甚なる相互忠誠心―の棄却以外の何物でもない。かりに私自身が深刻な問題に直面しているとしたら、いったい誰に相談を持ちかけるか?ダン・ボイズ(グループ副社長)でもなければ、ロジャー・カイズでもなければ、エド・ローラートでさえもないことは確かだ。ルーブ・ジェンセンやディック・テレルに助力を(儀礼的には別にして)求めようと心底思う事業部ゼネラル・マネジャーは今日恐らく、唯の一人もいないだろう。二人とも大物ではあるけれども、二人とも、シボレーのどのエンジン工場と比べても小規模で管理の簡単な事業しか運営したことがないし、事業上の重大問題に直面したことがないし、もう一つ付け加えれば成功者として知られてもいない。何よりも問題なのは、二人が、自動車事業に関する知識と能力をまったく持ち合わせていないことだ。二人と話合いをやると、ごくごく簡単なことでも、救いがないくらいこみ入ってくる―どんな問題でもイロハから説明しなければならないし、事業とどういう関係があるかを納得のいくように説明してやらなければならないからだ。
しかも、そこまでしてやっても、二人は、自分たちの経験かさもなければ他事業部の慣行を基にしてしか判断を下さない。これでは、指導や革新など、問題外である……この人たちは何の助けにもならない、そればかりか、この人たちのやっていることは大概、正しくない」

計画立案の欠如-
「自動車事業に関する知識と理解を持ち合わせていない経営担当者が、この事業を正しく方向づけることはまずもって無理である。GM本社には、われわれが直面しているあまたの重要問題―売上高収益率や投資収益率を低下させている重要問題―を建設的に解決する指針がない。GMには、マネジメント全階層に効果的に作用する指針が欠如しているのである」

適切な経営者育成計画の欠如-
「GMにおける不作為行為の最高の事例は、熟練した自動車事業マンを育て上げなかったことだ。これは当社の悲劇でもある。自動車事業分野で継続して十五年ないし二十年間、訓練を積んでいない限り、乗用車事業部を運営することは不可能である―ましてや、自動車事業担当級マネジャーの任を果たすことは無理である。この種のマネジャーの下で乗用車事業部が繁栄する方途は唯一つ、経験を積んだ有能なスタッフを配置することである―その場合、当該事業部を運営するのは、スタッフであってマネジャーではない(私自身がGMで訓練を受けた期間は、おおむねどの基準に照らしてみても、極めて短い)。
財務畑出身の経営担当者は記録をとる面では優れているように見受けられる―が、事業運営には彼だけでは不十分で、もう一人、ゲームを自分でプレイできる経営担当者がいなくてはならない。シボレー事業部に着任する早々、私はシボレーの減収減益に関する六部の財務分析報告書、四部の提示を受けた。が、それらのいずれもが、真の問題点の深い理解に欠けていた。それらの報告書を基にして問題に取り組んでも(たとえば、ピート・エステスのように)、絶対に、問題を解決できるはずがなかった(たとえば、ピート・エステスのように)」
「明らかに、われわれは、株主への義務を果たしてこなかった。当社は本質的に自動車製造会社である。にもかかわらず、われわれは、当社の将来の自動車事業を成功疑いないものにするような経営担当者の育成をなおざりにしてきた。このような状態では、GMの将来が真に危惧される。GMには、とてつもない潜在能力がある―が、このことが認識されているとは言い難い」

(以上、J.パトリック・ライト著「晴れた日にはGMが見える」/新潮社 411-415ページより引用)