【第124回】GMとともに -GMをめぐる点と線 その1

今はさっぱり名前を聞かないが、ソニーの出井伸之氏がCEOになったとき、彼は経営の座右の書として、アルフレッドスローンJr.の名著「GMとともに」をあげていた。
筆者は製造向けソリューションを開発販売することを生業としているが、GMくらいの会社になると規模が大きすぎて全く関係ないという存在である。従って、現在のGMやクライスラーの経営危機は海の向こうの火事で個人的な臨場感はないのだが、「GMにとって良いことは米国にとって良いことだ」とさえ言われた、世界最強にして優良であった会社がなぜチャプターイレブン(連邦破産法第11条)の一歩手前まで傾いたかということを歴史的な推移から考察してみようと思う(ちなみに、GMは現在も年間売上19兆円で26万人のグループ社員を抱え、年金受給者、ディーラー、部品メーカーを含めると実に120万人の生活を支える大会社である)。

教科書は4冊である。

1冊目は、スローンの「GMとともに」
2冊目は、デロリアンの「晴れた日にはGMが見える」
3冊目は、MITの「リーン生産方式が、世界の自動車産業をこう変える」
4冊目は、ミシュリン・メイナードの「トヨタがGMを越える日」

これらの文献を辿ってゆくと、世界最大の自動車会社GMがなぜ今日のような状態になったのかということを考察できるのである。GMをめぐる点と線である。
GMのワゴナー会長の経営の失敗の要因は米国議会の公聴会でいろいろ査問されているが、筆者の視点からTPS(トヨタ生産方式)の手法の1つである“5つのなぜ”を使って真因を分析してみよう。

1.なぜGMは赤字になったのか?
→儲からないのに経費がかかるから。
GMの北米での販売台数は減少の一途を辿っている。
90年代初頭には25%あった米国市場でのシェアは前年の1,610万台から減少して1,400万台21%と見込んでいるが、それもサブプライム問題などで確保できる見込みがたたない。それに引き換えコスト構造のほうは従業員一人あたりの労務コスト(時給換算)が76ドル。トヨタと比べて18ドル高い。特に全米企業中最大級の医療費の負担が約50億ドルにもなっている。
また、UAWとの協定で悪名高き「ジョブズ・バンク」制度により、レイオフ(一時解雇)期間中も組合員に賃金の85%を保障する。組合員の中には、会議室で仕事を待ったり公園の清掃に回されたりする日々を何年間も続けた者もいる。その間もずっと賃金に近い額が支払われていたのだ。

2.なぜ儲からないのか?
→北米でシェアが落ちて販売が落ち込んでいるからである。
また、魅力ある車が出せていなくて中国などでもどんどんシェアを落としている。
UAWとの協定で工場を止められず売れない車でも作り続けなくてはならず、その売れない車を安い価格でレンタカー屋に卸し続けたのでブランドイメージでも低下した。米自動車アナリストのマリアンケラー氏のコメント:「マザー市場である北米での販売不振の本質はガソリン高だけではない。新モデルの投入が極めて遅いのだ。開発期間も長く、消費者の需要が変わった頃に以前の需要観測に基づいて開発したモデルを投入する。GM車は日本車に比べて燃費が悪いだけでなく非常に鮮度が悪い」

3.なぜ売れる車が作れないのか?
→スローンの時代でさえ新車の開発には数千人のエンジニアが本来必要であるのに、技術の理解のない単純な経営幹部のリストラによってエンジニアが弱体化してしまったから(その中には新車の開発で重要な働きをする間接部門の部品表や生産準備の専門家もいました)。1920年代のスローンの時代でさえ、GMには2万人のエンジニアが活躍していた。

4.なぜそんな重要なエンジニアを簡単にレイオフしたのか?
→トップが技術を理解していないから
12月4日の米上院銀行委員会にて開かれた公聴会で、ワゴナー会長は証言陳述書の中で「我々は過ちを犯した」と証言し、燃費のよい環境対応車などへの投資が遅れたことを認めた。だがこれは問題の本質を理解していない者の発言と言わざるをえない。

5.なぜトップが技術を理解していないのか?
→4代続けて財務出身者がCEOに就任したため、官僚主義的文化や消費者を省みない独裁的な経営から脱却できなかったから。
実は、GMはロジャースミスの時代に84年にトヨタとの合併事業「NUMMI」(カリフォルニア)を設立し、そこで日本のカイゼンやTPSの手法を学んだ。
幹部候補生が多数輩出されたが、そのメンバーを主流の工場に配属することはなかったし、経営の中核にすえることもなかった。財務主導の官僚主義の中で完全にものづくりが忘れ去られて行ったのである(これって、日本の某会社と全く同じ状況ではないか?)

GMの歴代トップを調べてみると以下のようになる。

 Alfred P. Sloan, Jr. (May10, 1923 – June 3, 1946)
 Charles E. Wilson (June 3, 1946 – Jan. 26, 1953)
 Harlow H. Curtice (Feb. 2, 1953 – Aug. 31, 1958)
 Frederic G. Donner (Sept. 1, 1958 – Oct. 31, 1967)
 James M. Roche (Nov. 1, 1967 – Dec. 31, 1971)
 Richard C. Gerstenberg (Jan. 1, 1972 – Nov. 30, 1974)
 Thomas A. Murphy (Dec. 1, 1974 – Dec. 31, 1980)
 Roger B. Smith (Jan. 1, 1981 – July 31, 1990)
 Robert C. Stempel (Aug. 1, 1990 – Nov. 1, 1992)
 John F. Smith, Jr. (Nov. 2, 1992 – May 31, 2000)
 G. Richard Wagoner, Jr. (June 1, 2000 – Present)

1992年に失脚したステンペルを除くと、GMの1974年からの34年間の経営のうち、32年間もの長い間、4代続けて財務畑出身者がGMの経営の舵を握っていたのである。
筆者はGM衰退の真因がここにあるとにらんでいる。一言で言うならば、財務主導の官僚主義である。
実は、J-SOXの普及に伴って日本の大会社は管理部門が強くなり、現場から遠く離れた官僚が経営を主導するように変化しつつある。
実はこれは見えざる脅威なのである。
部門の縦割の硬直的な官僚主義がコンプライアンス強化の名のもとに日本企業を蝕もうとしている。これも米国の戦略である。その先棒を担いだ米国かぶれが、かの竹中先生であった。

アルフレッドスローンは名著「GMとともに」の中で自分達のことをこう語っている。
(以下引用)


二万人のエンジニア
GMはエンジニアリングを柱とする会社である。金属を切断して付加価値を生み出すのだ。エンジニア、研究者は全社で19,000人。うち17,000人が事業部に2,000人が本社に所属している。私を含めて経営陣の多くもエンジニア出身である。したがって私たちはごく当然にGMの発展がテクノロジーの高度化と密接に結びついていること、テクノロジーを高度化させていくという努力に終わりがないことを絶えず念頭に置いてきた。1923年に技術委員会を設置した際にも、私はこの問題に関して「研究とエンジニアリングは、組織上、業務オペレーションと同じ重要性を与えられるべきだ」との方針を表明した。
産業界の研究・エンジニアリングを飽くことなく推し進めるのは、テクノロジーの進歩を加速させるためである。科学技術の最新成果を製品や製造に活かすため、開発から生産までの期間を短縮するためである。これらの目的を達するために、GMではすでに何年も前から本社と事業部の機能を分けている。研究スタッフは1920年代初めに、エンジニアリング・スタッフはそのおよそ10年後に、それぞれ1つの組織に集めた。今日では、本社の技術スタッフ部門はリサーチ・ラボラトリーズ、エンジニアリング部門、製造部門、スタイリング部門の4つとなっている。これらは、デトロイト近郊に1億2,500万ドルを投じて設けたGMテクニカルセンターに集約され、大学のような近代的な雰囲気の中で業務に当たっている。
地理的に近くに集めたのにはそれなりの理由がある。いずれも、幅広い科学技術を活かして創造的な業務を遂行しており、性格が似通っているのだ。加えて、関心の対象や活動内容も重なるため、調整が必要とされる。
(以上、アルフレッドP.スローン,Jr.著「GMとともに」/ダイヤモンド社 275~276ページより引用)



また、現在問題となっている新車の開発に関しては、1章を割いて生産準備に関して一家言を吐いている。
生産準備とは、トヨタでは“生準”、ホンダでは“ワイガヤ”と呼ばれ、設計から試作、量産ラインの立ち上げまでの新車を世に出すまでの全ての仕事を統合化したものである。
弊社「ECObjects」もトヨタ関連のTier1、Tier2を中心にこの生産システムを十数社納入しているので新車開発の手順は一通り知っているつもりであるが、“関所”という会議体と、その関所を通過するための“手形”と呼ばれるドキュメント(成果物)が何千何万と存在し、それに対するマイルストーン(納期)も何千とある膨大なプロジェクトである。全社横断した活動でもあり、トヨタはそれを主導するために、主査という全権を掌握したリーダーを立てたりするのである。

アルフレッドスローンの時代、その生産準備(新車の開発)がどうであったのを見てみよう。
(以下引用)


新モデルの投入が決まってからそれがディーラーのショールームに並ぶまでには、平均で2年ほどを要する。通常、この2年間にどのような順序で市場投入への準備を進めるかは、主にボディ生産の都合をもとに決められる。一般に、ボディには毎年大幅な変更が加えられ、最も多くの時間が割かれる。もとより、車台の各パーツにも絶えず手が加えられてはいるが、フレーム、エンジン、トランスミッション、前輪サスペンション、後輪サスペンションなどすべてを一時的に変更するのは稀なのだ。
おおむね、新モデル開発の1年目に技術、スタイリングの基本線を定め、2年目には本格生産に向けて技術面の詰めを行っていく。いずれの作業も、期間を大幅に短縮するのはきわめて難しい。スタイリングの基本コンセプトを十分な時間をかけずに決めると、消費者に受け入れられない製品を抱え込んでしまうおそれが大きくなる。生産準備を短期間にすまそうとすれば、莫大な時間外勤務手当てを支払い、在庫問題を生じ、悪くすると生産開始時期を遅らせかねない。この最後の点は、新モデルの発表時期の遅れ、販売機会の喪失にもつながる危険がある。
他方、開発期間を長引かせるのも賢明とはいえない。理屈のうえでは当然、3年前あるいは5年前からモデルチェンジの計画を練っておくのは可能だ。実際、おおかまな構想はその時期から温められている。とはいえ実際上は問題がある。検討段階では、発売時の市場がどうなっているか、雲をつかむようなものなのだ。現状のように開発期間が2年であっても、やはり市場予測の精度を高めるのは至難の業である。問題点を次のように説明すればよいだろうか。GMをはじめ各自動車メーカーは、新製品の開発に何百万ドルもを投じなければならないが、実際に市場に投入できるのは相当な期間をへてからである。その間に消費者の嗜好、収入水準、支出習慣などがすべて、急速に変化しないともかぎらない。言い添えれば、新モデルを最初に構想した時点では、それが「ふさわしい」のかどうか確信できない。消費者にデザイン図を示したり、アンケートを行ったりしても、そこから市場の反応を正確に導けることは多くはない。買い手は、新モデルの実物を目にするまでは、購入意欲をそそられるかどうかを判断できない。これは自動車のマーケティング・リサーチが背負う宿命ともいえる。それでもメーカー側は、市場に投入する以上は何としても売らなくてはならない。莫大な資金をすでに投じているからだ。自動車メーカーはすべて、消費者の反応に意表を突かれた経験があるはずだ。にもかかわらず物事の道理として、新モデルを市場に送り出すためには、事前のプランづくりと調整が欠かせない。
これはある意味で特殊な調整で、何年ものプランニング経験をとおして進歩してきたものだ。GMが1921年から22年にかけて破滅の瀬戸際に追いやられたのは、社内調整のメカニズムが確立されておらず、新モデルの開発に当たってマネジャー・グループ間の協働がうまく機能しなかったからである。この苦い経験の後、私たちは徐々に新モデル開発のための制度と手法を設けていった。新モデルの生産手順をマニュアルにまとめたのは、たしか1935年が初めてだった。その目的は次のとおりである。

①必要なデータを揃える方法を明確に秩序立てて示し、新モデルの位置づけを実用面、財務面、技術面から評価できるようにする
②開発承認から生産までの進捗度合いを関係者すべてに明らかにする

新製品の承認手順は1946年に大幅に改められ、現在でも小幅の変更が折に触れて行われている。ただし、このようにして文書化された手順は、新モデル開発のタイムテーブルとは異なる。
新モデルの開発期間は平均で2年だと述べたが、これは発売の2年前にゼロからスタートするという意味ではない。たとえばスタイリングの担当部門は、遠い将来までを視野に入れながら、たゆまずに新しいデザインを試している。このため、常に多数のデザイン構想が日の目を見るのを待っており、その中にはきわめて伝統的なものから、革新的なものまで含まれている。それだけではない。各事業部では、車台を中心に多彩な新機能を間断なく開発している。その一部はリサーチ・ラボラトリーズ、本社エンジニアリング部門、アクセサリー事業部から自動車事業部に引き継がれ、改良のうえ、商用モデルへの搭載が決められる。あるいは、事業部の技術現場や研究部門でアイデアが芽生え、育まれたものもあるだろう。
通常、新モデルについて最初の会議を開く頃には、すでに何回も非公式の相談が重ねられているものだ。たとえば、各自動車事業部の上層部とスタイリング部門は、過去の生産プログラムについて長所、短所双方を振り返り、顧客調査レポートや市場分析に目を通し、新車のサイズやスタイリング・コンセプトなどについて話し合う。テーマの一部については、本社エンジニアリング部門、フィッシャー・ボディ事業部、経営陣などとも相談するだろう。
将来のモデルをめぐっては、常に何らかの重要な業務が進められてはいるが、社内の大勢が新モデルの開発が始まると意識するのは、エンジニアリング・ポリシーグループによって会議が招集された時である。覚えておいでかもしれないが、これは経営委員会の直轄下にあるグループで、メンバーは会長、社長ほか、本社の主要重役で構成されている。議長を務めるのは本社エンジニアリング部門担当のバイス・プレジデントである。このグループは全社方針の策定を使命としているため、各自動車事業部やフィッシャー・ボディのトップはメンバーに含まれていない。ただし、議題に応じて、関連する事業部のトップやエンジニアに出席を求める例は珍しくない。
この最初の会議では、スタイリングや技術の観点から新モデル開発プランの大筋を定める。すなわち、外観やサイズの大枠を決め、スタイリングや各部位の開発の方向性を見出すのだ。シートの幅はどの程度が望ましいか。ヘッドルームとレッグルームの広さは。全長、全幅、全高は・・・・・・といった事項を詰めていく。スタイリング部門が実寸大のデザイン図を示し、出席者は外観、サイズ、車内のゆとりなどについてイメージをつかむ。デザイン図のほかにも、「シーティング・バック」という内装の実物大模型を用意する。これを用いると、ドアを開けたときの内側の様子、車内の見通し、ゆとり感、シートの位置などが確認できる。各人が、スタイリング担当者のイメージを視覚的に確認できるのだ。
スタイリング・スタッフはこの“キックオフ・ミーティング”での議論を受けて、実物大のスタイル画、クレイ模型、シーティング・バックを車種ごとに何種類も製作していく。併せて、目的を100%達成できるように、また機械類の準備や製造面での要求に十分に応えられるように、ミーティングの後何ヶ月にもわたって、各自動車事業部やフィッシャー・ボディ事業部と緊密に連携しながら仕事を進めなければならない。各車種の基本デザインを決めるのは、原則としてスタイリング・スタッフの仕事である。言い換えれば、セダン、クーペ、ハードトップ、ステーションワゴン、コンバーティブルの基本デザインを、おおむねこの順序で練り上げていくのだ。各事業部のスタイリング部門にはスタジオが設けられており、そこで車種ごとの個性や特徴が生み出されていく。<シボレー>と<ポンティアック>にそれぞれの「風貌」があるのも、こうした努力の賜物である。
開発プログラムが始まってからの数ヶ月間、さまざまなクレイ模型の作成、改良が絶えず繰り返され、その都度、全体のスタイリングに合わせて座席の配置も変えられる。その際には、スケッチや小型クレイモデルが参考にされることも少なくない。いずれも、より新しく魅力的なコンセプトを実現するために、用意されるのだ。
この間、自動車事業部やフィッシャー・ボディ事業部のエンジニアリング部門は、本社スタイリング部門と絶えず協力しながら、ホイールベース、地上高、トレッドなど車台各部の寸法や、エンジンや駆動装置の必要スペースなどを決めていく。これら基本条件が決まって初めて、スタイリング部門は新モデルのコンセプトを固められる。
こうして、エンジニアリング・ポリシーグループの初会合からおよそ2ヶ月後には、実物大のクレイ模型とシーティング・バックを用いてセダンのスタイリングが提案される。スタイリングの完成度は高く、すでにフィッシャー・ボディを含む関連事業部の承認が得られているはずだ。以後、ポリシーグループの会合は少なくとも月に1回のペースで開かれ、セダン以外のスタイリングが順次提案される。ただし、提案順に承認が下されるとはかぎらない。検討と修正の期間が4,5ヶ月間ほど続いた後、クーペがセダンよりも先に承認されるということも十分にあり得る。いずれにせよ、遅くとも生産開始の18ヶ月前には、ポリシーグループによってセダンのクレイ模型が承認されていなくてはならない。このプロセスをへてようやく、スタイリング部門がフィッシャー・ボディ事業部にデザイン図を示し始めるのだ。
この後、スタイリング部門は外装(エクステリア)のプラスティック模型を作成する。これはスタイリング・コンセプトを確認するための低コストで効果的な方法だ。クレイ模型は実物よりも重々しい印象が避けられないが、プラスティック製では光の反射具合まで完成車に模すことができる。窓枠にガラスをはめ、クロムの装飾を施せば、完成車にどこまでも近づいていく。
新モデルのコストは、生産開始のおよそ18ヶ月前にはある程度の見通しがつく。サイズと予想重量が判明しているため、それをもとにフィッシャー・ボディが生産・エンジニアリングのコスト(金型、治具、機械装置などのコスト)を見積り始めているのだ。フィッシャー・ボディは通常、エンジニアリング・ポリシーグループがクレイ模型を承認する以前からすでに、コスト見積りに着手している。この段階に入ると、機能別にコストと顧客へのアピール度を比較して、必要があればデザインを変更できる。近年、機械関連のコストが心持ち下がっているのは、構造上の特徴やインナーパネルの規格化を部分的に推進しているからである。
エンジニアリング・ポリシーグループ、フィッシャー・ボディ事業部、自動車事業部によってクレイ模型、当初のプラスティック模型が-しばしば修正のうえで-承認されると、スタイリング部門はそれまでよりもはるかに精巧なプラスティック模型を作成し始める。ここに至ると、模型といえども見たところは隅々まで完成品と同じである。初期にはこれは、モトラマショーへの出展車や試作車を短期間に低コストでつくるために用いたが、後には生産前の最終確認のみに使うようになった。強化プラスティックが開発される以前は、スタイリング模型を完成させるには木材と金属を使って12ないし14週間ほどもかかった。強化プラスティックを利用すると4,5週間ですみ、機械類や金型の準備に多くの期間を費やせるようになった。

基本設計から細部設計へ、そして生産へ

続く6ヶ月ほどは、きわめて複雑な調整を進めなければならない。プラスティックの最終模型がつくられている間、スタイリング部門は主なシートメタル表面、さらにドアハンドル、鋳造など細かい部分の設計図を自動車事業部やフィッシャー・ボディに提出する。フィッシャー・ボディは、それを受けて可能なかぎり速やかに生産用機械の設計を進める。まずカウル、ドアパネル、フロア、ルーフ(天井)など、大型で複雑な部分から始め、小さくシンプルなものへと移っていく。
そして生産開始のおよそ12ヶ月前、強化プラスティック製の最終模型をもとに、エンジニアリング・ポリシーグループが設計・デザインに最終承認を下すと、フィッシャー・ボディは機械類の設計を固め、その製造に入る。
ここでいう承認とは、製品ライン全体の生産にゴーサインが出されたことを意味する。これ以降は、各事業部がスタイリング部門と直接連携しながら、詳細を煮詰めていく。ボディの鋳造、内外装、ダッシュボード、そしてもちろん、各スタイリング・スタジオによるフロント、サイド、リアの設計などを詰めていくのだ。これら詳細はエンジニアリング・ポリシーグループにも説明のうえ、承認を求める。これと並行して、各事業部は試験用の車台を手作業でつくり、車台の詳細設計図をフィッシャー・ボディに提示する。
このように、何か大きな問題がないかぎり、ディーラーのショールームに製品が並ぶ1年前には、主な方針はすべて固まっているのだ。エンジニアリング・ポリシーグループ、さらにフィッシャー・ボディ事業部、スタイリング部門、各自動車事業部の代表者はすでに精巧なプラスティック模型の精査を終えている。新型モデルは正式に承認されたも同然なのだ。これ以降に大幅な変更を加えると、多大なコストをかけて金型をつくり直さなければならず、さまざまな機械類の追加コストが生じ、多くの時間が失われる。煎じ詰めれば、生産とその準備に過剰なコストがかかるということだ。
とはいえ、時にはやむを得ない事情によって、途中変更を余儀なくされる場合もある。開発2年目の見直しで、深刻な問題点が明らかになるケースがあるのだ。この時期になると、事業部のトップや経営陣は新モデルがショールームに勢揃いした姿を思い描きながら、既存のGM車やライバル車と比べる。すると、デザイン図、クレイ模型、初期のプラスティック模型では問題ないと思われた設計に、手を入れなければならないとの判断に至る可能性がある。これは十分に考えられることだ。この時期の軌道修正はたしかに多大なコストを要する。しかし、魅力に欠けたモデルを市場に送り出して売上げ機会を失うよりは、安上がりではないだろうか。GMも、このような思い切った決断を一度ならず迫られてきた。
さて、新モデルの開発に着手して1年が過ぎ、公表まで1年を残すのみとなった時点での状況を要約しておきたい。スタイリング部門はすでに、新モデルの基本を決めるという事を成し遂げている。数々の強化プラスティック製模型が、新車さながらに完成している。シート、ダッシュボード、内装、新素材などの準備が進められている。装飾の素材、色調などはいまだ決めなくてよい。発売時期が迫ってから、その時のトレンドに合わせるためである。フィッシャー・ボディ事業部では、技術面の設計、金型その他の生産ツールの設計を急ピッチで進めている。事業部では車台のエンジニアリングが最終局面を迎え、試作車がテスト開始を待つばかりとなっている。フィッシャー・ボディ事業部と自動車事業部は、これ以後さらに連携を強め、十分に足並みを揃えながらボディと車台を完成させなければならない。
生産用ツールの製造も機が熟したといえる。各事業部のトップは生産プログラムの最終案を、エンジニアリング・ポリシーグループ経由で社長に提出する。そこには、新モデルの性能面での特徴、寸法、推定重量、推定コスト(工場の改善、機械、治具を含む)などが記載される。ポリシーグループではそれをもとに再度、競合他社の現行モデルと比較し、コストに見合った魅力ある製品かどうかを見極める。社長、会長以下、ポリシーグループのメンバーは、あらゆる角度からプログラムを検討する。生産プログラムが了承されると、各事業部はグループ・エグゼクティブに予算の割当を求め、続いて製造担当バイス・プレジデントに精査を、社長、業務管理委員会、経営委員会、財務委員会にそれぞれ承認を求める。これを終えると、生産用ツールの製造が始められる。
この段階になると、事業部のエンジニアリング部門が膨大な枚数の設計図を作成して、関連の各部門に配布する。メカニック部門では、それをもとに内製、社外調達のいずれかを判断する(事業部によってはこの判断を下すために委員会を設けている)。加工処理部門では、部品製造の詳しい手順を定める。標準化部門では、各作業の標準作業時間を設定する。コスト部門では人件費や資材費を細かく算定する。製造部門では、メカニック部門、プラント・エンジニアリング部門とともに、生産ラインの計画(どのような機械や器具を揃える必要があるか、それらをどこに設置するのか)、工場での準備内容などを練る。
並行して製品自体の生産準備も、サプライヤーの協力も得ながらかなりの程度まで進んでいるはずだ。新モデルに最終承認が下りるとすぐに、車輪、フレーム、タイヤなど数多くのサプライヤーと協議して、エンジニアリング、開発などに取りかかってもらう。生産プランの作成をGMが支援する場合もある。
販売開始の7,8ヶ月前には、フィッシャー・ボディ事業部がボディの試作第1号を完成させているはずだが、この時点ではまだ多くの部品は手づくりである。試作車の用意が整うとテストに着手できる。生産開始のおよそ3ヶ月前には通常、フィッシャー・ボディのパイロット・ラインで多数のボディを製造する。これには金型を用いるため、ボディの金型や生産用ツールを試験でき、生産現場の監督者の研修をも兼ねられるのだ。パイロット・ラインでつくったボディの多くは、試作の車台に取りつけられ、プルービング・グラウンドや事業部エンジニアリング部門でさらにテストされる。試作車は最終的にはセールス部門、広告部門によって、ディーラーへの事前お披露目など、販売促進に活用される。
本格生産が開始されるのは、発売のおよそ6週間前になってからである。新モデルが一般に公表される時には、いうまでもなく、工場はフル稼働しており、何千台もがすでにディーラーに引き渡し済みである。以上で新モデルの開発は完了だ。そしてこの時から、さらに1年後、2年後に発売が予定されるモデルの開発が本格軌道に乗せられるのである。
ここまで記してきたように、新モデルの開発は3つのフェーズに分けられる。
  
■第一フェーズ-スタイリング
1年目の主眼である
■第二フェーズ-技術設計
ほぼ2年間をとおして継続され、大量生産が始まる直前に終了する
■第三フェーズ-機械・ツール類の準備
スタイリングが完了する以前から始まり、製品を形にするための多岐にわたる複雑な作業をすべて含む

ポイントとなるのは、スケジュールの半分を消化した時点、すなわち新モデル開発プログラムが動き始めてから1年後だろう。この時点で新モデルが承認され、生産に向けて後戻りのきかない状態になるのだ。
以上が新モデルが生産されるまでの手順であり、実際にこの手順どおりに製品が生み出されている。とはいえ、青写真を描くそばから手直しを行っているのが現状だ。近年の競争環境では、2年未満で新モデルを市場に出さなければならない場合もある。同時に、競争のペースが速まっているため、GMをはじめ自動車メーカー各社は、デザインや技術の開発スピードを高める必要に迫られてきた。新モデルに新しい要素が多く盛り込まれていればいるほど、当然、設計や生産準備はこれまで以上に大きなプレッシャーにさらされる。
GMは、より新鮮でより優れた自動車を世に送り出そうと、たゆまぬ努力を続けている。新モデルを構想してから生産するまでの道のりは長く複雑で、莫大なコストを要する。しかしそれは、価値ある営みなのだ。年次モデルチェンジは、自動車産業の発展に欠かせないといってもよいだろう。「年次モデル」という言葉すら存在しなかった時代から今日まで、新モデルの開発をとおして自動車産業は発展を続けてきたのである。

(以上、アルフレッドP.スローン,Jr.著「GMとともに」/ダイヤモンド社 264~273ページより引用)



現在トヨタをはじめとする日本のメーカーはこの新車の立ち上げを18ヶ月に短縮している。デジタルモックアップを採用し、2回の試作を0回にし、車台をなるべく共通化させて、しかも目標原価に落とし込むということさえ実行している。
問題はハイブリッド車がつくれなかったことではないことを財務出身の経営陣は理解していないし、間接部門のスタッフとしてレイオフしたエンジニアが実は部品表の専門家であったり、生産準備の専門家であったりしたのである。一度失われたこうした専門家は再度教育するのに10年以上もかかるのである。財務出身の官僚集団はそれがさっぱり理解できていないのである。
弊社は部品表の専門会社なので、このインフラを理解する要員の育成がいかに困難であるかよく知っているし、ずいぶん前から米国の自動車会社がBOM(部品表)の技術を失っていることを知っていた。
今日では全社で共有した部品表は存在しない。なぜならばレイオフされないために購買は購買で情報を公開せず机の中にしまっているのである。部品表を構築するどころのさわぎではない。
これが米国自動車会社の現状なのである。

次回に続く