【第123回】食育談義

今年もまたミシュランが発売された。
巷では星の妥当性を巡ってまた激しいバトルが展開されているようだ。
これほど話題になるグルメ本も珍しいだろう。
日本における最初のグルメ本は、村井弦斎の“食道楽”である。これは明治36年に報知新聞に連載された新聞小説なのであるが、美味しんぼのような食の話題が満載の当時のベストセラーであった。
また、この本は今日の「食育」という言葉を最初に使った本でもあり、「小児には徳育よりも智育よりも躰育よりも食育が先。躰育、徳育の根元も食育にある」と述べている。この考え方は現在にも通用する美学であろう。

食育といえば、先日、四谷・荒木町の岩井食堂に行ったときに、岩井シェフが小学校の給食を実際に作って食育活動をやると聞いた。岩井食堂の料理を給食で振舞うのである。
何でも彼は“超人シェフ倶楽部”という団体の超人シェフの一人に選ばれていて、その一環で“スーパー給食”という食育プロジェクトに参加するらしい。
スーパー給食とは、超人シェフが給食予算の範囲内で、各学校の地元の産物や、生徒が残しがちな食材を取り入れたメニューを作成し、給食調理員とともに調理をし、子ども達と一緒に食べるなど、学校給食を通じたシェフと児童との交流活動である。
「でもさー、これが全然儲かんないんだよね」と岩井シェフ。それはそうである。ボランティアなのだから。
「でもいいじゃん、コンビニ弁当とマックしか知らない子供に“美味しい”という体験がプレゼントできるんだから社会貢献だよ。どんどんやんなよ」と筆者。多分、岩井さんのパスタを食べたら小僧共は驚愕するに違いない、大人は毎日こんなに美味しいもの食べてるんだ!と。

先日、日本料理の津之守坂よねやま店主の米山さんと飲みに行った時に彼は面白いことを言っていた。

筆者:「米山さんって鮨屋の息子でしょ。やっぱり家で美味しいもん食べてたの?」
米山さん:「いや、違いますよ。うちの母ちゃんなんか料理がしょっぱくてどうしようもなかったんですよ。煮魚なんかも醤油しか使わない人で砂糖なんて全く入れないないから、バチーッとするようなしょっぱさで、今でも実家に帰ると文句言いますよ。でも、それがいいんですよ。家庭の味というのは不味かろうが美味かろうが同じものを毎日食べてブレないところがいいんです。うちなんか天ぷらだって天つゆじゃなくて醤油ですからね。家庭の味なんてそれでいいんです。問題なのは、今の子供達は母ちゃんが料理作らないから今日はコンビニ弁当、明日はマック、明後日はファミレスと味の軸がコロコロ変わって基準が定まらないんですよ。それを9、10歳までやってると味オンチになるんですよね。味覚がブレているから何が基準か分かんなくなるんですよ。例え不味い料理でも家庭の料理を毎日食べていれば味はブレないんですよ。多分、食育っていうのは料理人の予備軍を養成するためにも必要なんでしょうね」

食育基本法なる珍妙な法律が平成16年の第159国会で提出され、平成17年6月10日に成立した。
なぜこの法律が珍妙なのかというと、自分の子供の食べ物のことを何でわざわざ国が法律まで作って指導しなくてはならないのかという問題である。
ここに家庭における食文化の崩壊という国家的な危機が背景になっていると筆者は考えている。

実は食が崩壊して社会が荒廃した先進国は、またしても竹中さんが崇拝してやまない米国である。


(ここから講談調で)

時は第二次世界大戦。欧州と南太平洋に戦線を拡大した憎き三国同盟軍を撃破すべく、世界の警察、自由の象徴アメリカの軍隊は世界の戦場に狩りだされましたとさ。
(パパンパンパン  註:扇子で机を叩く音)
その頃、本国が無傷であった米国の産業は世界の工場として絶好調!にも拘わらず、父ちゃんは戦場に行って会社はもぬけのカラでございました。
(パンパン)
そこで思いついた苦肉の策が婦女子の登用という新作戦。今まで家でアイロンかけやジャム作りや子育てをしていた麗しの米国婦人達はキャリアウーマンとして米国産業界の最前線に就職していったのでありました。
(パパンパンパン)
母ちゃんが仕事で忙しくなり家にいなくなると困ったのが三度のご飯。そこで流行したのがかの悪名高き“テレビディナー”でありました。
(パンパン)
これは便利なご馳走で、当時日本ではブルジョワの象徴三種の神器のうちのひとつであった電子レンジを駆使した文明の最先端フード。これがのちのち米国の食の崩壊をもたらすことになるとはつゆ知らず、米国中に普及したのでありました。
(パパンパンパン)

(講談調終わり)



テレビディナーとは、1654年頃から全米に普及した「アメリカ料理」で、使い捨てアルミやプラスチックに幕の内弁当のような一食分のディナーが冷凍食品として用意されていて、子供達はスーパーでそのテレビディナーを買ってレンジでチンするだけでレストランばりのディナーが家で食べられるという冷食の幕の内のようなものであった。第二次世界大戦後、米国の古き良きハウスワイフが働き手として外に出ることが多くなり、このようなインスタント化した商品が爆発的に米国に普及したのである。これによって、米国の家庭のキッチン設備は電子レンジしか使わない無用の長物と化したのである。このテレビディナーの普及によって米国の主婦は全く料理をしなくなって米国から家庭料理が消えたのである。食の崩壊である。
今では米国のあまり裕福でないおばさんは小さな子供を従えてスーパーに行って、10ガロンの牛乳とポテトチップを山ほど買ってスーパーのレジを通るのであった。筆者はそれを見ていて「ポテチと牛乳が夕食じゃ、これじゃ銃乱射が起きてもしょうがないか」と思った憶えがある。

翻って我が国日本も実は非常に危うい。もう既に一部は崩壊しているといってよいであろう。
その原因は“できちゃった婚”と“コンビニ”にあるのではないかと筆者は考えている。その顛末を説明してみよう。

まず、現在の婚姻の2/3ができちゃった婚と言われている。当然、彼女たち若き母親は若いし裕福でもない。できちゃった婚だから花嫁修業をする時間もないし、よき母親になる準備や経験も浅い。もともと料理が作れない上に生活も厳しいので、パートの仕事を抱えて家事も満足にできないとなると子供の食事は毎日コンビニとなる。
弟を餓死させた痛ましい5歳の長男の事件があったが、彼らもお金だけもらって毎日コンビニ弁当であった。コンビニ弁当でなければマクドナルドが代わりの食事となる。当然家族全員幼少のころからバラバラに食事をすることになるし、食べる時間も不規則である。
現在、家庭の味を知らない子供はこのパターンで育っている。小僧どもは、毎日お金を母親からもらって一人でコンビニでお弁当を買って家でテレビを見ながら一人で食べる。これが現在の日本の姿になりつつある。田舎はともかく都会は特にその傾向が強い。
これは極めて深刻な閉塞された状況である。
料理のできない母親に育てられた子供は、家庭料理やおふくろの味を食べたくても食べることはできないのだ。大人になって料理が作れるようになっても10歳まででぶれた味覚は元に戻らないし、荒れた食生活ももとには戻らないだろう。また、料理ができない母親の下で育った女性はよほどの機会と教養がないかぎり料理ができないし偏食も激しい。

その悲惨な子供たちの食生活をいくらかでも救っている日本の良き制度が給食である。給食だけは不幸な子供にも幸福な子供にも平等に行き渡る。そういう家庭の味を知らない子供にいくらかでも手作りの料理を食べさせる機会でもある。
これはとてもいい制度ではないかと筆者はいまでも思う。
よく給食はまずかったと述懐する人が多いが、筆者はこんなにおいしいものがあったのかと喜んでいた組であった。給食はそんな筆者にとって唯一世の中の美味しいものを食べられる機会であったのだ。
思い返してみれば戦前戦後の貧しい時代は、ひもじい小僧どもを社会全体が育てたような気がする。右をみても左をみても皆貧しいので、貧しさがそれほど苦にならなった時代でもあったような気がする。昭和という時代を懐かしんだり、郷愁を憶えたりはまったくしないが、そういう社会の雰囲気は昭和にあって平成には無くなったものなのかもしれない。

日本は食の世界まで竹中さんが望んでやまない米国化が進んでいる。そのうちスーパーの鮮魚売り場から丸の魚が消えて、すべてパック詰めの切り身になってしまうかも知れないし、売り場の半分が米国のスーパーのように冷凍食品になるかもしれない。野菜や肉のような“原材料”はほとんど売れなくなって、“パック詰め惣菜”のような完成品が主流になってどの家の食卓もご飯以外は外注品(味噌汁はインスタントでおかずは出来合い)になってしまう可能性が高い。
家庭の味などというものは貧しかった昭和の遺物と化すであろう。料理は、できる人にとっては呼吸のようなものであるが、苦手な人にとっては受験勉強よりも難しい。女性でまったく料理ができない人はかなり多いのではないだろうか。

ミシュランやグルメ評論家の活動は、料理界のQC活動なので筆者はおおいにやるべきだと思っている。正しいか正しくないかあまり関係ない。“美味しい”という価値観を世の中に喧伝することにそのまま意義があり、それに興味をもって店に通った女性が、よき家庭の料理人に進化する可能性が大いにあるからである。そういう興味を喚起するだけでもこれらの媒体は十分意義があると思う。

家庭における食の崩壊は子供たちの人格の崩壊でもある。
そしてそれはいまそこにある危機である。

ちなみに、今回のミシュランで筆者が疑問に思う七不思議を列挙してみます。

■ミシュラン七不思議
1. 日本を代表する古典的フレンチの名店が黙殺されているのはなぜか?
 (北島亭、シェ・イノ(今回落選)、オテルドミクニ、コートドール等々)
2. 日本のイタリアンは世界最高峰のレベルなのに、なぜほとんど取り上げられないのか?
3. 同じく、中華料理が少ない理由はなぜか?
4. てんぷらは取り上げて、うなぎ、とんかつ、蕎麦、しゃぶしゃぶ、すき焼き、洋食が黙殺
 (またはマイナー視)されている理由はなぜか?
5. 鮨屋の基準がでたらめなのは単に調査員が鮨を知らないだけか?
 (一例を挙げると、昨年未掲載だった銀座寿司幸本店がなぜ今年になって星を取ったか、
 何年も銀座で繁盛している老舗が昨年から今年になって味が変わったとは思われないので、
 単に調査員の能力と教養が足りないだけの話か?また、捨てシャリ手数多しで寿司の技術に
 疑問がある店も入っていたりして何を見てるんだろう?と疑問が絶えない判定である。
 また明らかに東京の名店が数多く抜けている)
6. 鮨や日本料理の味は素材勝負の料理なので、コストパフォーマンスは非常に重要な要素
 なのだが、なぜそれを無視できるのか?また季節ごとにまったく違う皿がでてくるのに料理の
 味をどう比較できるのか?また、器は日本料理の重要な要素なのだが、外人に志野や織部
 や備前がわかるのか?
7. 大箱のチェーン店が集団で掲載されているのはなぜか?