【第120回】父原病に関する一考察

最近、親子の間で殺人事件が頻発している。その延長上では親子関係がこじれて無差別殺人に走る子供(年齢的にはオッサンですが)の事件も起きている。

アエラ8月4日号の特集で、父が原因で子供が病んでしまう現象を母原病になぞらえて父原病と定義して、“止まらない子供の凶行「父原病」が子供を壊す”という特集記事を組んで解説している。


先日、埼玉県川口で中3の長女が寝ている父親を刺殺した事件では、小学校高学年の頃から「お父さんムカつく、うざい」、小5の息子は「父親の嫌なところ-休みになると強引に外に連れ出すところ」

岡山で県職員を電車に突き落として殺害した少年の父は「小中学校と同じように接してしまい、子供には負担だったかもしれない」

「親父からは怒鳴られた記憶しかないので僕も子供にそうしていたんですが・・・」と戸惑うのは中2の息子を持つ埼玉県の男性(44)。息子にげんこつは当たり前。息子の言い訳は「うるさい!」の一言で一蹴してきた。「小6の夏休みに息子が突然荒れた。家の窓からスーツや家具を次々に投げる。家の壁を鉄骨が剥き出しになるまで破壊する。テレビの通販番組に勝手に注文をして高級品を買う。警察沙汰になったこともあった。」

京都の父親殺害をした16歳の少女は「父の行動で許せないことがあった。父が嫌いだった」と語っている。

奈良放火殺人の16歳の少年は「父親から成績のことで叱られ、暴力も受けた」と言い、医者の父親は勉強部屋をICU(集中治療室)と呼んで付きっ切りで医学部を目指して勉強させていた。



それらの原因は様々で、記事では圧迫上司型とかフレンドリー型とかマニュアル型とか無関心型とか様々なタイプにわけて父親の過干渉が子供を追い詰めていると書いている。記事の中では専門家が過干渉と無関心が原因ではないかという意見を述べているが、実はこの特集記事も見落としている重要な事実があると筆者は考えている。
父親のタイプが圧迫上司型とかフレンドリー型とかマニュアル型とか無関心型とか分類しているがそんなのカンケーネーと思うのである。

筆者はこれらの背景は全て共通していると考えている。それは何か?
ズバリ言うと、父親が嫌な奴なのである。性格の悪い嫌なオジサンなのである。
原因はそれに尽きる。
独断と偏見に満ちた私見であるが以下に説明してみたい。父原病の真の原因である。

子供は10歳(小4)を境に親を絶対的な存在から客観的な存在へと見方や価値観を変える。それが成長である。
この時に父親および母親を人間として客観的に評価するようになるのである。もしその時に父親がとても嫌な奴、性のネジ曲がった卑怯で陰険で臆病者だと知ったら、子供は彼の言うことを聞かなくなるし大嫌いになるのである。
この現象を昔の大人は反抗期と呼んであたかも原因が子供にあるように論じたが、実態は子供が成長して社会性を身に付けたときに親父は嫌な野郎だと判っただけの話である。
これが戦前の儒教社会であったならば不忠不幸の非国民となってしまうので、どんなに無能な父親でも一応は立てたものであるが、現代のように母親よりも地位の低いお父さんとなってしまってはこの儒教的権威付けも通用しない。
毛沢東のテロの傑作設計思想の造反有理(反抗するには理由がある)ではないが、反抗するには理由があるのである。子供が親を嫌う理由はこの人格同士の不和が原因していると筆者は考えている。
端的に言うならば、親を客観的に評価できる年齢に成長して見てみると、自分(この場合は子供)にとって耐え難いほど嫌な奴であったということである。それで口をきかなくなったり、ちょっとしたことで反抗したりするのである。
反面、親は親の方で、従順であった幼少時の子供のイメージがあるので、当人が成長して自分にダメ出しをしているのだということに気付かず、反抗期に入ったとまるで自然現象のように片付けてしまって、普段会社で卑怯三昧、臆病三昧、権謀術数を駆使して、裏切り、ねたみ、そねみ、嫉妬、ありとあらゆる嫌なサラリーマンをのびのびと過ごして、突然、息子や娘の前で普通の善良な尊敬すべき父親になれるわけがないことに気付かないのだ。そんなことができたとすればよほどの演技力というしかないであろう。
子供が自分を嫌うのは、会社の女の子が自分を嫌うのと同じ理由であると見るべきである。多くの親はそれが判っていない。そこにいくつもの悲劇が生まれるのだ。
よく卑怯なことをするお父さんは、“家族のため”という科白を吐くことが多いが、家族自体は自分達のためと思っていないし、本当は“自分のため”に卑怯なことをしているのである。それを自分ではなく家族と置き換えることによって免罪符を得ているのである。
世の中にこのようなサラリーマンが溢れてくるとその子供から痛いしっぺ返しを受けることになるのである。

家族というのは子供の方から破壊することがとても困難なコミュ二ティである。それ故、子供が破壊するときにはそれこそ血を見るような行動を伴う。
子供の側から家族というコミュニティをぶち壊そうとすると必ず刃傷沙汰になるのである。あらゆる悲劇がそれこそ日本中で発生して毎日社会面を賑わしている。
そこまで居心地の悪いコミュニティならぶち壊せばよさそうなものだが、お父さんは見栄と対面もあって簡単に解散することはできない。そういう煮詰まった人間関係が爆発して八王子の殺人や土浦の殺人や秋葉原の殺人が起きているのではないかと筆者は考えている。全ては性格の悪い親を持った子供の悲劇である。

最近、学校のいじめで死を伴う程の過烈なケースが多いが、あれは実はいじめではなく、子供同士の生存競争なのではないかと筆者は考えている。いじめる側は本当に相手を抹殺しようと思っているのだ。そのくらい生存が脅かされるようなストレスを受けているのである。
北海道の高校で最近あった事件では、ネットの掲示板に“死ね”と書き込みをして、学校から停学を食らったいじめっ子が、その日のうちに死ねと書いたので自分が死にます。と言い残して自殺してしまった。彼は自分の全存在をかけていじめていたのがこれで判る。遊びではなく自らの生存をかけて必死で相手(いじめられる側)を抹殺しようとしているのだ。これは生存を賭けた戦いである。そのくらい子供たちは環境や親から追い詰められているのである。
周りの大人はその深刻さを理解していないのではないだろうか?

大体、勉強が嫌いな子供に勉強を強要させること自体が暴力であるということに多くの親は気付いていないし、書斎も本棚もないような家から、学問好きの子供が育つはずがないということを、親は全く理解していない。ただ強制的に塾に通わせても子供が学問好きになるわけはないのである。塾や家庭教師で学問好きの子供ができるなら、いっそのこと金持ちになる塾にでも通わせて大金持ちになる方法でも教育したほうが手っ取り早いと思うのだが、残念ながら代ゼミでも河合塾でもそういう講座は開設していない。

多くの親は自分達の特権的な地位を利用して、多くは子供のためと称して自分の見栄や対面のために嫌なことを強要してはいないだろうか?
その点を我々はもう一度考え直す必要があると思うのである。

殺人事件という極端な事件ではあるがその原因は案外どの家にも転がっている問題なのである。
それはあたかもお父さんが“家族のため”と称して“自分のために”会社で卑劣な振る舞いをするのによく似た行為なのである。
“子供のため”と言いながらお父さんは自分のために子供に一流大学を強要しているのである。子供は小学校のころから夜10過ぎまで塾に通わされて、本当に自分のためにこんな苦労を我慢して耐えているとは思っていない。親に強制されてしぶしぶやらされていると思っているのである。
その圧迫された不自由なコミュニティから脱出するために、昔の子供はよく家出をしたり暴走族に入ってグレたりしたものだが、最近の子供は羊のように従順なので、よくよく追い詰められて殺人に走ってしまうのである。窮鼠猫を噛むを地で行くわけである。
要するに彼らは窮屈なコミュニティをぶち壊しにかかったのである。

日本が核家族化して隣近所もなくなって、父親と母親が世界の登場人物のすべてとなった今、孤立した子供たちの逃げ場はどこにもなくなりつつある。
父親と母親が世界のすべてであるから、この二人を敵に回したら、子供はもはや殺すか死ぬかの選択肢しかないのである。それくらい追い詰められているのではないだろうか?

先日、傑作映画“ぼくんち”を撮った坂本順治監督の最新作“闇の子供たち”を見て筆者は激烈なショックを受けた。タイのスラムや農村から売られた子供たちの幼児売春や殺人を伴う臓器移植のオンパレードに慄然としてしまったのである。非人道の境界をとっくにこえた世界がリアルタイムに東京から地図で20センチメートル離れた場所で起こっているのである。
翻って日本は食べ物もあって、家もあって、子供も健康なのに、無理して一流大学や進学校を目指させてわざわざ子供を不幸に導いている親が多すぎると思うのである。
豊かな生活には豊かなりの苦労があるといいたいのであろうが、それは小さなコップの中のくだらないちょっとした嵐でしかない。少なくとも日本で日本国籍を持って生まれてまともに働けば飢えることはない。それを一流商社や高級官僚というごく一部のエリートをめざして、猛勉強を強制してプレッシャーをかけて、そのために子供の天真爛漫な明るさを失うなど何とおろかなことであろうかと筆者は思うのだ。本当の貧乏がなくなって日本人は狂いはじめたのだろうか?

それだけで日本の受験小僧どもはタイのスラムの子供とは違った艱難辛苦をなめているのかもしれないが、所詮は親のエゴであり勝手な老婆心である。うまく行けばよいが、その破綻のしっぺ返しは時には殺人や自殺という結果に発展する問題でもある。
それが現在日本中で起きている悲劇のはじまりになっている。

窮鼠猫を噛む。
親の因果は子に祟るのである。

合掌。