【第109回】ミシュラン狂騒曲

話題の「ミシュランガイド東京」がとうとう発売された。
今回のミシュランは、フランス及び各国で出版されたミシュランの中ではかなり異色の内容で、???が数多く残るが、巷に話題を提供し、初版10数万部が完売したという事実はマーケティングの成功と言えるであろう。

ガストロノミー(Gastronomie)という言葉があって、本コラム第93回「新・新しい天体」で紹介しているが、フランス料理はかなり早い段階から文献化・体系化が進んでいて非常に整理されている料理法であり、フランス料理の系譜は19世紀から見てもそんなに複雑なものではない。ゆえに、比較的分かりやすく比較も容易である。本国フランスで三つ星を判定する分にはそんなに難易度は高くないと思う。何せ、フランス料理という1ジャンルのみを対象とするものであるからである。

しかし、日本においてのフランス料理は数多くの料理ジャンルのうちの1つであって、その他に広がる、懐石、ふぐ、寿司、天ぷら、イタリア料理、スペイン料 理、という広範囲なカテゴリの料理も含めた広大無辺の比較になる。それぞれ素材は違うし、料理法は違うし、歴史も伝統も料理人の系譜も全く異なるのであ る。これを横一線で、しかも、星で表現するとなると、これは愚挙か暴挙としか言えないと行為であると筆者は思うのである。
ちなみに、フランス料理の系譜を辿ってみると、18世紀や19世紀の昔から、非常に明快な流れが読み取れる。

先日、飲み友のフランス料理のシェフと話していたら、今日のフランス料理の源流はフェルナン・ポワンであると語っていた。同じことを実は、辻静雄も著書の「フランス料理を築いた人びと」の中で書いている。
フェルナン・ポワンという人は、1930年代にフランスの片田舎、イゼール県ヴィエンヌ町に今でも燦然と存在する有名なレストラン「ピラミッド」を開いた料理人である。
彼の業績は、彼の育てた多くの弟子が今日のフランス料理の隆盛を築いたことで有名である。因みに、1974年版のミシュランの三つ星レストランはフランス 全土で17軒あったが、そのうち7軒がフェルナン・ポワンの料理から出発している。トロワグロ兄弟や、ヌーベル・キュイジーヌの雄であるポール・ボキュー ズや、アラン・シャペル、ルイ・ウーティエなどの、蒼々たる大料理人がピラミッドの調理場で育っているのである。
彼は実に1933年から1955年に他界するまで、ミシュランの三つ星を守り続けた。辻静雄がフランス料理を学んだのもピラミッドである。
現在のフランス料理界のドンである、アラン・デュカスの師匠である、アラン・シャペルもフェルナン・ポワンの系統であるし、その前のドンである、ジュエル・ロブションもポール・ボキューズの系統である。
歴史的にみると、フランス料理の調理法は17世紀ブリア・サバラン以来、大変整理されていて、その時代時代の偉大な料理人が貴重な文献を数多く残している。これは日本料理にはあまりない伝統である。
日本では、寿司の文献でさえ、最近になってようやく発刊されるようになったくらいのもので、それまでは職人同士の以心伝心の世界であった。

フランス料理は19世紀前半に活躍した、アントナン・キャレームという天才料理人が「19世紀フランス料理」という、19世紀の王侯貴族(彼はロシアのツ アー(皇帝)や、ロス・チャイルド、英国のジョージ四世の料理人でありました)の食卓を集大成した著作を残していて、今日のフランス料理の基礎となっている。その後20世紀初めに、オーギュスト・エスコフィエという天才料理人が現れて古典フランス料理を集大成して今日のフランス料理の基礎を完成させたのである。レーモン・オリビエのような三つ星シェフ兼料理古書の研究家がその伝統に花を添えている。
中華料理にも清の乾隆帝の時代に、袁枚という人が書いた「隋園食単」という本があり今日の中華料理の基礎となっている。つばめの巣も、熊の掌も、この頃からの伝統である。

このように展望してゆくと、フランス料理は比較しやすい料理であると筆者は思うのである。ロティ、グリエ、ムニエル、ポワレ、等々の調理法から、皿の数 (アミューズ、オードブル、メイン、デセール、等々)や、フォアグラ、トリフ、各種ジビエのような食材にいたるまで統一された基礎があるので、比較しやすいと思うのは筆者だけだろうか。
日本の料理はその点、種類が多すぎて一つの基準で比較することはとても困難であり、寿司は寿司のジャンルで旨いマズイがあり、ふぐはふぐのジャンルで旨い マズイがあり、とんかつはとんかつのジャンルで旨いマズイがそれぞれあるのである。とても横断的に比較する基準がなさすぎると思うのである。

それゆえ、今回のミシュランの星に意味はあるかと問われれば、かなりの疑問を呈せざるを得ない。巷のグルメ評論家の間で盛んに議論になっている点もその辺りではないかと思う。今回のミシュラン東京の三つ星店を世界一だと思う人が日本に(日本有数、または東京有数なら分かりますが、果たしてあれが世界一?という強い疑問は払拭できません)どれだけいるだろうか?(筆者の知人は四谷のすし金じゃないの?と怒っておりました)
今日のミシュランの星に首をかしげる人がかなり多くでたことは残念であるが、そもそも比較できないものを比較、しかも点数をつけてという行為に無理があるのである。これを超越し、あえて星をつけたというところに、受験勉強し、偏差値で人生を渡ってきた日本人の興味をひいたのかもしれない。
因みに、懐石料理でも、寿司屋でも、いいものを出そうとしたら、高額な材料を使用しなければならない。今回、星をもらった日本料理屋の主人が言っていたが、そのお店で、お造りで出す鯛の3,4切れの仕入れが月に70万の魚の仕入れに対して鯛だけで30~40万かかるそうである(そのお店は明石や瀬戸内海の鯛にこだわっています)。また、ある寿司やのまぐろの仕入れ値は、全ての仕入れの60%であるという話も聞いた。そう考えると、日本の料理に関する限り、CP(コストパフォーマンス)はボクシングのハンデのような大変大きな要素なのである。客単価1万円と5万円では料理の質は全く変わると言っていい。日本の料理は素材勝負なので、特にこの傾向が強い。ヘビー級のボクサーとフライ級のボクサーのどちらが強いかと比較しているのである。
それゆえ、今回のミシュランで客単価が1万円と3万円で星が同じだとすれば、それはフライ級のボクサーがヘビー級のボクサーをノックアウトしたということなので、非常に評価すべきポイントであると思う。

とにかく日本の料理の場合、お金と質は比例すると考えてよい。CPがまったく視野に入っていないのは本家フランスのミシュランでも同じであるが、ガチガチに緊迫した雰囲気でいきなり矢継ぎ早に寿司を24貫握って出され、「はい、4万円です、星3つです」と言われても、だったら俺は世界一の寿司屋でなくてもいいや、ということになると思うのである。特に寿司屋の場合は、大間の大トロや、ウニや車えびを使わなくても、いくらでも仕事をした美味しい寿司をリーズ ナブルに握ることは可能である。10万円の材料を使ったから10倍美味しいということにはならない(懐石はこの限りではありませんが)。
ここで筆者はこの星の採点について、いくつか疑問に思ったことがある。

1.東京のイタリアンは世界のトップクラスの水準なのになぜほとんど取り上げられていないのか?
2.店の集客度からみて、神楽坂近辺の店が多いのはなぜか?
3.ロブション、デュカスの3つ星シェフのお店が多いのはなぜか?
4.シェ・松尾やひらまつは選ばれて、北島亭やオテル・ド・ミクニが選ばれないのはなぜか?
5.星を獲得した店にフレンチと和食が多い(特に和食が多い)のはなぜか?

この答えは一人の人物につながると筆者は推理している。
この人物が行ったことのある店、もしくは気に入った店、もしくは推薦した店が選ばれているのではないだろうかという仮説である。
もしそれが本当だとすれば、今回の格付けは“フランス料理界から見た日本”、ということになるのである(これはあくまでも筆者の勝手な推測なので、根拠は希薄です)。

さて、その人物とは誰ぞ?

最後に、辻静雄(この人は日本人ではじめてMOF(フランス最優秀料理人賞名誉賞)を授かった料理人兼ガストロノミーであります)の「フランス料理を築いた人びと」から、今日のフランス料理を語ったポール・ボキューズの見解を紹介しよう(以下、辻静雄著、「フランス料理を築いた人びと」-中公文庫より一部引用)。



つい先日何気なく手に取ったニューズウィーク誌(一九七四年七月二十九日号)、ゴールドシュレイガーという記者が私の兄貴分ポール・ボキューズにインタビューをした記事が載っていたのが非常に興味深く私の心に残った。

(中略)
「新しいフランス料理が誕生しつつあるということをこの頃よく聞きますが、あなたはこれをどう説明なさいますか」という問いに対してポールは、「それはつ い最近、たかだかこの十数年余りのうちに勃興してきたもので、十五人足らずのフランス料理長たちの仕事に端を発したものです。つまり料理にソースを添える のに、前よりも量をずっと少なく、軽いものを、というわけで、そうなると最も必要なのは、ごく新鮮な良い材料です。これらの材料を駆使して、それぞれの材料の特質をいかし、残しつつ、料理しようということになります。新しいフランス料理はそれ以前の料理から比べると、ずっと自然で、見た目にも魅力ある料理ということを考えているのです」と答えていた。
「どうしてそんな新しいフランス料理が興こってきたのでしょうか」という問いに対してポールは次のように答えている。「料理は、それを食べる人の生活のス タイルが変わったから、それにつれて変わったまでです。数十年前よりも今日の人々は痩せたいということを切に願っているでしょう。だから料理だって昔より は食べる量も少なくなりました。これを洋服のファッションに喩えてみたい。洋服だって今日随分軽いのを着るようになっているはずです。コルセットだっては めないし、糊のきいたクリノリン(皆さん御存知の昔の御婦人がスカートの生地に用いた馬の毛などで織ったゴワゴワの布)もつけないじゃありませんか。紳士諸君だって、堅いカラーや重い洋服を着ないじゃありませんか。つまり、古典的なフランス料理というのは、1900年代の淑女のようで、これに対して新しい フランス料理というのは、今日のすらっとした若い御婦人を考えていただけば、よくおわかりになるんじゃないかと思う。この頃の若い娘はあんまり着ていませんね。だからその洋服の下にあるお身体をたやすく想像しながら愛でることもできるんじゃないですか。料理だって同じですよ」
記者はこんな質問をしている。「フランス料理というのはこれからも変わっていきますかね」
「そりゃそうです。年々良くなるんじゃありませんか。理由はこうです。すばらしい料理の土台は、すばらしい原材料に尽きます。私どもがその日にマーケット で手に入れる材料というのは、そりゃもう新鮮なものですよ。理由は簡単です。なにしろ運送がより迅速なものになりましたし、新しい材料を新鮮に保管する方法もひと役買っています。昔は海から五十時間もかかってノコノコ持ってこられたお魚が、今じゃ陸上げされてから、たった三時間で私たちの手に入るのです よ」
(中略)
「新しいフランス料理が古典的なフランス料理を追い出してしまうと思うか」ということである。ポール・ボキューズは私に答えたと同じようにこんなふうに言っている。
「これはもう既成事実じゃありませんか。エスコフィエというのはもうどこかへ消え失せてしまったんです。勿論探そうと思えばいくらでもあるけれど、今日のフランス料理はもうあの重いソースで一杯になった料理の作り方に依存しているわけではないのです。もう晩餐は料理の数がたくさんあればいいというんじゃな いのです。エスコフィエ、これはもう確かに終ってしまっていますね」
(以上、「フランス料理を築いた人びと」、P108~115 「エスコフィエは終った」より一部引用)