【第102回】男子厨房に“ぜひ”入るべし

これから団塊の世代が大量にリタイアして24時間家にいることになるらしい。そうなると、長年連れ添った糟糠の妻(これは語源を辿ると、“かすとぬか”の 女という意味で、直訳するならば、かすとぬか程度の価値しかない粗末な妻という意味です。一般的には苦労を共にした伴侶ということに解釈されています。皆さん教養がなくてよかったですね)は三度の食事の世話で暗澹たる気持ちになるらしい。
この人が死ぬまで約30年間、延べ約32,500回以上もの食事の世話をしなくてはならないと考えた途端に離婚したくなるようだ。
役に立たない人間はしばしばゴミ扱いされることが多い。
“男に捨てられた”と嘆く女は自らをゴミと名乗っているし、家でゴロゴロしているばかりで所在のないお父さんはモロに“粗大ゴミ”と呼ばれ、コンビニで400円のチケットを買っても東京都清掃局が取りには来てくれない厄介な存在のようである。
そこで、余計なお世話であるが、来るべき将来にゴミ扱いされないために、男子厨房に入るには、をシミュレーションしてみよう。

■その1.基本要件
システム開発にも要件定義があるように、家庭料理人となるためには、欠くべからざる必要十分条件が存在する。それは美味しいものが食べたい、という気持ちである。
食べ物の味に全く興味がないお父さんを料理人に仕立てることは100%不可能である。これはゴルフが嫌いな人をゴルフの選手にするようなものだからである。味オンチと一度でも呼ばれた人も見込みはないかもしれない。
とにかく、好きでなければ上手にはなれないので、“食べる”ことに興味のない人はコンビニの弁当とカップラーメンの組み合わせで一生を終ることを強くおすすめする次第である。
これは即ち、料理の才能が全くないということを意味している。ということは、自分の健康にも全く興味がないということでもあるので、多少まずくて有害な食品を摂取(こういう人は“食べる”のではなく、“摂取”しているのです)しても、あまり関係ないのである。

■その2.基本技術
料理というと、レシピがあって、そのレシピ通りに作ると同じ味になると思い込んでいるようだが、それはとんでもない大誤解である。基本技術がないと、どんな素晴らしいレシピがあっても料理はできない。
例えば、豆腐の味噌汁を作るときに、絹ごしの豆腐があったとしたら、筆者ならば、手のひらで5mm角の賽の目に切って入れる。豆腐は大きな賽の目にすると (例えば1cm角)混ぜている間にカドが取れて美しくなくなってしまうからである(本当に5mm角に切るのは難しいですよ。皆さん試してみてくださ い)。
先日、野崎さんの料理本を読んでいたら、非常に面白いサラダが載っていた。このサラダはどの家の台所にもある、人参、きゅうり、長ねぎをそれぞれ細く切って氷水にさらして、しゃきしゃき感を出してそれぞれを盛り付けただけのシンプルなサラダである。フワリとしてしゃきしゃきとした食感がとても美味しい。
ところが、普通の人はこれが作れない。なぜなら、人参、きゅうり、長ねぎを1mmの細さで切る技術がないからである。できれば、人参、きゅうりは桂むきにして針切りにしなくてはならないし、長ねぎも白髪ねぎに切らなくてはならない(出来ない人は手間はかかりますがピーラーを使ってもいいです。ちなみに片刃の包丁でないと桂剥きは危ないので気をつけてください)。
材料を自由自在に切るということがまず基本である。そのためには、道具もきちんと手入れしなくてはならない。包丁も切れなければならない。牛刀、小出刃 (出刃より家庭では重宝します)、薄刃包丁、柳、ぺティ、中華包丁(これを自由自在に使える人はあまりいませんね)、文化包丁と用途に応じて使いわけな いといけない。“切る”ということはとても大きな基本技術なのである。
魚をおろす、野菜を切る、肉を仕込む、すべて切る技術がしっかりしていなくてはならない。これは一朝一夕ではいかない。毎回調理するたびに自分の美学を実 現するために真剣に切らなければならない。包丁の入れ方一つで刺身の味は10倍は変るのである。きんぴらも鉛筆のように切るのではなく、1mmか2mmに切ると食感も調理法も全く違ってくるのである。とにかく、切ることの巧拙で料理の味は随分変る。これは基本中の基本である。
巷の料理教室になると、これに加えて、米の研ぎ方、出汁(だし)の引き方を教える(いわゆる一番出汁、二番出汁みたいな基本ですな)。
また、フライパンの振り方とチャン鍋(中華鍋)の振り方も基本的に異なる。フライパンはヘリにくいっとぶつけて返すのだが、チャン鍋は五徳の上でスライドさせて回すのである。この他に、圧力鍋、ルクルーゼ鍋、各種寸胴鍋、オーブン、出し巻きパン、シノワ、すり鉢、ミキサー、フードプロセッサー、お玉、レードル、泡だて器、蒸し器、天ぷら鍋、パスタ鍋等々、調理器具を用途に応じて使い分けるのも基本技術である。何の道具をどういう用途のときにどんな風に使うのかは熟知していなければならない。
システム開発エンジニアリングと同じで、この基本技術が全ての良し悪しを決定する重要な要素となるのである。まず、厨房の王とならねばならない(ちなみに、昨日テレビで梅宮T氏に刺身を振舞っていた芸能界料理人のK兄氏は牛刀でマグロを押して切っていました。普通柔らかい素材は引いて切ります。また刺身のようにそのまま振舞うものは切り口が綺麗にできるので、牛刀のような両刃でなく片刃の包丁でないと美味しくならないと思います)。

■その3.素材を知る
湯通し、水に浸す、米のとぎ汁で下ゆでする、漬け込む、氷水にさらす、アクを抜く、等々の仕込みは素材の性質によって決まる。
どの時期の何がどういう味かという知識はそれゆえとても重要である。京野菜や塩トマトやイベリコ豚や下仁田ネギのようなブランド素材の使い方も素材の知識がないと難しい。食材、素材に通暁するということは、それゆえ、料理をする上でとても重要な知識なのである。
例えば、蕎麦を打とうと思って、挽いてから何日も経った蕎麦粉をいくら上手に打ってもちゃんとつながらない。蕎麦粉はぎゅっと手でつかんで固まりになるよ うな挽きたてを使わないともともとダメなのである。それゆえ、どんなに腕がよくても材料がダメであるとあまりよい結果は出ない。
そのためにも素材に対する知識は重要である。また、出汁に使う昆布やかつおや塩等の調味料をケチってはならない。中国辺りでは人間の髪の毛で作った醤油が 売られているそうだが、安い材料はやはりそれなりの品質である。だしや調味料はそんなに大量に使うものではないので、思いきってよいものを使うことをすす める。
また、魚などは自分で捌けば内蔵の状態がわかるので鮮度は判ると思うのだが、肉は切り身の状態でしか売っていないので、先日のミートホープ社の偽装ではないが、ユーザーが品質をチェックすることができない食材である。それゆえ、肉を調達するポイントは業者や店を選ぶことが重要である。値段ではなく売り手を 選ばなくてはならない。そうしないといい素材は手に入らない(もっともレストランで使うような素材、ブレス産の鶏とか、窒息鴨や本物のパンチェッタのようなものはもともと町の肉屋では扱っていませんが)。
一例をあげると、同じ出汁をとる食材でも多種多様である。かつお節、ムロ節、宗田節、サバ節、羅臼昆布、日高昆布、煮干、さんまの煮干、いりこ等、そのかつお節にもランクがあって、本枯節の高級な1本を血合いを丁寧に削り取って削ると料亭で使うような香高い出汁が取れるが、普通のかつお節で同じように出汁をとっても味も風味も全く違うのである。
一概に高級食材を使えばよいというものでもないので、料理に合わせて使い分けることが重要である。
煮魚などに使うみりんもケチってみりん風調味料を使ったりしてはいけない。みりんとみりん風調味料は似て非なる調味料である。煮切ったときに全く違う結果がでるので要注意である。

■その4.調理法と味
料理というのは音楽と同じで再現芸術なので、一流の調理人が作った味を一度は賞味しておく必要がある。そうしないと自分がどこを着地点として落とし込むか判らないからである。それゆえ、筆者は平野レミのようなレシピの料理には全く興味がない。あくまでも街で自分が食べたプロの味を再現したいと思っている。 そういう意味では作曲家ではなく、演奏家の立場を貫いているといえよう。
パスタのようなメニューは多少のオリジナリティがあってもよいが、こと和食に関しては、基本に忠実にというのが筆者の基本スタンスである。そこで大さじと か小さじとかカップの分量であるが、ケーキや菓子の類では重要な数字であるが、普通の料理では参考値と思った方がよい。“塩加減”という言葉通り、判断するのはあくまでも自分である。これには経験と実践が必要である。

■その5.買出し
料理人によって、メニューを決めて買出しに行く人と、買出しに行ってメニューが決まる人がいるようであるが、筆者の場合はその複合形である。例えば、たこのアラビアータソース煮が食べたくて、生だこを調達に行っていいのが入手できなかったときは、当然、その日に買ってきた材料で別の料理を作るわけである。 かさごを買ってきてアクアパッツァに化けることもある。メニューは変るのである。それゆえ、買出しをしない限り何ができるかは自分でもわからない。
筆者の場合、買出しのポイントは量である。基本的に恒常的に料理をするわけではないので、材料を余らせないようにその日に買ってきた食材はその日に使い切るというのが原則である。それゆえ、買い方(ロットまとめ、小分け、等々)の荷姿は重要な情報となる。また、材料を使い切るようにその場でメニューも変わ る。
その辺りも生産管理と同じである。

■その6.厨房設備とスケジューリング
同時に何品もの料理を作らなくてはならないとき、厨房設備をどう使いきるかはとても重要である。ストーブ(コンロ)が何個あるか、それぞれの火力はどう か、材料の置き場所はどのくらいか、冷蔵庫の容量、電子レンジ、グリル、オーブン、調理器具、調味料、等々の全てのリソースをチェックしなければならない。温かいもの、炒めたもの、熱いもの、冷たいもの、あらゆる皿を同じに出荷しないと、台所とテーブルを往復してゆっくり酒を飲めなくなるので、厨房設備 と料理をスケジューリングすることはとても重要で、筆者はメニューと材料を調達した時点で20分くらい段取りを考える。
全部の工程が決まったところで仕込みに入るのである。それゆえ、やみくもに作業に着手したりはしない。その辺りは生産管理と一緒である。

■その7.まとめ
以上のようなプロセスを踏んで、和・洋・中何でもござれの料理人になれば、家で作れないものは何もない。そのくらい料理の腕があがると、前述の糟糠の妻は劣等感を通り越して、恐怖すら感じるはずである。
そうなると、“粗大ゴミ”と呼ばれた不要なお父さんは輝く料理の鉄人となるわけである。
ただ、ここまで何でもできるようになると逆に離婚されてしまうかもしれないので、かなり作れるようになっても敵を脅かすことなく、時々包丁を研いであげて恩を売りながら能あるタカは爪を隠すモットーでしれっと笑っているのが賢明ではあります。
これを機会に皆さんも大いに厨房にはいってみましょう。
食の世界は文明のワンダーランドです。