【第99回】ヨットマン増殖作戦

昔、“彼女が水着に着替えたら”という、ホイチョイ・プロダクションのトレンディ映画があって、それがマリンスポーツブームの引き金になって今日のスキューバダイビングの隆盛につながったように思う。
同時期にホイチョイ・グループから発売された見栄講座という本に、夏の湘南のトレンディ序列が出ていて、確か、ヨット、サーフィン、ダイビングの順に格付けがなされていたような気がする。
前述の“彼女が水着に着替えたら”も、湘南マリンスポーツがてんこ盛りに登場するが、織田裕二扮する主人公は実はヨットマンで、原田知世扮する彼女がダイバーであった。
映画に出てくるセーリングクルーザーは、谷啓の実際の船(たしか船名はつばめ号でした)で、今はなき日本外洋帆足協会の百番台のセールナンバーであった (このセールナンバーは戦後に100からシーケンシャルに採番されたので、1××台のセールナンバーは、日本人の中で100人以内のクルーザー・オーナー であったことを示します。実に、0.000001%の富豪であったわけです)。
実は今から50年前、夏といえば湘南、湘南といえばヨットという時代があった。これは石原慎太郎の芥川賞作品“太陽の季節”から始まった流行であった。
石原兄弟は逗子の現マリンBOX100というディンギー置き場辺りに、ダンディ号というA級ディンギー(これは昔インカレの正式レース種目で、クリンカー 張り(鎧張り)のガフリク木造艇で、筆者も高校生の時に乗っておりました。オールを利用したオール乗りという、独特のハイキングテクニックがあります)を 持っていて、三崎の方まで遠出したようである。現在でも葉山沖の菜島の暗礁に大小の灯台があって、なぜかは知らないが裕次郎灯台と呼ばれている(裕次郎が 建てたという風聞がありますが、筆者は確認しておりません)。
現在、ヨットは、サーフィン、ダイビングのはるか後塵を拝して、極めてマイナーなスポーツとなってしまった。
大学のヨット部も人が集まらないし(これは超体育会系で、しかも年間150日以上の合宿生活を強制されたからです。下級生のこの奴隷生活を“森戸ブルー ス”と呼びました)、現在マリーナのクルーザーのオーナーは、平均年齢が60歳以上という惨状である(筆者独自の葉山調べ)。現在の若者は、キツイ、ツライ、危険の3拍子揃ったヨットに対して完全に背を向けているといえよう。
どうしてこういうことになったか分析すると、いろいろな要因があると思う。

1.敷居が高い
2.お金がかかる
3.見た目とちがってキツイ、危険、キビシイの3Kである

まず敷居が高いという点であるが、ヨットを始めようとすると、その敷居はなかなか高い。船もないし、乗り方は分からないし、スクールもないし、マニュアル本も少ないという極めてマイナーな環境だからである。
多少、筆者の独断と偏見もあるが、ヨットはスキーと共に衰退しているスポーツ(レジャー?)ということができよう。
ここで逆にヨットに乗れると何がメリットとなるか考えてみよう。
一般の皆さんはヨットに乗ると女性にモテるとかすぐに短絡に考えがちだが、海は原宿ではないので、ただ船を出しただけで女性に遭遇することはない。
また、マリーナは熟年(老人では語弊があるので)クラブ化しているので、20代の女性は、たまたまゲストとしてやってきた、言わば、製番ひも付き在庫で、モテるとかモテないとかの概念の向こう側の存在である。
そういうわけで、何十年ヨットに乗っていても、女性にもてるということはない。
同様の観点で、スキーに何百回行こうが、やはり女性にモテるということはない。
それは単なるきっかけであってそのきっかけを活かせる人々はそんなに多くはないのである。となると、これはメリットとはいえない。
つぎのメリットはセーリングの爽快さである。
ヨットは風の力だけで走る(帆走といいます)。太陽と風と波の音を伴奏にしながら大海原をぐいぐい走るのはとても爽快である。筆者のホームグラウンドの湘南葉山海域は、工場がないのと御用邸があるので、環境が保全されていて、ニュージーランドの海岸線のように美しい。
ヨットはエンジンを使わないので、騒音がなく、風と波の音を聞きながら海をずんずん進む快感は体験したひとでないとわからない。よって初心者には風の力で波の音だけを聞きながら爽快な帆走を体験させてみることが重要である。

セールとキールでバランスを取るために、基本的には上下運動しかしないので、実は揺れ方も快適である。漁船やモーターボートのようにローリングして不規則にゆれるわけではないので、たとえ海が荒れても実に快適である。特にダウンウインド(風下に走る)が快適である。
筆者の経験では、ある天気のいい日ではあったが、海が大荒れで、風速30ノット以上吹いて波は4,5メートルのうねりで、洗濯機のような状態であっても、 風下へのランニングの時に5,6人で乗っていて、全員あまり気持ちがよくて(風下に向かうと風が強くてもあまり感じません)みんなうとうと眠りだしたくら い乗り心地はよい(もっとも舵を引いていた筆者は、ブローチングしないように必死でしたが)。
とにかく、天気のいい日にセーリングを体験すると誰でもヨットが好きになると思う。
ヨットが敷居が高いという一番の理由はスキルの習得に確率された方法や学校が存在しないということもあると思う。現在ではスキーでさえもどのスキー場に 行ってもスキースクールがあるにもかかわらず、ヨット練習場やヨットスクールは殆ど存在しない(皆無ではありませんが、一般的でもありません)。
ヨット乗りを恒常的に育成する方法は確立されていない。小学生の頃に江ノ島ジュニアヨットスクールのようなヨットスクールに通うか、高校や大学でヨット部 に入部(ただしこれは超体育会系で過酷な選択肢であります)するか、舵誌かなんかのクルー募集でレース要員として乗り組むかしか選択肢はない。
セーリングは意外と理論的なスポーツで、帆走理論だけでもいろいろあり、一人前に舵を引く(即ちスキッパー艇長になる)ようになるまで2年くらいかかるのではないだろうか。
しかも、ディンギ-とクルーザーでは装備も操船も異なるので、同じ帆を張りながら勝手は大分違う(一例を挙げると、クルーザーはキールが復元力になるの で、ある程度ヒールさせながら帆走するのに対して、ディンギ-はすぐ沈(英語では、キャプサイズ)してしまうので、ヒールが10度くらいに起き上がってき たら必死でハイクアウトしてヒールを潰さないといけない。この辺りでも乗り方は大分違う)。外国ではベアボートチャーター(貸しヨットのことでレンタカー と同じ)のために資格制度があるが、日本ではあまり普及していない。
それゆえ、セーリングに関する基準は全くないといっていい。せいぜいレースに勝ったくらいのところで腕が認められるだけである。あとはそれぞれ無手勝手自己流といってよいだろう。
ゴルフのようにハンディやスコアがあるわけでもないので、人より上手いか下手かもなかなか判定できない(そもそも船によってボートスピードがまちまちなので、速いから上手いとは限らないのです)。自己流で閉鎖的な世界なのである。
スクールに通ってセーリングをマスターしたという話も聞いたことがない。テニスやゴルフのように練習場というものも存在しない。
また、一般的には金持ちの道楽と思われている面もあり、入門するハードルも決して低くはない。
もともと、スキーとヨットと登山は似た性質があって、どれも練習場で練習できない(部分的にはあるが)スポーツで、実践しないと体得できないという特徴を持つ。
また、練習による習熟よりも、経験を積み重ねた習熟を必要とし、いちど習得すれば自転車を乗りこなすように一生技術がなくなることはない。そのかわり現場での実践が必要なので、一人前になるのに時間がかかるのである。


第2のハードルはお金がかかることである。
じつはこれは行政の問題でもある。
じつはヨット自体はそんなに高価なものではない。筆者のような中古でよければ30フィートのクルーザーでもカローラくらいの値段しかしない。
問題は置き場所である。マリーナの係留費なのである。これがなかなかバカにならない。1フィートあたり高いところで年当たり5万、安いところでも2万くらいはする。25フィートならば年間125万である。これが毎年かかる。
日本は海に囲まれた国で海岸線は国境の長さ分だけあるにもかかわらず、なぜ一般市民が利用できず、行政が特別に許可したフィッシャリーナ(最近は漁港とマ リーナを複合させた施設が沿岸漁業の衰退とともに各地にできています)とマリーナという、きわめて特殊な施設にしか係留できないので高いのである。要するに車は安いのだが、駐車場がなく、しかもバカ高いのである。
なぜこういうことになるのかというと実は日本には根の深い問題が内在している。
皆さんは日本の海はだれのものかご存知だろうか?じつは海は漁師のものなのである。日本の国民全体のものではない。沿岸で魚を取って代々漁をしてきた漁師 のものなのである。従って、いくら市民団体が原発に反対しようが、有明海のような河口堰の環境問題を糾弾しようが、沿岸の漁業組合が賛成すれば、何にでも 利用できてしまうのである。逆にいえば漁業組合が反対すれば日本の海岸線は何にも利用できないのである。これは入会権(いりあいけんと読みます)という江 戸時代から続く世襲の権利で近代法学の権利のなかでは日本にしかない特殊なものである。
それゆえ海は日本の国民のものではなく地元漁師のものなのである。
それらが日本の海岸線に独特の利権構造を生み出したのである。
東京ディズニーランドを開くときに三井不動産の江戸英雄氏が一番何をやったかというと、当時沖の百万坪(山本周五郎の青べか物語の舞台でもあります)と呼ばれた浦安の浅瀬を埋め立てて遊園地を作る許可を得るのに、地元の漁師とひたすら飲みまくって権利交渉したくらいである(このことは彼の“私の履歴書”に 詳述されています)。これはとてもおかしいと筆者は思う。
日本の海はもともと日本人全体の宝であって、一部のすなごりびと(漁師ですな)の占有物ではないと思うのである。その行政が定めた特殊な利権構造が日本の国民の海洋や海岸線の利用を著しくゆがめているのである。
だから日本はこれだけの海岸線がありながら殆ど利用されていない。従ってマリーナも高い。
ついでにいうと一般の日本人は鎖国下の国民である。
なぜなら自由に海外に出国することを法的に許されていないからである。
わき道にそれるが、筆者はヨット乗りのメリットを有事に強いという観点でとらえている。
即ち、例えば北朝鮮辺りが出兵してきた時に、普通の民間の日本人は自由に日本から脱出することはできない。飛行機はフライトが有限なので国民全員が脱出しようと思ったら、とてもチケットを取ることはできない。ファーストクラスでもアサイン不可能であろう。
そういう状況で海外に脱出する能力と資格を持っている人種が3種類だけ存在する。
1つは言わずとしれたパイロット、もう1つは職業船員、もう1つが船舶1級の免許を持ったヨット乗りである。
実は日本は未だ鎖国の状態が続いていることを一般の人々は知らない。船舶1級を持った日本人でないと船で自由に海外に渡航することは法律で禁止されている のである(ちなみに、船舶2級(旧4級)では5海里までしか出られないので、大島に行っても違法行為となります)。従って、有事の際に日本の市民を民間レ ベルで海外に脱出させられる人間はヨット乗りだけなのである。
それゆえ、ヨット乗りを育成するというのは、有事の際に海外に脱出するルートを開拓するという安全保障上の問題となるのである。
冗談のような話だが、第二次大戦中、ドーバー海峡をドイツ軍に封鎖された時、かの大英帝国の宰相ウィンストンチャーチルは、英国のヨット乗り全員に戦線を援護すべく全スコードロンに招集をかけた。その時、ヨット艦隊は英国海軍の一員と見なされ、現在のレッドエンサインの使用が認められたのである(今でも英国で最も名高いヨットクラブを、Royal Yocht Squadron:王室ヨット艦隊)と呼ぶのである。英国でのヨット乗りは非正規海軍として扱われているのである。

第3の、見た目とちがってキツイ、危険、キビシイの3Kであるという点であるが、ヨットくらい遠くからみた姿と実際にやっている姿が乖離しているスポーツもないだろう。
荒れた海を白い帆を張って航行するヨットの姿はいかにも優美だが、実際は、大波をかぶりながら冷たい思いをして、恐怖と戦いながらじっと我慢して乗り組んでいるのである。
これがレースになるともっと悲惨で、そとの景色なんか一瞬もみる余裕がなく、強風ではびびって微風ではじりじり苛立って精神的にもあまり快適とはいえない状況がつづくのである。
海と山は天候が急変するので、荒れたら本当に怖い。強風大波の中をじっと我慢しながら何時間も航行するのはとても精神力を必要とする。勇気も度胸たんまり必要である。
皆さんは日常の生活の中で、命が危ないと心底感じる瞬間がいくつあるだろうか?
せいぜい歌舞伎町でヤクザにからまれたときくらいではないだろうか?
ヨットではその危険と常に隣り合わせである。まず荒れた海で落水したら助からない。
命がけになりたいとは思わないが、そういう状況に遭遇してしまうのである。
そういう意味では自然相手なので登山と(特にロッククライミングと)似たところがあるかもしれない。最近男性が歌舞伎っている(すなわち元禄時代のように女性化している)のでこういう体育会系の厳しいスポーツは若者に受け入れられないかもしれない。
それがもっとも敬遠される理由かもしれないのである。
それやこれやの種々の理由によって、ヨット、とりわけ外洋ヨットは衰退しているのである。
現在、アメリカズカップにも参戦していない日本のヨット界で、ただ一人活躍している日本人が白石康次郎氏である。
彼は先頃世界で一番過酷といわれるヨットレース、5(ファイブ)Oceansで118日1時間42分の記録で総合2位になった。勿論アジア人では初の快挙であり、日本人としても初快挙、ついでにいうと有色人種で初めての快挙である。
このレースは4年に1度開催される、『最も過酷』なヨット外洋レースで、今回で7回目を迎える。24時間×8ヶ月が『1試合』のスポーツ史上最も長いレースでもある。
スタートは2006年10月。寄港地はわずか2箇所(米国ノーフォークと豪フリーマントル)で、あとはひたすらシングルハンド(要するに一人で)で世界を 一周するタフなレースである。 総合2位でフィニッシュした彼は5 Oceansの表彰台でこう語った(文中の多田雄幸とは1986年のBOC世界単独一周 レース優勝の故多田雄幸氏(後年自殺)のことで、彼は多田さんの弟子であった)。

Finishing second in the overall ranking, Japanese skipper Kojiro Shiraishi (SPIRIT OF YUKOH) talked about the people who helped him to achieve his dreams. “The best inspiration I have had during this race was Yukoh Tada and I wouldn’t be here without him. I am just happy I have met so many inspiring people during this race. Now I would like to educate more Japanese about sailing and teach young Japanese to sail and to achieve their dreams. This is what I have always done.”

これを機会に皆さんもヨット始めませんか?