【第98回】テーラーメイド医療

テーラーメイド医療というのをご存知だろうか?
これはDNAのSNP解析(スニップ)を応用した、遺伝子レベルの個人カスタマイズ医療サービスである。
生産管理の世界で言えば、医学治療の個別受注生産とも言えよう。
これは個人の遺伝子差異に合わせて投薬や治療を行う医療である。
各用語の説明は以下のとおり。


・テーラーメイド医療・オーダーメイド医療
個人の体質を遺伝子レベルで調べ、診断し、個々人にあわせた予防や治療を行うこと。
遺伝子情報からは、医薬品の有効性や副作用の出ない量などを調べることができるため、従来の医療と異なり、より個人差を考慮した医療が可能となる。
DNAや血清がバイオバンクと呼ばれる機関に集められ、研究が進められている。DNAや血清は重要な個人情報であり、きちんとインフォームドコンセントのとれた場合にのみ採取が可能である。
(以上、「healthクリニック」ホームページ、健康用語辞典より引用)


・テーラーメイド医療
tailor-made medicine、オーダーメイド医療(made-to-order medicine)、個別化医療(personalized medicine) 患者の生理的状態や疾患の状態などを考慮して、患者個々に治療法を設定する医療。
特に、遺伝子診断などに基づく治療の個別化に関して使用されることが多いが、“年齢、性別、体重、腎機能などを考慮した薬物投与設計”も広い意味ではテーラーメイド医療の一手法といえる(2005.10.25 掲載)。
(以上、「社団法人日本薬学会」ホームページ薬学用語解説より引用)


 

先日、筆者はよく行くフランス料理店のソムリエをお見舞いに行って来た。
彼は43歳の若さで末期ガンでホスピスに入り、延命をやめて終末治療をしている。
余命は恐らく後1週間。彼は5年前に30数歳の若さで腎臓ガンを発症し、最初の手術を行った。だが、1年後に同じ場所でガンが再発してしまい、手術ができないので抗ガン剤を投与していたのである。その事実を筆者は知らなかった。
そのガンはそのうち肝臓に転移し、全身に転移し、もう治療ができない状態になったのである。その彼は実に先週の金曜日までレストランで働いていたのであった。
モルヒネを首から投与しながら笑顔で見舞いにきた仲間や友人に挨拶する姿は今も目に焼き付いて忘れられない。「Iさんがいなくなったら、俺のワインをチョイスする人がいなくなっちゃうよ」と話しかけたら、やっと出る小さな息を使って、「四倉さんの好みは伝えておきますから」といつもの笑顔で応えてくれた。

人の命は天命だという。だが、現代の医療技術で天命は予測できるし、変えることも可能なのである。
それがテーラーメイド医療である。

現在、米国で1,000ドル(約十万円ですな)でDNAチップを作ろうとするプロジェクトが進んでいる。
これが本当に1,000ドルを切ったらどうなるだろうか?
多分、子供が生まれたらDNAチップセンターに行って、その赤ちゃんのDNAチップを作成してもらうことになるだろう。DNAチップが出来上がったら、それをDNA解析データセンター(この仕事は民間のソフトウェア会社やハードウェア会社が受託することになるかもしれません)にDNAチップを預けて、その子供の寿命、ガンの発生因子、病気の因子、それらを個別に治療するためのたんぱく質や薬のリストが年代別に百科事典のようなドキュメントになって送付されてくるのである。
あとはそのDNAドキュメントに従って30歳からは糖尿病予防の特効薬を、40歳で肝臓ガン検診、50歳で鬱病の特効薬というようにして、年代別に発現する病気に個人別にフォーカスした投薬が一生を通じて可能となる。
そうなると、ガンになってもその遺伝子に合った抗ガン剤が投与できるようになるので、副作用もなく、どのようなガンも完治できるようになるであろう。

4月1週目発売の週刊東洋経済に、“ガンの嘘”というガン治療の最前線の特集があったが、そこに登場した国立がんセンターの垣添総長によれば、ガンは現在の医学では早期発見であれば大部分が完治するし、自覚症状のあるガンでも50%は完治するそうである(以下、記事の一部を引用)。

 


ガンは自覚症状が出てからでは、残念ながら半分の人しか治りません。新薬が開発されていますがいずれも非常に高価。しかも生存期間が延びるだけで、なかなか治癒に結びつかないのが実状です。しかし、検診で早期に発見でき適切な治療ができれば、大部分が治ってしまいます。
おカネをかけずに死亡者数を減らすには、(食習慣や禁煙などの)1次予防と、検診の実施がいちばん有効だといえます。
私自身も2年前に検診で腎臓ガンが見つかりましたが、部分切除で片側の腎臓4分の1を取っただけで済みました。1週間で退院して、2週目にはスイスで開催されたWHOの会議に出席することができました。
今や早期ガンなら、すぐに社会復帰できます。胃の粘膜ガンで内視鏡手術の場合、仕事を休まずに済むこともあります。しかし、もっと進行した状態で見つかる と、治療には時間とおカネがかかる。働き盛りの世代が、長い治療の後に死を迎えるというのは、社会的な損失も非常に大きいものです。
(以上、2007.3.24 週刊東洋経済 「特集/ガンの嘘」より一部引用)



ということは、DNA情報からガンの因子が特定できていれば、人間はガンでは死なないようになるのである。
事実、筆者の周りには様々なガンを相当進行してから治療した人を何人も知っているが、ほとんど全員が完治していると言える。

このDNAによるテーラーメイド医療は多分、大きなハードルがあって、1,000ドルという初期投資のみならず、一生分のデータ解析、個人向けの創薬、投薬、カウンセリング等々、多大な費用がかかることは必定である。
要するに、一部の金持ちのための医療であって、これが健康保険でカバーできるようになるまで恐らくあと20~30年位はかかるのではないかと思われるのである。

もしこのテーラーメイド医療が健康保険でカバーできたとすれば、日本人の平均寿命は今よりも20~30歳延びて、その分、人口は減少しなくなるのである。
現在、出生率が下がって、2050年頃には日本の人口は9,515万人(国立社会保障・人口問題研究所 「日本の将来推計人口」より)にまで減少すると言われている(現在よりも3,700万人少ないです)。
その労働力の減少をカバーするためにテーラーメイド医療が普及して、人々の寿命を革命的に延ばすということになるのである。
そうなると、定年は80歳位まで延び、平均的な日本人は3回結婚して大学も2回行くように、人生を2倍、3倍の長さで再設計できるようになるであろう。
理論的には人間は150歳くらいまで生きられるそうであるから、テーラーメイド医療を完全に普及させれば平均寿命が現在の80数歳から100歳まで伸びる可能性がある。

誰もが100歳まで生きるようになると実はいろいろな問題と可能性が出てくる。
問題の方でいうと、まず年金が破綻する。老人の人口が総人口の2/3になるというのが最近の予測であるが、それがさらに進んで4/5が60歳以上というこ とになるかもしれない。そうなると20歳以上の若者ひとりが10人くらいの老人を養うことになるであろう。年金は当然破綻し、消費税も30%くらいになる のではないだろうか?
お金の問題もあるが、結婚の問題もある。誰もが100歳まで生きるとしたら、30歳で結婚したら70年間連れ添うパートナーとなるのである。70年間仲たがいしないパートナーを選ぶのはかなり勇気のある決断といわなければならない。結婚は早婚派と晩婚派に極端に別れ、晩婚派は終末のパートナーを得ることが目的となるので50歳以上の初婚カップルが増えるかもしれない。
また、20~30年しか働けないサラリーマンでは一生を支えることはむずかしいので、人々は定年がなくいつまでも働ける職業につくであろう。そうなると手に職をもった職人や技術者が人気の職業になるかもしれない。
就学、就労のサイクルも現代では一回限りの人が多いが、2回3回と繰り返す人もでるかもしれない。一回目は法学部を出て50歳まで公務員をして、2回目は物理学科を出てエンジニアになるような人生設計をする人が出現するであろう。
また、国民の大部分が老人なので“老人”という言葉や施設もなくなるはずである。老人では差別用語だという意見が出始めて(現に昔“初老”と呼ばれていた 年代が今では“熟年”に変更されています)、そのうち、“超熟年”とか“熟熟年”とか“大壮年”というような新語に置き換わるかもしれない。
電車のシートも構成が変わって、座る席は50歳以上のシルバー資格が必要で、通勤電車の席は基本的に100%シルバーシートになるであろう。
町の商店街も現在はゲームセンターや吉野家のような飲食店が多いが、そのうち町中が病院だらけになって、内科横丁や歯医者通りという地名が出現するかもしれない。
また、金持ちのための墓地を造成するために、マンション建設業者の主な仕事は、老朽化した古いマンションを高級墓地に建て替えて、億ションならぬ億墓地が出現して、そのローンも生前に支払うのではなく死亡後に保険金かなんかで支払う死後ローンのような新種の不動産ローンになる可能性がある。そうなると、そ れこそ現在の韓国のように国土の数パーセントが墓地になるかもしれない(韓国は現在でも土葬なので山の上から先祖順にミニ古墳のような土饅頭の墓を作るの で国土の約1%が墓地になっています)。

いろいろ考えるとたいへんな社会変革が起きるような気になってくるが、寿命は寿命なのでただ単に死ぬことを先延ばしにしただけの話である。
だが、それでも人間はいつか死ぬのである。
何をやっても何をやらなくても死ぬのである。
うらみつらみも、ねたみそねみも、愛だ恋だも、巨万の富も全部残したまま死ぬのである。
先日、中村元先生訳の法句経(ダンマパダ)を読んでいたら、恨みに恨みで応えてはならぬ、怒りに怒りで応えてはならぬという仏教の教理があって、その理由に、“人間はいつ死ぬか判らない。死ねば怒りも恨みも烏有に帰すからそういう思いは無意味である”と書かれてあった。
有限はあり難いのである。有限であるがゆえ、今が貴重なのである。今の今が貴重なのである。この瞬間も二度とめぐっては来ない。
ところが死が目の前に迫っていない普通の生活ではそれが実感できないので、わからないのである。だから浅ましく生きてしまうのである。

昔の人は寿命が全く判らず、いつ死ぬか判らなかったので、いつ死んでもいいように、“今を切に生きる”ということを実践してきた。
それが科学のちからで寿命をコントロールできるようになると、“切に”生きなくなるので、心も生き様も冗長になるのかもしれない。

釈迦は入寂の際に“この世は美しい”と最後の旅に随行したアーナンダにつぶやいたそうである。
地位も名誉も家族も富もすべて捨てて出家した釈迦には果たして何が残ったのだろうか?

人間は死に直面すると、反対に有限の生に思いを馳せるようである。
医療も寿命もどんどん進化するであろうが、“今を切に生きる”という人生の価値観は変わらないのである。そうなると日々苦労しながらやっている仕事も勉強も、決して未来の安楽ためではなく、今、この人生のために切に行うものに変わるであろう。
宮沢賢治の“雨ニモマケズ”とはそんな境地なのである。

冒頭のソムリエのIさんは筆者がお見舞いに行った4日後に逝去した。日本のフランス料理界の重鎮をはじめとする関係者が百数十人以上お見舞いに訪れたそうである。
合掌して“雨ニモマケズ”を捧げる。


「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

(以上、宮沢賢治 「雨ニモマケズ」)