【第94回】新・新しい天体(後編)

ところで何のために人間は料理をするのだろうか?

1.安全のため
2.栄養のため
3.幸福のため
4.食材を無駄にしないため
5.神に感謝するため

美食の追及をして開高健は、“美食の快楽は知る悲しみだ”のようなことを生前語っていたが、実はこれはあまり正しくないと筆者は思っている。
なぜなら、美味しいものは何度食べても美味なのである。
ちなみに筆者は納豆ごはんが大好物で、いままでに何千回も食べたが、2,000回くらい食べたらもう食べないとは全く考えていない。
どんなくどいものでも忘れたころにまた食べれば一生美味なのである。それよりも同じ素材を食べるのであれば、まずく調理して顰め面しながら文句を言うよりは、ニコニコしながら満足な顔で食べたほうが、殺された方も本望なのである。
それがせめてもの殺生された魚や肉や蔬菜に対する畏敬の念の発露であるし、功徳でもある。

現在のチョイ悪オヤジ系雑誌では必ずグルメ特集が組まれている。ただこれらの特集は無教養な味情報であって、何ら生活や教養を高めるものではない。夜会巻姐さんやキャバクラ嬢を感激させるのが関の山である。
人生を楽しむとか、健康を考えるというようなものとは無縁で、スノビッシュなおしゃれの一環である(やっかんではいませんよ)。
季節感や健康や安全や歴史を楽しむ要素が乏しいのが残念である。
そういう意味ではオヤジの味覚はファミレスから一歩も進歩していないかもしれないし、奥さんの家庭料理にはどうせ食べるなら世界一美味しく食べようという執念が乏しいかもしれない。
ワーズワースの冒険を日曜の夜11時に見て、隔週サライを買って読んだ筆者としては、今のモテるオヤジやHanakoのグルメ情報が単なるナンパの道具かデートの友にしか見えないのがとても残念である。
また、ものの味の記述が文章力の欠如のために面白くないのも不満である。
特に、グルメ評論家という職業の人々にもっと卓越した文章力と教養があれば、“新しい天体”がもっと出現するはずであるが、写真にたよったガイド記事しか書けないのも残念である。

出でよ第2の魯山人、出でよ第2の開高健。

最後に日本のガストロノーム、魯山人の一言半句を紹介しよう(以下、北大路魯山人著、平野雅章編集「魯山人味道」-中公文庫より引用)。


料理にも、料理の要訣と申しますか、奥義と申しますか、そう言ってもよいと思うものがあるのであります。
(中略)
その第一は人間の真心です。これなども口で言っている分にはなんでもないことのようでありますが、実際には、なにを措いても、この真心というものがなくてはなりません。料理の上にも一番大切な条件となります。
次は聡明の必要であります。まあこれも言いますれば、変な言い方かも知れませんが、賢くなくてはいけないということであります。頭が悪いとあっては、どうしようもありません。
その次は熱意と努力でありましょう。よい料理が生まれ出ますまでには、人の知らない苦心と努力がつきものとなっております。しかも、行動が敏活で、時間に 間に合う働きがなくては、せっかくの努力も残念なことに了らないともかぎりません。苦心のご馳走は、ようやく出来たが、お客さんはもう帰られたというよう ではいけません。まあこれらは、料理常識としまして、ぜひとも身につけていたいものであります。しかし、これも好きでするのですと、頭も働き、からだもお のずと動き、よい知恵も出まして、自然と料理に必要な条件も具わるものであります。
(以上、「魯山人味道」、“料理する心”より一部引用)

美味い料理をしようと思ったら、その根本は食品材料を生かせばよい、それだけのことである。材料を生かすということは、死んださかなを再び水に泳がすとい うふうな、そんな無理なことを言うのではない。くだいて言えば、「美味いものは宵に食え」と言う、これを実行すればよいのである。せっかく宵に食えば美味 いものを、そうしないで、翌日に残して味を殺す。これが料理法の根源義に背くものだと知ればよいのである。牛肉など新しいのはかたくていけないが、これな ど例外で、大体は新鮮が美味いと決まっている。たいの刺身のように獲りたてもよし、一日くらい手当てしたのもよし、というようなものもあるが、小魚に至っ ては、なんとしても水切りに近いものをよしとする。蔬菜はなおさらのことであると知らねばならぬ。
土を離れて時の経つにつれ、味がよくなるなどという蔬菜は、まずあるまい。これだけ知っても、美味い料理はできるはずである。
次に心得べきことは、すべてのものはみな各自独特の味、持ち前の味をもっている。これを生かすということである。少なくとも、これを損じてはいけない。わ れわれが日常食う魚類は大体決まっているようであるが、それでも一年を通じて数えたら、何百何千と多種類に上るであろう。山から、畑から採る蔬菜の種類も 魚類に劣らぬ数であろう。この何百種類のものは、ひとつひとつに異なった特有の持ち味を身につけて生まれているのである。この特有の持ち味に着眼すること が肝心なのである。そうして、これを失わないよう心づかいをするのが料理人の根本精神であらねばならぬ。
(以上、「魯山人味道」、“料理の妙味”より一部引用)

要するに、与えられたる人生を美しく強く自由に生き抜かんとするには、この際、食物のみを挙げて言うならば、美味いものばかりを食い、好きなものばかりを 食い、三度三度の食事に快哉を叫び続けることだ。ついでに食器の美も知って、つまらない食器では飯は食わぬというだけの識見を持ち、深く有意義に終るべき だ。食道楽も生やさしいものではない。とにかく、かつての日本の衣食住は、すべて立派であった。国外に遠慮するものあったら、それは間違いだ。
(以上、「魯山人味道」、“美食と人生”より一部引用)