【第93回】新・新しい天体(前編)

新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである ―ブリア・サバラン

「ミシュランガイド東京」が発刊されることになった。
ミシュランガイドとは、皆さんもご存知であると思うが、世界一(フランス一?)権威のあるグルメガイド本である。タイヤで有名なミシュランがスポンサーになって長年刊行しているもので、1900年にドライブのガイドのために(1900年といえばパリ万博の年であります)、市街図やガソリンスタンド、自動車 修理工場や休憩のためのホテルなどを紹介した無料の雑誌であった。そのうち1930年代になって、掲載するレストランに覆面の調査員が密かに判定した星 (エトワール)をつけるようになって以来、フランス全土のレストランガイドとして有名になったものである。
筆者もグルノーブル近くのガソリンスタンドで二十数ユーロで購入し、3つ星レストランは予約が取れなかったが、1つ星レストランの予約が取れたので、ミシュランの地図を頼りに行ったものである(もちろんはげしく迷いましたが)。

この手の類は(企業スポンサーの有名本)、他に英国ビール会社のギネス社がスポンサーになっている「ギネスブック」が有名である。
そのミシュランでは最高マークのレストランを3つ星(堺正章の3つ星シェフはここから来ています)、次を2つ星、1つ星として、星なしももちろんリストアップされている(ちなみに、2005年のデータですが、3つ星レストランはフランス全土で26軒、2つ星は約60軒、1つ星は約400軒あります。全部行くのはまず不可能でしょう。百貫デブになってしまいます)。
この星の数は、時には料理人の生死にかかわる事件を引き起こし、3つ星から2つ星に格下げになったシェフが自殺するという事件も起きるくらい、現在では権威あるガイドブックとなっている。
最近では日本人でも、タテルヨシノ(吉野建)シェフがオーナーシェフを務める、パリにある「ステラ・マリス」が2006年に1つ星を獲得している。
今年2月の初めに都内の和食屋に出没した、アラン・デュカスも3つ星シェフである(「津の守坂よねやま」と「ラボンバンス」に出没したようです)。古くはヌーベル・キュイジーヌの元祖、ポール・ボキューズ等が有名であった。
ニューヨークのレストランガイド「ザガット・サーベイ」も日本版が出版されているし、今や日本はグルメ本まっさかりと言えるだろう。

元々、江戸時代の武家社会では、粗食に耐えることが武士のたしなみとされたので、昔のサムライは「チョーおいしい」などという感想は述べなかったのである。ものの味を誰何することは恥であった。
それゆえ、日本には料理本は数多くあったが、グルメガイドのようなものは発達しなかった(物見遊山のための諸国名所案内に、×××茶屋の××団子が有名、程度の記述にとどまっていました)。
そのグルメ本不毛の日本に最初に革命をもたらしたのが、かの天下の奇人、北大路魯山人ではないかと思う。「魯山人味道」、「魯山人の食卓」、「魯山人の料 理王国」などの本が今日でも入手することができる。初代久兵衛の鮨の特徴などが文学的(要するに文章がうまいということですが)な表現で格調高く説明され ていて、今日読んでも(内容は古いが)とても面白い本である。

それから時代が下がって戦後になり、世に言う、3大グルメ本と呼ばれるものが登場した。吉田健一(英文学者、法政大教授、吉田茂の息子)の「私の食物誌」 と、壇一雄の「壇流クッキング」、「美味放浪記」と、邱永漢の「食は広州にあり」である。ものの味を評論した本が立派な読み物になるというのはこの頃から 筆者も知ったのであった。
グルメ本を書く作家は他にもいて、この頃の代表では、立原正秋、山口瞳、池波正太郎、などが今日でも有名であるが、筆者がとにかく面白かったのが、最近復刊された、開高健の小説「新しい天体」であった。
これは全くもって奇妙奇天烈、珍妙な小説で、大蔵省の余った予算を使い切るために生み出された「相対的景気調査官」という珍妙な役職に就いた主人公が、 「取材費は惜しまない、胃潰瘍になるくらい食べてくれ」と上司から言われて、日本全国のあらゆる名物料理、珍料理、名料理を食べ歩く、食の冒険小説となっ ているものである。実は、新潟魚沼産のコシヒカリや、和田金の松坂牛が有名になったのもこの小説を通じてであるから、この小説のグルメ本としての社会的な 影響は今日まで続いているといってよいだろう。
小説としてはふざけた話であるが、昭和40年代に日本全土が公害で汚染され、安全で美味しい食が破壊されようとしていた時代の警鐘としてとても大きなインパクトがあったのではないかと筆者は考えている。

これらのグルメ本には傾向があって、ざっとこんな具合に分類することができる。

北大路魯山人/和食系/旬素材中心主義
立原正秋/和食系/日本酒ツマミ系
池波正太郎/東京うまいもの系/和食、洋食、江戸料理、全般
壇一雄/グローバル系/ポルトガル、韓国、紀行系グルメ
山口瞳/生活高級グルメ系/鮨、料理屋、店中心主義

このように分類してみると、どんな料理、どんな素材でも専門的に造詣が深くて論調できるグルメ論客はあまりいないのではないか。その人の得意不得意が必ずあるのではないかということだ。
そういう意味では、昨今のグルメ評論家というのは過酷な環境下に置かれたとても厳しい職業であると筆者は思うのだ。

懐石、鮨、天ぷら、鰻、蕎麦、ふぐ、すっぽん、京料理、フレンチ、タイ、マレーシア、インド、スペイン、ポルトガル、イタリアン、中華(上海、広東、四川、北京・・・)、小料理、居酒屋、とんかつ、沖縄、ラーメン、etc・・・

これだけのジャンルの数百種類のメニューを時間と空間を超えて正確に評価することが果たして可能なのだろうか?その何万となる料理の背景にある素材の知 識、酒の知識、甘味の知識などを統合すると、グルメ評論家という職業は大大文化人でないと不可能ということになるであろう。

日本語で美味しいものを好む人を「美食家」というが、フランス語にはもともとグルメ「Gourmet」とグルマン「Gourmand」という分類があり、 どちらも食いしん坊には違いないのだが、味覚追求派と満腹感追求派の違いがあって、あえて日本語に置き換えるならば、前者は「美食家」で、後者は「健啖 家」ということになる。舌で満足するか、胃で満足するかの違いである。
食の大大文化人を表現する言葉には、ガストロノミー「Gastronomie」という、日本語に訳しにくい言葉があって、美食学とか料理学と置き換えられ ることも多いが、これは作法や調理法を指したものではなく、「食文化教養」みたいなニュアンスの考えであり、これを実践した食文化教養人をガストノローム 「Gastronome」と呼ぶのである。フランスで言えば、ブリア・サバラン(美味礼賛の著者)、日本で言えば、辻静雄や魯山人のような人々であろう。

ところで何のために人間は料理をするのだろうか?

次回に続く