【第89回】プロとアマ

筆者は実は料理マニア(オタクではない。なぜなら、和洋中すべてのジャンルをこなすから)である。エスカルゴバターも作るし、ドミグラスソースも仕込むし、ボンゴレビアンコも作るし、魚も捌くし、蕎麦も打つ。

あるとき、四谷にある岩井食堂に行ったら、店主の岩井さんが新しい料理本(これはまだ本屋にあります)を出したので、当人のサイン付きで入手し、その本をもとに約2ヶ月で全部のレシピを作ってしまったくらい料理好きである。
ちなみに、その料理本の中に岩井流ピクルスの作り方があって、本のレシピ通りに作ったら塩が多すぎて塩辛くなってしまった。その話を岩井さんにしたとこ ろ、彼の中学の先輩の石橋貴明から同じクレームの電話があって、「うちの保奈美がおまえの本でピクルス作ったらしょっぱくて食えなかったぞ。どうしてくれるんだ」と同様のクレームがあったらしい。筆者も同感である。あの塩の分量は確かに多いと思う。
基本的に筆者は料理に関しては演奏家の立場を貫いている。平野レミのように変てこなレシピでオリジナル料理を作るつもりは全くない。楽譜通りに忠実に音楽 を再現するように、自分が外で食べた味、印象深かった調理法を忠実に再現することを目的としている。それゆえ、基本に忠実である。包丁をはじめとする道具の 使い方も材料の切り方も基本に忠実である。

最近は設備が同じで材料さえ劣っていなければほぼ同じ料理が再現できるようになったと思う。このまま精進し続けたらプロの料理人になって店でも開けるので はないかと通常ならば期待するところであるが、筆者はまったく無理であると思っている。寿司職人のようにどんな魚も捌き、どんな〆物でも仕込めるように なって、本手返しかなんかで小ぶりの一貫を華麗に握るようになれても店は開けないだろうと思う。

実はプロの料理人とアマチュアの料理好きの大きな差はスピードである。
とりわけ、仕込みのスピードが全く違うと言える。素人が鯵を1尾捌いている間に、プロは20尾仕込んでいるのである。しかも失敗がないので手戻りもない。 料理のプロとアマの差を決定的に差別化する要素は、仕事の的確さ、それに基づくスピードである。恐らく筆者が寿司屋の仕込みをやったら、1日かけてコハダ の仕込みも終らないであろう。
実はこの論理はソフトウェアの世界にもあてはまるのである。

今から20数年前のプログラマーというのは、世間様から特殊な技術者として(尊敬されたかどうかは分からないが)遇されていたと思う。その理由は、コンピュータといえば大企業しか買えない高価な汎用機で、その機械を触る機会に恵まれた一部の人々しかプログラムの仕事に従事できなかったからである。門戸が異様に狭かったので、希少価値があった。
その分、プロ意識も高かったように思う。その頃はプログラムを組めるだけで技術者として評価された時代であったと言えよう。

そのコンピュータのハードウェアは、その後高価な汎用機からミニコン、UNIX、PCへとどんどん普及して安くなり、今では中学生でも持つことができるコモディティ・グッズになってしまった。
プログラミングなどは珍しい技術力ではなく、大学生どころか小学生でも目端の利いた子なら Javaのソースの1つや2つ書けるようになったのである。学校でも技術家庭の時間で教えているし、この伝でいくと、石を投げればどこにでも自己流プログ ラマーにあたるようになるだろう。
もちろん、これは日本だけの問題ではなく、世界的な流れであるから、中国にもインドにもベトナムにもプログラムを組める人は沢山いるのである。また、マニュアルを買って独学すれば、誰でもいつでもプログラマーになることができる。
そうなると、同じ仕事をするならば、1人月80万円の日本人を雇うより30万の中国に発注した方がよいとなって、プログラミングの仕事はどんどん海外にアウトソーシングされていったのである。
昨年、米国IBMがインドのIBMで採用した従業員の数はなんと15,000人であった。プログラミングの仕事は安さを追及するためにどんどん南北差を利用して賃金の安い国を移動するビジネスになってしまっていると言えよう。
どうしてこういうことになったかと言うと、プロとアマチュアに差がないからである。或いは、目に見えない仕事をしているので、実際に働いてもらわないと生 産性がプロかアマか判らないからである。そうなれば単価の安いほうに発注した方がよいとなる。これなどは悪貨が良貨を駆遂した典型例と言えるであろう。

かつてプログラマはプロとアマでは雲泥の差があった。大昔のプログラマはプログラム仕様書(スペック)の作成とプログラミング、テストデータの作成、単体 テスト、単体テスト仕様書の作成をこなすのが仕事であった。SEの書いた基本設計書からスペックを起こすのである。スペックを渡されて、ただ単純にプログ ラムを組む人は、“コーダー”と呼ばれて、新人か半人前として扱われた(要するにバカにされていたのですが、現在のプログラマはすべて昔のコーダーのレベ ルです)。その頃はプログラマのプロは生産性も厳しく要求されていたので、1人月の契約につき、COBOLベースで1,500~1,800ステップのアウト プットを要求されたのである。現在のプログラマはほとんどがアマチュアなので、生産性が上がらなくてもスペックが書けなくても、テストデータが作成できなくてもJavaを知らなくても殆どお咎めをうけない。そんなことを要求したら人を集められないからである。

かくして、プログラミングの仕事は、日本人の手を離れて海を渡って行くのである。

筆者はプログラミングの仕事をかつてのように復興させるためにも、情報処理のような試験で実技による生産性の検証や、スペック作成などの○×でない“実務的な”基準を作って試験テクニックやパターンによらない能力判定制度を導入し、企業の信頼を勝ち得て、一つの立派な職業として再生すべきときに来ていると 思うのである。
SEもプログラマとしての経験を十分に積んだ者の中から選抜して、設計やソフトウェア工学を教育するようにしなければならない。そうしないと産業として成立しないし、いつまでも社会的地位も収入も上がらない。
プロフェッショナルがいた頃(汎用機全盛時代)はプログラマの単価は100万であった。新人でも80万は切らなかった。それだけ技量が要求されたし(そう でない人もいましたが)成果物に対しての責任感もあった。勿論デバッカなんか存在しないのでモンキーデバックなんて言葉も仕事も存在しなかった。みんなアルゴリズムの王だったのである。

今、情報処理業界(IT業界というと、.comが入るのでそう呼びません)の現場力がオープン時代の文化大革命によって失われている。ドキュメント不要、 設計無用、ソフトウエア工学無用の時代に育った30代後半から40代前半のオープン世代SEが業界の中心になりつつあって、基礎を全く積んでいない彼らのスキル空洞化がたくさんの事故を誘発している。また、その弟子も設計力は伝授されない。技術の継承は完全に絶たれているといえよう(弊社はオールドスタイ ルなので未だに UNIVAC WAY が随所に残っています)。

今こそ、悪貨を駆逐して良貨を取り戻さなければならないと思うのは筆者だけであろうか?