【第70回】アクアスキュータム物語 -ブランドに関する幾多の考察

これは実際に筆者が体験した悲惨な事実に基づいた愚痴話である。

筆者はアンチ“もてるオヤジ”(即ち“もてないオヤジ”ですな)なので、ブランド物には全く興味がない。時計も1個しか持っていないし(20年前に某時計 メーカーの社内販売で買った3万円のヨットタイマー)、スーツも吊るしだし(ただし、筆者の体型に合わせて作ったと思われるブルックスですが)、かばんも犬が倒れる(即ち、ワンパターン)ものしか持っていない。

筆者はモノに執着しないし、投資もしない。
ただし、“こだわり”は持っている。
例えば、ネクタイは全てレジメンタル(稿模様ではない)である。これは、ウィンストン・チャーチルが水玉のネクタイしかしめないのを真似してレジメン一色で通している。

冬のコートにもこだわりがある。
筆者はかのチャーチルが愛用していた、アクア・スキュータムのネルソンというコートを愛用している(いた、と過去形で語るべきかもしれない)。
ネルソンとは、ウィンストン・チャーチルが愛用していたウールとカシミヤの黒いコートで、チャーチルは葉巻の灰を何度も落としたのでこのコートを何着も持っていた。
初めてネルソンを買ったのは1996年で、Made in Englandと衿のタックに入っているものであった(現在は、of Londonとしか入っていません)。その時の感動は忘れられない。何せシェープが美しいのだ。スマートだ。あのデブのチャーチルもボー・ブランメルのように見えたに違いない、スタイリッシュなコートであった。しかも暖炉のように暖かい。どんな寒い冬もこれ1つで充分であった。
ネルソンは黒のステンカラーのウールコートである。デザインはチャーチルの時代から変わらない。ネルソンは2種類あって、ウールとカシミヤの混紡と、カシ ミヤ100%のタイプである。どちらも昔は全く同じコートで軽さだけが違った。もちろんカシミヤの方が軽い。前者は約15万で後者は約35万であった。もちろん筆者は大金持ちではないので、15万円のものしか持っていない。
2001年頃、前任のネルソンがそろそろくたびれてきたので、全く同じ(と思い込んでいた)ものを同じ値段で同じアクアスキュータムの店で購入した。買ったときには全く気付かなかったが、何かが違うと感じたのである。内ポケットの仕立てが違う。ミシンのステッチが異様に粗い。まるで国産の安コートのようだ。生地が厚ぼったくてダサい。そして何よりも形がデブだ。2つのネルソンを比べてみたとき、それは明らかに違う商品であった。
皆さんは、アクアスキュータムを買うんだから、15万位でガタガタいうな、と言うだろう。だが、筆者は未だにこのショックから立ち直れないでいる。英国製ネルソンが日本製のダサいコートに劣化していたのである。それを不幸にも変化に気付かないで購入してしまったのだ。

筆者はさっそく、販売店に文句を言いに行った。
「生地もステッチ(裁縫)もデザインも違うんですけど、これはレナウン製のニセモノじゃないですか?」
店の人曰く、「いいえ、アクアスキュータムは買収されてレナウンの一ブランドになったので本物です。同じ会社が出していますから。」という答えが返ってきた。理屈は確かに合っているが、筆者の溜飲は下がらない。

この店員の理論を敷衍すると、ロマネコンティの会社が、チリのワイン畑を買収して、まったく別物のワインにラベルだけ同じものを貼ってロマネコンティとし て売り出すようなものだからだ。会社が同じだからいいとは思えないのだが、理論的には合っている。だが溜飲は一向に下がらないのである。

そもそも昔の日本人は“成金趣味”という言葉を使って、お金があることをあからさまにひけらかすような物を持ったり見せびらかしたりすることを恥とわきまえていた。ブランドものをこれ見よがしにチャラチャラ身に付け出したのは戦後のことであり、それもここ30年くらいの話しである。実は筆者の世代がその走りであった。1970年代後半~80年代にかけて雑誌JJを見てニュートラだのハマトラだの言っていた頃からの風潮である。そのころのブランドの流行はクレージュの弁当箱のようなカバンから始まったのである。 それがどんどんエスカレートしていって、いまではルイヴィトンは20歳そこそこの学生やキャバクラ嬢にまで普及している。半ば日用品と化しているのが現状である。
ちなみに昔の白黒のドラマで奥様は魔女という番組があったが、その1シーンで主人公のサマンサがダーリンの一大事を救うために出掛けに引っ掛けたのがルイ ヴィトンのモノグラムであった。本来はそういうステータスの持ち物なのである。ミュールをはいた20歳そこそこの女性が持つような代物でではないのである。

人々がブランドに求める価値は信頼である。
その信頼を社会的ステータスにまで高めたのが、エルメスやヴィトンやシャネルのような欧米の“ブランド物”のメーカーであった。

これは中身のない人間を、外側で武装させる特殊装備(要するにガンダムですな)なのである。要するにお金でステータスを購う行為なのである。ブランドは人のステータスをお金で演出する武器になるのである。これは、王妃の首飾り事件が起きた18世紀の革命前夜のフランスと状況がよく似ている(本当は物価が下がり続けるデフレの時代には、ブランド物と不動産に投資してはいけないのだが)。

日本にいる日本人はあまり意識がないが、海外の人々から見るとMade in Japanというのはとてもステータスの高いブランドなのである。冗談抜きで品質と信頼の証になると言っていい。世界中の人々がMade in Japanを高く高く評価している。

筆者の釣り師の友人がタイに行ったとき、向こうの釣雑誌を眺めていたら、現地の釣り具メーカーの広告にわざわざ漢字を使って「××太郎」とかのブランド名がついていて、あたかもMade in Japan であるかのようにフェイクされた広告がたくさん載っていたらしい。

Made in Japan =信頼性ブランドなのである。 今となっては日本という国の名前自体が信頼のおけるブランドとして世界中に認知されているのである。これは長い間の日本の工業製品の品質が日本という国のブランド価値を押し上げた結果である。

筆者はかつて香港の露店でロレックスのニセモノを売っているオジサンにセールスされたことがある。


オジサン:「社長さん(日本人を見ると必ずこう呼ぶ)、このロレックスはいい買い物だよ!」
筆者:「何で?」
オジサン:「外側は本物のロレックスで、ムーブメントはセイコーだ、最高級品だよ!」

確かに自動巻きであるはずのロレックスがステップモータで秒針を刻んでいた。

筆者も何度か出張で訪れたことがあるが、米国の国境の町に、McAllenという町がある。リオグランデ川のすぐ北に位置し、橋を渡って30分もドライブ すればメキシコである。ここに世界中の製造業が集まっている。しかも不思議な様相を呈している。同じメーカーの同じものを作っている工場が米国側とメキシ コ側に対になって2つずつ必ず工場があるのだ。これはMade in USAを安く大量生産するためのビジネスモデルである。80~90%のサブアセンブリを労働力の安いメキシコ側の工場で作って、トレーラーでそれを米国側 のMcAllenの工場に運び、最終チェックとアセンブリをして、Made in USAに仕立てるシナリオになっているのである。同じ場所で同じ人が同じ設備で作っているのに、Made in USAと呼ばれるのと、Made in Mexicoと呼ばれるのでは後々の付加価値に大きな影響があるのだろう。

最近はユーロが高くなって、ヨーロッパブランド物が高騰しているらしい。
バッグで有名な某ブランドでは、8万円するキャンバス地のバッグを実は中国で生産している。品質に問題がなければMcAllenのMade in USAのように問題ないのかもしれないが、フランス製の8万円のバッグと思っていたものが実は中国製であるという事実を知って、買っている人はあまりいな い。これはあまり愉快な話ではない。
日本製(実は??製)のネルソンをつかまされた筆者のように、不幸になる人がたくさん出るかもしれない(こればかりはMade in Japanでないほうがいいです)。

我々のブランド“ECObjects”も、Made in Japanといえば生産管理、生産管理といえばECObjectsと連想されるような一流ブランドを目指さなくてはならない。
それが真にMade in Japanを輸出するという行為なのである。
世界中の人々がECObjectsのブランドに、安心と信頼と先進性を感じてもらえるようになって、ECOの3文字で製品が売れるようにならないといけない。
そのためには我々は世界中に多くの驚異的な成功事例を作らなくてはならない。
独創的から品質第一へ、そして信頼のブランドへ。我々の進むべき道のりは極めて長い。
いつしか日本のソフトウェアのSONYと呼ばれる日が来ることを期待したい。

今回は個人的な愚痴から自戒を込めて書いた次第である。
ですが皆さん、ブランド物には気をつけましょう。