【第69回】焚書坑儒とゆとり教育

ゆとり教育が社会問題になって久しい。
最近の週刊誌の記事によると、ゆとり教育を推進した文部官僚の子弟が、ゆとりだらけの公立に行かずに、ゆとりのない私立の学校に入学していると報道されていた。
教育の機会均等を正面から破壊するこの政策は、金持ちと貧乏では受ける教育が異なるという差別を生んだ。
実は大多数の日本人にとって教育は、人生を生き抜く知恵を授かるプロセスではなく、一流企業に就職するための手段でしかないので、教育の内容などどうでもよいと思っている人が多い(これは江戸時代の武士にとって剣術は心身鍛錬の道ではなく、仕官のための手段であるというようなことですが)。
それゆえ多くの日本人は教育に興味がない。どこの大学を卒業したかは重要だが、大学で何を学んだかは殆ど興味がないのである(ようするに学問オンチなのです)。
その結果がゆとり教育のような文部官僚の暴走を生んだのである。

暗愚な国民を煽動して独裁国家を作るためにはどうしたらよいか?
これは全ての独裁者が知恵を絞るところである。


1つには、“あらゆる情報を隠蔽する”という施策が有効である。これは昔から行われていた。
世の中の邪な為政者はこのためにあらゆる手を尽くしてきた。
試しに日本の官僚はどういう方法を使ったのか解説してみよう。

政治制度を複雑にして国民にわからないように運営する
(本メルマガ第49回「相続税と国の借金のミステリー」参照。特殊法人や外部団体、特別会計のしくみはその代表です)

国民に歴史を学ばさせないようにする
(形式的には教えますが、本質的にはマルクスの唯物史観の教科書を作成して歴史オンチを大量生産しています)

行政の情報を非開示とする
(これは日本各地で現在オンブズマンが活躍していますが、日本の司法はこの件を“なじまない”という変な日本語を駆使して判断を回避してきました)

情報を隠蔽して独裁政治を行うために、各国の元首は古今東西いろいろな手法を用いた。
秦の始皇帝などは、かの有名な焚書抗儒を断行した。焚書抗儒とはいかなる情報弾圧であったのか引用してみよう。

 


焚書坑儒
焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)とは、秦の始皇帝が思想・言論の自由を抑圧した事件の名称。秦の始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。
丞相の李斯は儒者たちが古えによって現在を否定したり、個々人が自分で学んだ学問で政府を批判していると指摘し、これを弾圧するように建議し、始皇帝はこの建議を入れて実施させた。
その翌年、廬生や侯生といった方士や儒者が始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難し逃亡したため咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにした。
(以上、Wikipediaより引用)



実は、筆者は現代でも“教育の普及”の名目のもとに焚書坑儒が公然と行われていると思っている。これは中国でも韓国でも日本でも実施された政策である(効果があったのは中国、韓国ですが)。
国民を暗愚にするためには、人々が昔の本を読めないようにすればよいのである。始皇帝のように本を焼き払う必要はない。では、どうやってそれを実行するか?実に簡単である。文字を変えるのだ。
それによって人々は古典や歴史を読むことができなくなって伝統は簡単に崩壊する。
以下に中国、韓国、日本の例をあげてみよう。


ケース1 中国の場合
【簡体字】
簡体字(かんたいじ)あるいは簡化字(かんかじ)は、1960年代に中華人民共和国で制定された簡略化された漢字の字体体系。正確には字全体が簡略化されたものだけを簡体字といい、偏や旁など一部が簡略化されたものも含めて簡化字という。
1956年、「漢字簡化方案」が公布され何年かの実験を経て、1964年、「簡化字総表」としてまとめられた。中国本土及びシンガポールで使用されている。
草書の要素を多く取り入れたもので、その内容は、偏旁に使用できない簡体字350字(第1表)、偏旁に使用できる簡体字132字と簡化偏旁14個(第2表、下記参照)、第2表を適用した簡体字1753字(第3表)からなっている。総数は2235字になる。

~中略~

【歴史】
漢字の簡略化は古くから俗字として行われていたが、正字として使われることはなかった。
清末、1909年、陸費逵が『教育雑誌』創刊号に「普通教育応当採用俗体字」(普通教育に俗字を採用すべきだ)という論文を発表したことが簡化運動の始ま りとされる。五四運動時代の1920年、銭玄同は『新青年』に「減省漢字筆画的提議」(漢字の筆画を減少させる提案)を発表し、1922年には陸費逵らと 連名で国語統一籌備会に常用の漢字すべての筆画を減少させることを提案している。
また、1934年にも国語統一籌備会に簡略された字体の収集を提案し、翌年の1935年には2400字あまりの『簡体字譜』の草案が編まれた。一方で国民 政府教育部でも324字の「第1批簡体字表」を公布したが、反対派の反発により実施されることはなかった。その後、簡略字体の収集が盛んになり、1937 年には字体研究会が1700字の「簡体字表第一表」を発表している。
1955年、中国文字改革委員会が「漢字簡化方案草案」を発表し、1956年1月「漢字簡化方案」が正式に公布され、514字の簡体字と54の簡略化され た偏や旁が採用された。その後、簡化字は1959年までの4度、公布され、1964年には『簡化字総表』としてまとめられた。
1977年、中国文字改革委員会は新たに「第二次簡化方案草案」を発表し、更なる漢字の簡略化を目指した。しかし、この試みは社会に混乱を催して不成功に終わり、8年間の試行で廃棄された。
この簡化字は俗に二簡字と呼ばれる。
(以上、Wikipediaより引用)



これは毛沢東と中国共産党の、それこそ4000年ぶりの改革?となったのである。
この文字の革命は文化大革命と時を同じくして実行され、中国の歴史と宗教と伝統と文化の破壊と同時並行して実施されたのである。
これによって中国4000年の文化がこの先きちんと継承されるかどうかは全く未知数である。
ちなみに、平均的教育を受けた中国人の識字する漢字は4,000字、知識階級で7,000から8,000字に及ぶといわれている(日本人は教育漢字の1,000字しか知りません)。


ケース2 韓国の場合
【ハングル】
ハングル (Han(-)geul/Han’gul) 、朝鮮文字(チョソンムンジャ)は、朝鮮語(韓国語)固有の表音文字であり、1446年に李氏朝鮮第四代世宗が、「訓民正音」(Hunmin Jeong-eum) として公布した。

~中略~

【ハングルの呼称について -韓国-】
韓国では「ハングル」(偉大なる文字)と呼ぶ。成立当時は「訓民正音」と呼ばれた。本来は漢字と併用されるが、漢字は、公文書で使用が停止されたり、 1970年に「克日」のスローガンの下に義務教育での教授が停止されるなどした時期があったため、一度はほとんど使用されなくなった。
近年、韓国内の漢字推進運動が影響力を増し、公文書で限定的に扱われるようになり、義務教育で約900字を教えるようになったが、日常の文章で漢字が用い られるのは希で、新聞の見出しや地名・人名・歴史的用語で一部見られる程度である。若年層では自分の名前さえ漢字では書けないことも珍しくない(最近は、 名が漢字ではない人がいるが、これは日本におけるカナによる命名と同様であり必ずしも関係はない。女子プロゴルファーの朴セリ選手が有名である)。
ハングルという名称は国語学者である周時経(チュ・シギョン、1876年~1914年)が名付けたと言われる。ハンが「偉大な」、グル(クル)が「文字、もしくは文」という意味である。
(以上、Wikipediaより引用)



現在、韓国人の20代、30代の世代は漢字をほとんど知らない。40代以上の人々は漢字が読み書きできる状態にある(韓国の会社の名刺も年齢により漢字表記があるものとアルファベット表記のものと2系統ありますが、それは年代と大きく関係します)。
それによって何が起きるかというと、若い世代が韓国の伝統や歴史を記述した書物をほとんど読めなくなってしまうという事態が発生したのである。これは深刻な文化の断絶である。また、歴史の否定でもある。


ケース3 日本の場合
GHQが主導した戦後の文字改革によって、漢字は旧漢字から略字化された新字体に改革?された。
この際に文部省が行った愚策の中に、漢字を廃止しようとした、漢字制限という、昭和21年(1946年)の政策があった。日本の文部省はそのために、漢字の使用に優先順位を勝手につけて運用を強行した。
これが教育漢字(1,006字)や当用漢字(1,850字)である。
日本人は試験のための点取りバカが多いので、文部省がこういうのを定めて、これ以外は試験に出さないと決めると、本気でこれ以外の漢字は試験で役に立たないから不要だと考えるらしい。
これらはGHQに指導されて将来の漢字廃止を前提として当座の用をなすということで、当用漢字と暫定的に定められた。これは、1981年に常用漢字となっ たが、文部省は戦後35年間、漢字を廃止したかったらしい。これは民族の危機である。小説や雑誌が売れてなかったら、現在の日本の新聞はアルファベットで書かれていたかもしれないのである(これは冗談ではなく本当の話です)。


最近、日経ナショナル・ジオグラフィックが出版した、エジプトで発見されたユダの福音書の復元と翻訳の歴史を書いた本、ハーバート・クロスニー著「ユダの福音書を追え」(原題:The Lost Gospel)を読んだ。
この古文書はエジプトの砂漠の地下墓地から発見されたパピルスの写本であったが、1970年代に発見されて30年以上もその価値を理解されずに次々に所有者が変わり、ひどい損傷を受けて2004年12月に学者の手にわたるまで翻訳されることはなかった。
なぜこのようなことになったかというと、この本はコプト語という、ローマ時代のエジプトの文字で書かれていたからである。先祖が残した貴重な文献であったにもかかわらず、当時のエジプト人はその価値を全く理解できなかったのである。
これが歴史の分断である。文字を変えるということは、歴史や伝統を葬り去るという意味を持つのである。
その証拠に、中国の儒教的道徳観は今となっては古典京劇の世界にほんの一部残っているだけであり(筆者は北京に行くと必ず京劇を観にいくのですが、古典京劇のいくつかの演目には儒教道徳が色濃く残っていて現在失われた漢民族の伝統が垣間見れます)、韓国も急速にその儒教的伝統をなくしつつあるのではないか という気がしている。特に漢字を使わなくなった若い世代からその傾向が顕著なのではないかという気がしている(これは確証ではなく、筆者の勘ですが。したがって明快な根拠はありません)。

最近“ゆとり教育”の失敗が話題になっていて、ゆとり教育を無理矢理推進した文部省の官僚が、週刊誌などで実名で糾弾されているが、ゆとり教育など比較にならないくらいの大問題政策が、戦後の漢字廃止政策であった。
しかも彼らは実に戦後35年間も、この政策を実行しようと考えていたのである。これは立派な焚書坑儒であり、文化に対するテロ行為である(というよりは政府の一機関が担うようなテーマではないです)。

日本は90年代に、米国に留学して英語で教育された人々がグローバルスタンダード政治とグローバルスタンダード経済を推進してきたが、この“たまご主義” (卵は黄身が黄色人種で白身が白色人種です。即ちDNAは日本人だがフィロソフィーは米国人である人々の総称です)見直しの機運が高まって、藤原正彦数学 教授の名著“国家の品格”のような本が200万部近く売れるようになった。
そのなかに「小学生に英語を教えるなんて言語道断だ」と書いてある。

皆さん、ゆとり教育の轍を踏まないように文部省の政策をWatchしましょう。