【第68回】別冊お父さんのためのワイドショー講座その1 男女差別あれこれ -負け犬哲学考

いつも硬い話ばかりなのでたまには肩の凝らない話を一席。

言霊(ことだま)とはよく言ったもので、昔から日本人は言葉には霊が宿っていると考えている。だから言葉には昔から不思議な力が宿っていると考えてきた。 その言霊を巧みに操って日本の女性はDNAにしみ込んだ意見を主張している。長年、自立や自己主張が許されなかった男尊女卑の社会の中で、たくましく自己 を主張する姿がその中に活写されている。
その一例を紹介しよう。

ケース1. A君とB子の別れ話

A君:「俺、お前と別れたいと思ってる」
B子:泣き出す
   「どうして、ねぇ、どうしてなの?あんなに尽くしたのに!」
A君:「俺、他に好きな子ができたんだ」
B子:泣きわめく
   「あたしを捨てるつもりなのね。絶対に許さない!!」

さて、ここでA君は彼女が言った“尽くした”、“捨てる”という内容がどういう行為であったかを冷静に分析してみた。
B子はタカビーでジコチューで、いつも女王様気取りだった。食事に行ってもお金を出すのはいつも俺だし、一体何を尽くしてもらったんだろう?さっぱりわからねー。B子のプレゼントはいつもお手製ケーキだけどおれはシャネルの30万のカバンを買わされた。だいたい、生ゴミじゃないんだから、人間を捨てたり 拾ったりするもんじゃないよな。俺はただ交際を止めたいだけなのに。それはお互いの権利であって、そこまで義務と責任を負う必要はないよな。割りにアワネー


ケース2. C夫とD子の夫婦の会話

 D子:「あなた、今度の日曜日に買い物手伝ってよ」
 C夫:「ダメダメ、ゴルフだから」
 D子:「何でいつもそうなの!家庭を顧みないで!いつも家を守っている私の身にもなってよ。少しは手伝って!」

確かに、戦時中に夫が出征して、南洋や中国で戦っていた時代は留守を守る妻は、銃後の家を竹槍で守ったかもしれないが、この夫婦は1時間で掃除が終るような2DKのマンションに住んでいて、舅も姑もいなければ子供もいない。妻は3食昼寝付きの専業主婦で何もしていない。第一、“守る”といっても誰も攻めに 来ないのだ。せいぜい、1ヶ月に1回、NHKの集金人が来るくらいである。D子は“ただ漠然と暮らしている”だけなのだが、“家を守る”という言葉を駆使 した途端に、彼女の存在は神々しく輝き、何か偉大なことを成し遂げているような印象になるのである。
また、“家庭を顧みない”とは、タイムリーに家事を手伝わないという意味なのだが、こういう風に言うと、何やら壇一雄の火宅の人のように聞こえてしまうのである。無実の人に余計な罪悪感を植え付ける脅迫文である。


ケース3. 結婚を申し込みに来たE夫とF子とF子の父親の会話

E夫:F子の父親に向かって
    「お嬢さんをください!必ず幸せにします!」
F子:「E夫さん、私を幸せにしてくれるって」
父親:「よし、わかった。娘を君にやるから必ず幸せにしてくれ、約束だ!」

実はこの会話には多くの非常識が隠されている。
まず、F子は品物ではないので、例え父親であってもあげたり貰ったりするものではない。この会話は人身売買そのものになってしまうおそれがある。セクハラより罪が重い。また、後々50年以上に及ぶ結婚生活をうまく維持するためには、お互いがお互いを尊重し、尊敬し合い、お互いに努力してゆくことが必要であ る。このケースで、F子が20歳のまま変わらず、人格も社会性も教養も生活力も全然向上せず、50年もE夫から受ける恩恵にすがるというのは、E夫にとっ てとても無理のある一方的な奉仕となる。50年も一方的に相手に全てを与え続けるというのはキリスト教の宗教愛に近いもので、こうなるとF子とE夫の関係 は宗教的な崇拝と奉仕を意味するものとなる。
紙切れ(婚姻届)にたった1回捺印しただけで、これだけの奉仕を求められるのはどう考えても理不尽である。こういう一方的な人間関係は長続きすることはない。なぜなら、E夫にF子を支える力がなくなったら自滅するからだ。
何の努力もしないF子にそれを立て直す力はない。また愛情だけではご飯を食べることはできないし、給食費も払えなくて、ひもじい思いをする子供を救うこともできない。


以上のケースのように、こういった日本女性の特有の言い回しは、依頼心の強い自立していない女性を正当化するための美辞麗句である。
実は働く女性の敵は職場の男性上司や新橋のオヤジではない。働く女性の敵は働かない女性であり、自立した女性の敵は依頼心の強い女性なのである。女性の敵は女性であり、オヤジでも男性でもない。
酒井順子はこの原理をよく理解していて、“負け犬”という言葉を作ったのである。
負け犬とは、未婚で子供のいない、自立した職業を持つ独身女性を卑下して発明された言葉である。

ここに負け犬の典型がいるので紹介してみよう。

G子は年齢35歳、年収1,000万で会社の重役である。海外旅行に年4回行き、ブランド物を山ほど買って、西麻布や六本木の高級フレンチに通い、ゴルフが趣味である。3年前には結婚を諦めて、青山に3LDKのマンションを6,000万で買った立派な“負け犬”である。
片や、G子の大学時代の友人のH子は“勝ち犬”の典型である。22歳のお茶汲みOL時代に、大学の同級でフリーターのI夫と結婚し、現在は1歳、3歳、7歳の3人の子供を持つ幸せな専業主婦である。住まいは東大宮の3Kの公営住宅で家賃は35,000円で、唯一の楽しみはイトーヨーカ堂に買い物に行くこと と、近所のすかいらーくでケーキを食べることである。夫の収入は20万もいかず家計はいつも苦しい。最近では子供の給食費もろくに払えず、美容院には1年以上も通っていない。来月辺りから下の子を保育園に預けてパートにでも出ようかと思っている、素晴らしい“勝ち犬”主婦である。

酒井順子は言葉の語感を逆手に取って、
 勝ち犬=幸福
 負け犬=不幸
のように仕立てているが、これはあざといレトリックであり、幸福な独身女性が勝ち犬主婦から嫉妬されないための天然ボケシールドなのである。

ところが日本では平塚らいてう以来、女性の敵は男性ということに相場が決められている。明治の社会と現代の社会では全く状況が違っているのに、この合成の誤謬は修正されていない。
実は現代社会では女性よりも男性の方が差別されているような気がするのは筆者の錯覚でであろうか?
昨今の奇抜な女性の服装を見るにつけ、猥褻物陳列罪は女性には適用されないと思うし、女性が入場を許されて男性が入場できない施設は世の中に山ほどあるし、同じ飲み会で同じメニューで女性のほうが料金が安いケースは死ぬほどある。

例えば下記のケースでは男性はセクハラで訴えられるが、女性は Not Guilty(無罪)である。

A雄がB子に
「君、最近化粧が濃くなったんじゃない?彼氏でもできたの?」
—> セクハラ  そのうち裁判沙汰

B子がA雄に
「A雄さん最近オヤジはいってますよ。頭も薄くなってるし。またその脂汗がチョーキモイんだけど」(ちなみにここまで言われる人は弊社にはおりません)。
—> 非セクハラ ただの笑い話

ただいま日本中に“エビちゃん現象”という社会現象が出現している。
ご存知ないオジサンのために解説すると、蛯原友里という女性ファッション誌「Can Cam」の専属モデルがいて、彼女が雑誌で着ている服が片っ端から売れまくるという大ブームのことをさす言葉である。
これはルイヴィトンやシャネルだとかのブランドとは一切関係なく、雑誌でエビちゃんが着たもの、身につけたものが全て店頭から完売するという珍現象なのである。これはいままでの日本の流行にはない新しいパターンである。特定の個人が一種の擬似ブランドになったわけである。

エビちゃんは女性の側からはかわいい女性の象徴であるが、対する男性からはどう見えるのであろうか?
筆者の友人のある編集者はかくのたもうた。
「エビちゃんってのはさ、要するにオードリヘップバーンがキャバクラ嬢に進化した姿なんだよね。俺らの世代はだれでもオードリヘップバーン好きだったじゃない。要するに日本人の好みの進化形なんだよ。目が大きくてウルウルしていて従順な感じが、チワワみたいにかわいいわけよ。そう考えるとアイフルの子犬に似たとこがあるね。日本人の最大公約数にうけるわけよ。目をウルウルして首をかしげたら守ってやりたくなるじゃない。」
なるほど。目に重点をおきグロスで口紅を薄くするメイクは、グレースケリー的美人の対極にあるといえるかもしれない。

先日のアエラの分析によると、今、押切もえやエビちゃんを絶大に支持しているのは20代後半の独身女性だそうである。彼女たちはここ4,5年の就職難(女 子大学生の就職率が40%でした)で思った職業に就職できず、派遣社員のままで将来の展望が開けない、閉塞した自分の状況を打開するために(つまりは勝ち犬になるために)、せめて同世代の男性に受けがいいエビちゃんのファッションを真似して幸せオーラを獲得しようと考えているというのがこの珍現象の背景にあるらしい。
この大量の“擬似エビちゃん”は勝ち犬を目指して最後のスパートをかけているのだそうだ(ほんとかね)。実は筆者はこの擬似エビちゃん大集団が、見事に専業主婦におさまって、靴下のありかもわからなければ、ネクタイも自分で締めることができない、擬似オヤジを大量生産して、またまたエコノミックアニマル時代を出現させるのではないかと心配しているわけである。
また、こういう依頼心の強い女性は家庭不和の原因となりやすいので、将来の離婚率の上昇も招くと心配するわけである。

やはり働く女性の敵は働きたくない女性なのだろうか?