【第63回】天罰のない国 -天網恢恢疎にして洩らす(後編)

この背景を説明した本が2冊あるので紹介しよう。
小室直樹の論理の方法にこういう記述がある(原点はヘーゲルです)。


・家父長原理で組織された日本と中国
(前略)
シナ及びモウコ帝国は神政的専制政(テオクラーテイツシエ・デスポテイー)の帝国である。ここで根底になっているのは家父長制的状態である。一人の父が最上に位していて、われわれなら良心に服せしめる様な事柄の上にも支配を及ぼしている。
この家父長制的原理はシナでは国家にまで組織化された。
(中略)
シナにおいては一人の専制君主が頂点に位し、階統制(ヒエルラルヒー)の多くの秩序を通じて、組織的構成をもった政府を指導している。そこでは宗教関係や家事に至るまでが国法によって定められている。個人は道徳的には無我にひとしい(同書、三頁)。
シナの状態は、近代的絶対主義国家とは異なるし、またデモクラシーが崩壊した後のファシズム国家(全体主義国家)とも違う。近代絶対主義国家においては国 王は絶対権力を持っています。われわれが良心に服せしめる事柄、つまり宗教とかその他の諸々の価値のような、自分で勝手に決めてよいということを良心に服 せしめる事柄、それと政治権力が命ずる事柄というのは全然違う。これが近代の絶対主義国家です。
本来、共産主義でも原理的にはこうでなくてはいけないはずです。ところが、スターリンはこういうところまで無制限に国家権力を及ぼそうとしました。そこで作家のソルジェニーツィンなどいろんな人々が反スターリン主義になった。
ところが、シナや日本では本来なら良心に服せしめるような事柄の上にも国家が支配を及ぼしている。これが西欧的独裁あるいは専制とも全然違う東洋的家父長国家である。
この家父長的制度(家父・家長の支配権を絶対とする家族形態)はシナでは国家にまで組織された。日本においても家父長的原理は国家にまで組織化される。宗教関係や家事に至るまで国法によって定められている。
(以下省略)

以上、小室直樹 著「論理の方法」より引用



また、稲盛さんの「生き方」によれば、人間の人生を決める“神の見えざる手”は、もって生まれた“運”と生まれた後の生き方を反映した「因果応報の法則」の2つであり、「因果応報の法則」の力の方が“運”より勝っていると論じている(以下引用)。


・人生をつかさどる見えざる大きな二つの力
人生には、それを大本で統御している「見えざる手」がある。しかもそれは二つあると私は考えています。
一つは運命です。人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていく。異論のある方もおられるでしょうが、私はこの運命の存在は厳然たる事実であると考えています。
人は、たしかに自らの意思や思惑の届かない大きな「何か」に支配されている。それは人間の喜怒哀楽をよそに、大河のごとく一生を貫いてとうとうと流れ、いっときも休みなく私たちを大海に向けて運びつづけています。
では、人間は運命の前ではまったく無力なのか。そうではないと思います。もう一つ、人生を根本のところでつかさどっている、見えない大きな手があるからです。
それが「因果応報の法則」です。
つまり、よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生むという、原因と結果をまっすぐに結びつける単純明快な「掟」のことです。
私たちに起こるすべての事柄には、かならずそうなった原因があります。それはほかならぬ自分の思いやりや行いであり、その思念や行為のすべてが因となって 果を生んでいく。あながたいま何かを思い、何かを行えば、それらはすべて原因となって、かならず何らかの結果につながっていきます。また、その結果につい ての対応が、再び次の事象への原因と化していく。この因果律の無限サイクルもまた、私たちの人生を支配している摂理なのです。
第1章で「心が呼ばないものは近づいてこない」、すなわち人生は心が思い描いたとおりのものであるということを述べましたが、それもこの因果応報の法則によるものです。私たちの思ったこと、行ったことが種となって、そのとおりの現実をもたらすからです。
また第3章で、心を磨き、高めることの大切さを強調したのも、この因果律に従えば、高められた善き心というものが、善き人生をもたらす要因となるからにほかなりません。
運命と因果律。その二つの大きな原理がだれの人生をも支配している。運命を縦糸、因果応報の法則を横糸として、私たちの人生という布は織られているわけで す。人生が運命どおりにいかないのは、因果律のもつ力がそこに動くからです。しかし一方で、善行が必ずしもすぐに善果につながらないのは、そこに運命が干 渉してくるからなのです。
ここで大事なのは、因果応報の法則のほうが運命よりも若干強いということです。人生を律するこれら二つの力の間にも力学があって、因果律のもつ力のほうが 運命のもつ力をわずかに上回っている。そのため私たちは、もって生まれた運命でさえも―因果応報の法則を使うことで変えていくことができるのです。した がって、善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で、自らの善思善行によっ て、運命を変えていける存在でもあるのです。

以上、稲盛和夫 著「生き方」より引用



中国の皇帝(赤い皇帝)にはこの因果応報の法則があてはまらないが、これは彼らが人口13億人の中で一番の強運の人間である“運”をもって生まれたので、並み居る因果の法則よりも“運”が強く働いた結果かもしれないのである。

今から20年ほど前、筆者がサラリーマンであった頃、中国の大学とソフトウエアの合弁会社を作る準備をしていたのだが、その関係で筆者のところに3人の中国人研修生が留学してきた。
みんな優秀で、日本語もろくろく話せない状態で情報処理試験にやすやすと合格していた(その中の2人は今では立派に会社を立ち上げて社長になっています)。
その中のひとりRさんと飲みに行ったときに、彼は中国人の人生観をこう語った。
「中国人は人間の運命は生まれたときから決まっていて、変えられないとおもっている。」
筆者は「そんなことはない。生まれたあとに努力したり精進すれば運命は変えられる。」と主張した。ようするに因果応報の法則である。彼がいまでもそう思っているかどうかはわからないが、運命の強さだけで何をやっても罰せられることなく生きてしまうケースが、あの広大な国にはあるのかもしれない。

ちなみに四書五経の五経第一の書物は易経である。運命にたいする科学である。それは偶然ではない。
とにかく我々日本人は、天罰のない国々の人々とビジネスをやらなければならない。
これは精神上の非常事態である。
未知との遭遇である。
心してかからねばいけないかもしれない。
問題は言語とかコミュニケーションではないのだ。

最後にこの件の重要な参考書を紹介します。
孔健 著「日本人は中国人を永遠に理解できない」
ぜひ一読をお薦めします(孔子の子孫の本です)。