【第62回】天罰のない国 -天網恢恢疎にして洩らす(前編)

前々回、北京に出張した時、北京郊外にある西太后の夏の別荘である、頤和園を訪れた。初夏の暑い日で、汗だくになりながら美しい回廊を歩いた。
清朝末期の女帝が最も愛したという、中国最大規模の皇室庭園は、その290ヘクタール(290×10,000㎡/3.3=87万8,788坪は東京ドームの約62個分の広さであります)の面積の3/4が湖である。この湖は実は人造で、エンジン付きのボートで横切るだけでも十数分もかかるような巨大な湖である。 ロスアンゼルスのマリーナデルレイも人造だが、重機もダンプもない時代によくぞここまでの土木工事を別荘のために行ったものだと驚いた。
実はこの湖は風水のために作られたのである。頤和園の北には小高い山があって、実はこの山は湖を掘った土を盛って作られた人造の山である。北に山を配置し、南に湖を作って、鬼門の方角(北東)に寺を配置するという風水の基本を全うするためにこの大土木工事が完工され、当時の清朝の海軍の軍事費を流用されてこの庭園は造られたのである(このおかげで日清戦争に勝てなかったと言われています)。

筆者はこの事実を知って、西太后とは何と業(ごう)の深い女性だろうと思った。実は彼女は世界史に類例を見ないような悪逆非道の限りを尽くしたにもかかわらず、天命を全うして畳の上で死んでいる(中国には畳はないかもしれませんが)。 一体、何をやったかというのを以下のとおりざっと紹介してみよう。


<西太后年表>
1835年 玉蘭(のちの西太后)、下級官吏の家に生まれる
1840年 アヘン戦争勃発(~42年)
1851年 咸豊帝即位 玉蘭、「秀女」として後宮にはいる
1856年 玉蘭、皇太子載淳を産み、妃となる/アロー戦争勃発(~60年)
1860年 英仏連合軍の北京入城、帝とともに熱河へ逃亡/屈辱的な北京条約
1861年 7月 咸豊帝死去 咸豊帝の寵愛する麗妃の手足を切断し、瓶に入れて生かしておく
1861年 10月 重臣たちを逮捕、処刑
 咸豊帝の遺命を受けて政治を掌握していた載垣、瑞華、粛順、等の8人を処刑
 6歳の載淳を即位させ同治帝とし、東太后とともに垂簾政治を展開
1874年 同治帝死去
自分の息子の同治帝が西太后の命令を聞かないので暗殺。同治帝の身重の后を紫禁城内の京劇の舞台に吊り上げ殺害
1875年 妹の子を4歳で即位させ光緒帝とし、第二次垂簾政治
1881年 東太后を毒殺?
1889年 光緒帝大婚、親政開始
1894年 日清戦争勃発(~95年)
1898年 戊戌の政変 光緒帝を幽閉し、第三次垂簾政治
1900年 義和団事件
光緒帝の側室珍妃を紫禁城内の井戸へ投げ捨てる(この井戸は北京の故宮に行くと実際に見ることができます)
1908年 10月21日 光緒帝、幽閉されたまま死去 次期皇帝に3歳の溥儀を決定(宣統帝)
光緒帝は毒殺?
1908年 10月22日 西太后死去(74歳)
※西太后の死。光緒帝が死んだ翌日というのがとても怪しい。西太后は常々「光緒帝より1日でも長く生きてやる」と言っていたそうです。自らの死期を悟った西太后が光緒帝を殺したのでは・・・
1911年 辛亥革命、清朝滅亡


最近、「ワイルド・スワン」の著者のユン・チアンが書いた、毛沢東の伝記「マオ」が本屋に並んでいる。この本は10数年にわたる調査と数百人におよぶ関係者へのインタビューに基づいて書かれている(なので半分ドキュメンタリーです)。
この伝記の記述は想像を絶する内容で、筆者は文化大革命の時代に約1,000万人くらいが殺害されたことは知っていたが、大躍進運動以来、平時において(即ち戦争をしていない状態で)7,000万人もの人々が死んだことは知らなかった。詳細はこの本に委ねることにするが、朱徳、彭徳懐、劉少奇、王明、林彪、張 国燾、項英、等の数々の政敵を葬り去って権力を欲しいままにした毛沢東は沢山の人民を餓死させ、内乱で横死させ、権力を濫用したが、無事に天命を全うして 畳の上で死んでいる。
秦の始皇帝もヌルハチもチンギス・ハンもフビライも則天武后も、皆、畳の上で死んでいる。
このように何をやっても全く天罰を受けることなく、一生安泰で天命を全した人物が中国にはたくさん存在する。
これが他の国だと、スターリンやヒトラーのような絶対権力を保持した独裁者であってもその末路は哀れで、自分の駆使した権力のしっぺ返しを受けているとい えよう(スターリンは1953年にラヴレンティ・ベリヤ、ゲオルギー・マレンコフ、ニコライ・ブルガーニン、ニキータ・フルシチョフ等の側近によって毒殺 されました)。
そういう意味では、中国は天罰のない国なのである。天網恢恢疎にして洩らすなのである。
こういう事例が1つでも存在すると、“いくら悪いことやったってバチが当たらねえ奴は平気なんだからオイラも好き勝手やるぜ。西太后だって毛沢東だって何したってバチなんか当たらなかったんだから”という主張をして、倫理観も道徳観も全く持たない人間が輩出しても不思議ではない。
我々日本人は心のどこかで“悪いことをしたら、いつかバチが当たる”と思っているため、究極の極悪人は希である。ヤクザだって神戸の震災では炊き出しをやったり、人命救助をしたりして、決して略奪や強盗に明け暮れるようなことはしなかった。

小室直樹が再三言っているように、日本人は宗教オンチである。それゆえ、盆と正月とクリスマスとバレンタインは同居する。結婚は神に誓って、葬式は仏に依頼するのである。
新渡戸稲造は「日本人はなぜ宗教教育を受けていないのに徳育が備わっているのか?」と英国人に聞かれて、「武士道でござる」と答えたが、日本の一般庶民には武士道なんか関係ないので、これは一部の階級の人々以外の規範にはなっていない。
それでは何が日本人の道徳観や倫理観を支えていたかというと、それはフーテンの寅さんが言ったとおり、「オテントー様はよーっく見ていなさるよ」なのである。従って、オテントー様(これは一種のアニミズムでしょうかね)から、いつか天罰が下ると思っているので、日本人は一般庶民に至るまで一定の倫理観を もって衿を糺すのである。
ところが、中国のオテントー様は、天子、即ち皇帝なので、皇帝がバチを当てないと判った途端に戒めがなくなるのかもしれない。オテントー様がバチ当たりをやってもバチが当たらないので一般庶民も天罰を気にしなくなるのである(ホントかね)。
だが、そのくらい言いたくなる程、毛沢東の人生はすさまじい。裏切り、殺人、権謀、術数、嘘の報告、強迫、謀略、密告、毒殺、等のありとあらゆる悪業を重ねたにもかかわらず畳の上で天命を全うし、しかも国家的英雄にまでなって崇拝されているのである。
これは驚くべきことだ。オテントー様のいない国が地球上で唯一存在したのである。


次回に続く