【第61回】ソフトウェアのパッケージ原論 -なぜ日本には独創的なプロダクトが生まれないのか?

弊社は日本のソフトウェア産業の中でも数少ないISV(注:IBM用語でIndependent Software Vendorの意味で、日本風に訳すとパッケージベンダー)である。
これがどのくらい日本で少ないのかというと、全国で約7,110社あるソフト開発会社の中で、パッケージ専業の会社は2桁あるかないかなのである。仮に50社だとすると、50/7,110=0.7%で1%にも満たない。50社の社員数を100人と仮定すると、全国のソフト屋さんが推定57万人で、50社 ×100人/57万人=0.8%でやはり1%にも満たない。
この事実を統括すると、日本でソフトウェアの仕事に従事しているプログラマーやSE諸氏の中で、パッケージを作っている人々は1%もいないということが分かる。
クリエーターは1%しかいないのである(だからエライというつもりはありませんが)。その他の99%の会社と社員は顧客のニーズを聞いて、それをもとにシステムを受託開発するSIer(システムインテグレータ)かまたは、顧客の職場に派遣されてそこの要求に従ってプログラムを組む人材派遣の仕事を行ってい るのである。

そもそも1970年代から1980年代までのコンピュータは、IBMやユニバックなどのメインフレームかDECやアポロのようなミニコンが主流で、個人や小さな会社では所有できないとても高価なものであった。
従って、経理や生産管理の業務パッケージはメインフレーマーしか作ることができなかったのである。OS、マシン、言語の全ての環境がメインフレーマーの所有物だったからである。
その頃の業務パッケージのベンダーは、殆どがこうしたメインフレーマーであった。
80年代後半から90年代にかけてUNIXマシンが普及してくると、米国ではデータベースのベンダーが出現し、90年代になってPCがパワフルに進化し て、UNIXも個人が買えるくらいの値段になってきた頃、米国にはパッケージベンダーが数多く出現し世界のマーケットをリードしはじめたのである。
その間、日本のメインフレーマーはIBM事件以来、どんどん汎用機から撤退していって、それに伴いパッケージを作る力も衰えていったのである。
現在、日本のソフトウェア産業は、米国やヨーロッパやイスラエルの後塵を拝しているどころか、後発の中国、インドにさえ遠く水をあけられた状態にある。
業務アプリケーションの世界では1兆円近い輸入国であり、プロダクトの生産では完全な後進国なのである。
現在の日本のソフトウェアの実力は、世界ランクでも100位近くをさまよっているのが実情である。明治以来の産業でこれほど負け続けた業種はない。
情報処理産業(IT産業というと .com と一緒にされるので)はどうみても21世紀の基幹産業であるにもかかわらず、日本の現状は三流輸入国となってしまっている。
どうしてこういうことになったのか、筆者は4つの理由があると思っている。今回は業界人の立場からそれを解説してみたい。

まず第1に、日本のソフトウェア産業が外資系メインフレーマーや大手ハードベンダーの副業として出発したために、専業メーカー(専業ベンチャー)が育ちにくかったという環境がある。90年代のオープンの時代にも、ほとんど育たなかった。
それがなぜよくないのかというと、仮に大企業の1部門で、ソフトウェア・プロダクトを立ち上げると、その部門は会社の数あるソフトウェア集団の1部署となるわけである。
いいソフトウェアを育てるためには、少なくとも最優秀のアーキテクトが10年は頑張らないといけないのだが、大企業で同じプロダクトを同じ役割のまま担当するということは本人にとってとてもマイナスなのである。即ち出世していないということを意味するからだ。10年も担当するというのは出世しないということになってしまうのである。
少なくとも当人はともかく、横並びで出世していく同期を見て、10年同じ仕事を担当したくはないのである。
従って、大企業でプロダクトを立ち上げると、事業の継続性に必ず問題が出てくる。
米国のベンダーは、マイクロソフトやオラクルのように専業の生業(なりわい)として取り組むので、部門を移動しないと出世に響くという論理はない。これが専門集団の強みなのである。

第2に、現在の日本のソフトウェア業界には、盟主(リーダー)がいない。例えば、パッケージベンダーというと、現在あがるのは、IBM、Oracle、SAP、マイクロソフト等々で、現状のマーケットをリードしているベンダーは全て外資系である。
実は、オープンが始まる前の70年代~80年代には、NEC、富士通、日立、沖電気、東芝、三菱電機、等々の国産メインフレーマーがゴロゴロいたのである。中小ベンダーやSIerはその大企業の傘の下で守られながら成長する図式があった。
ところが最近は、弊社のような100人程度の中小ベンダーに数万人の従業員を抱える大手ベンダーが対等の勝負を挑むようになったのである。時によっては対等どころか体力でねじ伏せるパターンもよくある。横綱相撲ではなくゲリラ戦に正規軍が参加しているようなものである。
弊社も、ある大手ベンダーと今までに何十回もコンペになっているが、そのメーカーは今まで一度も弊社より高い見積もりを出したことがない(経済誌を見ると、安値受注はやめましたと書いてありますが実際は嘘です)。コスト構造は明らかに弊社の方が有利にもかかわらずいつも弊社より安いのである。一番目が点 になった見積もりは、“クラステクノロジー社の半分の値段でスクラッチで(一から手作りで)作ります”、というものだった。
これでは価格を体力に任せて叩き合って業界のコスト構造は悪くなる一方である(ただこの提案は値段では勝てますが、品質と納期では勝てません)。大手の一社が仕掛ける安値戦争で業界全体のコスト構造が崩壊していると言っていいと思う。

第3の理由は人材である。どんな一流大学を出ていても会社によっては下流工程の下請仕事しかやっていない会社が多いので、“モノを作る”とか、“自ら企画 する”という仕事そのものに従事するチャンスがないのである。それ故、新しいものを考えてそれを商品化し、パッケージにしてマーケティングをして売る、と いう発想と行動力がないのである。
周囲をみても、お客様の言った仕様を真面目にキッチリ作ることは得意であるが、自らプランを立案し、設計して、クリエートするということには慣れていないのである。
要するに、農耕民族として育てられたために、狩猟は苦手なのである。

第4の理由は開発体制である。日本の会社でパッケージを作るときはピラミッド型の組織で運営される。そうすると天才的なアーキテクトが考えた独創的なアイ デアが上の係長でちょっと修正され、課長で少し直され、部長でアドバイスされ、取締役で補正されて少しずつ原型を崩して実現される。
こういう風にパッケージを作ると、最初のバージョンは70点を切らないで完成する。だが、それは決して100点になることのない70点なのである。当初の独創的な設計思想、フィロソフィーは決して継承されない。イノベーションも実現されないのである。
これが米国のベンチャーだと開発体制は超文鎮型で組織される。即ち、一人の天才の下にフラットにメンバーが並ぶのである。One Genious & Others チームである。
これで開発するとどうなるかといえば、例えばマイクロソフトのWindowsのように、初期は3.0まで全く使いものにならないこともある。最初のバー ジョンの完成度が60点以下の仕上がりとなる可能性もある。Windowsも3.1以降を使った人はいるかもしれないが、1.0や2.0や3.0を使った 日本人は皆無であろうと思う。だが、この60点以下のシステムは100点になる60点であり、バージョン100までそのフィロソフィーや設計思想は継承さ れるのである(そののちのWindowsがそれを証明しています)。
これが日本のパッケージと米国のパッケージの差である。
日本人は画面の機能やDBの項目のような機能や性能には敏感であるが、設計思想やフィロソフィーには極めて鈍感である。ところが、ソフトウェアはシステム で具現化されるものではあるが、その設計思想、フィロソフィーが最も重要なのである。それゆえ、一人のアーキテクトが考え出した思想を曲げてはならないし、周囲の人間は機能より思想を理解してサポートしたり継承したりしなくてはならない。
日本のパッケージは、他社の同様のパッケージを機能ごとコピーしたり、あるお客様で作ったアプリケーションをパッケージ化して商品にする例が多いが、これだとバージョン100まで製品を継続的に発展させるロードマップが描けないのである。
まず設計思想をしっかりと固めて、バージョン100までの実現のロードマップをデザインしなくてはならない。それがパッケージのアーキテクトの仕事である。

日本の情報処理産業が世界に挑戦するには以上の4つの国家的課題をクリアしなければならない。

幸い、知的所有権や特許に関しては網掛けがきびしくなっているので、ほかのメーカーの機能や仕様を真似するとあとで手ひどい制裁をうけるように法整備が進 んでいるが、安値受注戦争は一向に収まる気配がない。これは一種の自殺行為である。10%や20%のディスカウントならまだ理解できるが、半額が当たり前 で、時によっては1/10という値引きもある(ある仕事は4,000万で落札して数億かかりました。もっとも昔は0円でしたからまだましですが)。

どうやったら世界に通用するソフトウエアパッケージを作ることができるか?
もしそうしたいなら、人の真似やパクリはすぐにやめてアプリケーションの歴史を学び、新しいフィロソフィーを創造することが重要である。

大発明の特徴とは何か?
それは、相手に説明したとたんに「いいアイデアだ。素晴らしい!」とすぐに理解してくれて、いたく感心してくれて、その一瞬後に「で、何でこれが今までなかったの??」と質問が返ってくるようなものなのである。
誰も気づかなかったところと、不可能と思い込んでいたところにその本質がある(弊社の統合化部品表がそうです)。
それをイノベーションと言い、ブレークスルーというのである。