【第58回】マニュアルは物語

武田百合子の「富士日記」や幸田文の「雀の手帖」、森茉莉とか金井美恵子の小説を読むと、その文章の玲瓏さにうたれる。美しい。文章が美しい。日本語が美しい(武田百合子の「富士日記」、幸田文の「流れる」、坂口美千代の「クラクラ日記」など、これら女流作家の作品は日本文学の傑作であるにもかかわらず、 文壇と呼ばれる連合は吉行淳之介だの安岡章太郎だの、はたまた村上龍を認めていて、これら女流の日本語の美しさには一顧だにしません。芥川賞とか直木賞には無縁でした)。

筆者が小説家を目指していた頃、作家と認められる条件は“文体がある”という、珍妙な条件であった。「あの作家は文体がない」とか、「あの小説は文体がある」という風に使われた。まがいなりにも原稿用紙何百枚もの小説ができあがっていて、それがストーリーを持っているわけだから、どんなに不整合な表現やレトリックが並んでいたとしてしも、それが“文体”というものなので、この“文体がある”とか、“文体がない”という議論はずいぶんバカな価値観であったと思う。
これは一時期、日本の全ての小説が志賀直哉の文章を手本としていたために(これも相当乱暴な話ではありますが)、志賀直哉の枯れたシンプルな文章を最上として、小説の内容や登場人物の表現よりも愚にもならない退屈な文章を味のなくなったタクアンをひたすら噛みこむように咀嚼した結果がこの愚にも似つかない 表現を生んだのである。
こういう、内容がなくて文章ばかりやたら凝った私小説を、かの坂口安吾兄は“草食文学”と呼んだのである(安吾については百家言あるのでいつか紹介します)。

最近、小説を創造できない文壇の大御所が相次いで鬼籍に入って文学が復活してきた。
昔の“文体がある”とか“文体がない”とか、バカな議論をしていた時代だったら、リリーフランキーや東野圭吾は決して現在のように認められなかったと思 う。でも100%面白い。筆者はそれが全てだと思う。念仏のような退屈な文章をダラダラひねり出すなら、ダイナミックなストーリーにグイグイ引き込まれて感動する方がよほど充実していると思う。
小説は老舎の駱駝祥子(ロートシャンツ)のような“大説”でない限り、絶対にエンターテイメントでいいわけなので、今の才能溢れる作家の百花繚乱は決して間違った流れではない。30年前の文壇よりはよほど健全になったと思う。ちなみに、駱駝祥子は北京の裏町で生きた貧しい人力車夫の人生を通して、中国一国 のため息を描ききった“大説”である。小説もこのくらいになると歴史書のように価値がある。

筆者はSE(スケベなエンジニアの略ではない)なので、職業としては文章を書く必要がないと思われている。
ところがSEという職業ほど文章力が必要な職業はないのである。
我々はシステムをリリースするためにマニュアルを書かなくてはならない。これは難しい操作や技術を分からない素人に教えるためのテキストである。チュートリアルとも呼ばれる。
このマニュアルを文章力のないSE(つまり日本語が書けないSE)が作成すると、画面のハードコピーを切り貼りして、ユーザーが全ての情報(ページ)を丸暗記しないとその設計思想が理解できないように編集されている。その典型例がオープン系の画面切り貼りマニュアルである。これは何のストーリーもない。た だの情報の羅列である。本当は論理的に説明された文章や情報の粒度を明快に切り分けて伝える強弱がコントロールされていなければならないのだが、頭の弱い SEほどこの文章の論理性が弱いようだ。
マニュアルのストーリーは、設計思想やフィロソフィーを伝えるものでなければならないし、その過程でInputしたデータが画面やDBに何を起こすのかを示さなければならない。
これは普通の絵本を作るより相当緻密で面白い。
実はマニュアルは物語なのである。
普通の小説は好きな人しか読む必要がないので、全ての表現をユーザーに受け入れられなくともよい(晩年の鴎外や露伴のように、分かる奴だけがついてこい、というのもあります)。
ところがマニュアルは全ての人に読んでもらわなければいけないドキュメントなので、チューター、即ち良き家庭教師として(ラスト・エンペラーのピーター・オトゥールの如く)全て分かりやすく誤解のないように伝えなければならない。そのためには相手(初心者)の立場になって原理原則をしっかりハイライトし、 詳細は調べればよくて読み飛ばしても差し支えないように情報の質をコントロールしなくてはならない。
マニュアルは相手の立場に立って、“この読者はこの操作に何を期待して、何を欲するのだろう”ということを的確に予測して分かりやすく導く必要がある。

弊社では今、ECObjectsII のリリースが毎日のように行われている。よいソフトウェアを短期間に立ち上げるためにもよいマニュアルが必要である。
物語のように読んで楽しく、期待が膨らみ、ぜひすぐにでも使ってみたいと思わせるような仕上がりでなくてはならない。

もし上手く書けないR&Dのそこのあなた!
ひとつ幸田文の「雀の手帖」でも読んで、「なぜこの人はこんなにも多くの章を全て同じ分量・文字数できっちりまとめることができて、しかも明快で美しいのだろう」と悩んでください。
マニュアルも立派な文学なのです。心に残る作品を仕上げましょう。
(たまには社内に向けたゲキを飛ばしてみました)