【第55回】GMと大量生産とMRP -米国も成功体験を墨守する(後編)

大量生産システムに対する幻想は、米国では20世紀の大成功体験の呪縛といってよい。フォード、GMにはじまる大量生産システムは100年間も米国の成功を支えたスタイルなので、疑問をはさむ余地も改革を推進する余地もなかったのだ。

まず、米国の大量生産システムはフォードから始まった。
彼は、「車の価格を1ドル下げるたびに、私は1,000人の新たな買い手を得る」と豪語して、部品の標準化、ベルトコンベアによる大量生産でT型フォードの 1車種のみの単一生産により、1908年から19年間にわたって、延べ1,400万台以上ものT型フォードを全米に普及させ、市場の半分以上ものシェアをつかむことになったのである。その頃フォードはこう言った。



「価格低下は市場の新規拡大を意味し、大量生産の一層の経済性を加速させることを意味し、さらに大きな利益総額を意味する。
この原則を会社がしっかりとつかんだこと・・・・・がその強さの独特の要素だった。それはちょうど、その原則をつかみ損ねたことがライバル自動車企業の弱点の一つであったことと対をなしていた。1台あたりの利益が低くなればなるほど、純利益はますます大きくなっていった」
(以上、「現代アメリカ産業論 第10版」からの一部抜粋)



その頃のフォードは、2つのモデル、低価格・大量生産のT型フォードと、高価格・少量生産のリンカーンのみで、市場の50%を押さえていたのだが、これに果敢な挑戦状を叩きつけたのがピエール・S・デュポンと、後にGM中興の祖となる、アルフレッド・スローンが率いるGMであった。
彼等のフォードへの挑戦は1921年の特別諮問委員会の設置から始まった。
彼等は「GMが収益力を身につけ明るい未来を切り開けるかどうかは他社に引けを取らない製品を最小のコストで大量生産できるかどうかにかかっている。」と表明して、以下のような製品ポリシーを打ち出した。

・すべての価格セグメントに参入する。
・大衆車から高級車までを生産するが、あくまでも大量生産を貫き、少量生産は行わない
・各セグメントの価格幅を工夫して、規模の利益を最大限に引き出す
・GM車同士の競合を避ける

このポリシーによって、GMは世界一の大企業としての輝かしい成功を収め、米国企業の優れた経営モデルとして規範となったのである(それと共に、ドラッカーの本やマネジメントを講釈するコンサルタントが売れたのです)。

この大成功は日本、ドイツ、イタリアなどの米国以外の国々の自動車産業が立ち上がるまでの1960年代~1970年代まで独占的に富をもたらしたのであった。
その過程でユニバックやIBMがコンピュータという新しいインフラを開発し、大量生産を人力ではなく、コンピュータシステムで実現するようになった。それがMRP(資材所要量計算)システムに進化したのであった。

これは言わば、米国産業界の成功体験の遺伝子と言ってもよいものであった。その大量生産への信仰と、その写像であるMRPシステムへの依存が米国製造業のフレキシビリティや製造システムの継続的発展を阻害したと筆者は見ている。

成功体験から抜け出せないのは、何も日本人ばかりではないのである。
米国人も100年の成功体験からまだ抜け出せていないのだ。

日本のSEの中にも、MRPを引いたら何もノウハウが残らない、“生産管理の専門家”がゴロゴロしているのが現状である(MRPしか知らないのです。カワイソーなのです)。
MRPは一見、理論的に完璧なので、これさえあれば全ての生産現場を完璧にサポートできると考えてしまうSEが多いようだ。これは一種の生活習慣病か成功体験病である。

その結果、世界の生産管理システムはコンピュータの誕生以来、約50年の間まったく発達することなく現在に至ったのである。

エンジニアリング・チェーン・マネジメントという革命思想が出現した背景には、こうした歴史の流れがあったのである。
現在はインターネット普及、グローバル化、世界的な情報共有による製品の短命化、世界同時生産などにより、GMやフォード時代にはなかったパラダイムが出現している。いままでのやり方ではうまくいかなくなったのである。

そのために我々はグローバル統合化部品表を考え出し、エンジニアリング・チェーン・マネジメントを世に送り出したのである。

それはそのまま21世紀への次の一手なのである。こうご期待。