【第54回】GMと大量生産とMRP -米国も成功体験を墨守する(前編)

筆者は30代前半で課長になった時、生産管理の部隊から流通システム部に異動した。それまではUNISという米国某メインフレーマーのMRPパッケージを扱っていたので、生産管理=MRP(資材所要量計算:Material Requirements Planning)とすり込まれて育っていた。
当時はMRPにあらずんば生産管理にあらず、と世界中のシステム屋さんが信じ込んでいたと思う(日本の現場はそう思ってませんよ、念のため)。
その後の93年~97年にかけて、ダイレクト・マーケティング(DMですな。今の通販システムでCRMであります)のパッケージを作って(そのパッケージは今でも健在ですが)、PC関連の開発ツールの元締めをやったりしているうちに仕事が大きくなって責任とリスクが大きく膨らんで、報告先がなくなり、理解もなくなり、会社から出る羽目になった(その頃は1日に100本以上の電話が本社の営業からかかってきて、お昼を食べることができないくらい多忙でした。 腰痛がひどくても風邪になっても会社を休めませんでした。ツラかったー)。
要するに独立したわけである。その頃の自分の美学は、「新しい会社を作ったんだから、昔の名前では出ない。自分達のパッケージを作ろう。昔の会社のシマを荒らすのはやめよう。昔のお客さんのところに仕事を貰いに行くのはやめよう」と、やせ我慢をして一切昔の顧客をアテにするのをやめてゼロからスタートした のである。今考えるとタダのアホである。

そうやってもがいてるうちに、あるときひょんなことから某国内メインフレーマーから生産管理の仕事が舞い込んだ。6年ぶりに生管(“ナマカン”と呼びます)分野に復活したのである。
その頃はERPがちょうど国内マーケットに普及し始めた頃であり、長いバブル崩壊後の不況で日本の製造業は自信をなくし、大田区や東大阪が活気をなくして日本の工場の現場はみんな中国に移転して国内の製造業は冬の時代に入っていったと言えよう。

生産管理の世界に6年ぶりに復帰して最新のERPパッケージでの設計を見てとても驚いた。筆者が6年前にやっていたMRPそのものであり、その間システムは全く進化していなかったからである。
しかも、そのERPベンダーがベストオブ何とかで事例として紹介していた工場は、東北にある腕時計の工場で、その10数年前に我々が工場の創業時から MRPのパッケージを苦労して導入して安定運用していた工場だったからである(要するに、どんなMRPでも運用可能になっていた工場であります)。
コンピュータを駆使した生産管理システムが生まれて40数年経過したにもかかわらず、大量生産の神話とそれをコンピュータで支えたMRPシステムが全く進化せず、世界最先端のERPシステムに採用されていたことに死ぬほど驚いたのであった。
統合化部品表とエンジニアリング・チェーン・マネジメントを製品化するチャンスがそこにあったのである。

米国のMITの産業生産性調査委員会の書いた「Made in America」という本があって、米国の産業(特に製造業が)なぜ衰退したかということをレポートしている。
その中に「第3章時代遅れの経営戦略」という章があって、「アメリカ経済の低迷は多くのアメリカ人にとって謎である」という書き出しから米産業の根本問題にふれている。その中に大量生産システムに関する以下のような記述がある。引用してみよう。

 


「大量生産システム」
20世紀におけるアメリカ経済の偉大な成功の鍵は、アメリカの大規模な国内市場のための汎用規格品の大量生産システムであった。このシステムは、大量の製品を低コストで供給し、経済全体が不況に見舞われたときを除くと、十分な賃金を常に保証する雇用機会を生み出した。
一時期、世界の羨望の的となったアメリカの自動車産業において、大量生産システムは劇的な成功を収めた。本調査委員会の自動車産業に関する産業調査報告書が述べているように、大量生産システムは、個々の要素が相互に依存しつつ、互いに強化し合うシステムである。
自動車メーカーは、価格が割高ではなく、多様化していない製品を供給することで最も高い収益性が期待できる国内の大衆市場に目標を絞った。外観をほんのわ ずか変えただけの車が毎年生産された。メーカーは、価格競争に重点をおき、製品の品質やデザインの改良にあまり力を入れなかった。職場においては、経営者 は職務の単純化と専門家を促進し、厳しい職階制度によって統制を保とうとした。市場と労働力に対するこのような経営理念と平行して、技術面では、標準品の 長期生産に適した生産工具と生産機器の技術革新が重視された。部品供給業者とメーカーとの関係は、一定の距離をおいた対等の関係にあり、ある場合には、敵 対関係に立つこともあった。

大量生産システムは、その本質的要素において、アメリカのほとんどすべての製造業の特徴となっている。事実、このシステムがアメリカ国内において完勝を収 めたために、それ以外の生産様式は実質的に一掃されることになってしまった。また、職階的ではない組織や、生産の意思決定に熟練工が直接参加する伝統的手 工業や小規模市場を対象とした供給機構が存続する余地は、アメリカ経済には残されなかった。

伝統的手工業は、アメリカの事例を模倣しようと試みた海外の工業諸国においても、存亡の危機に立たされた。しかしながら、海外では、大量生産とは別の生産システムが生き残った。1970年代以降に生まれたそれらのシステムは、製造業の新しい核となった。
マイケル・ピオリ(Michael Piore)とチャールズ・サーベル(Charles Sabel)は、その著「第二の産業区分」(The Second Industrial Devide)の中で、次のように記述している。
大量生産システムに代わる生産システムが強力に生き残った諸国-とりわけ、西ドイツ、日本、イタリア-は、新しい職場組織、よりフレキシブルな技術、なら びに細分化された小規模な市場の需要を効率的に満足させうる生産方式の開発に成功した国である。日本の自動車産業の成功は、デトロイトの大量生産システム とはほとんどあらゆる点で異なる生産システムに基づいている。

日本の自動車産業は、区分された市場にそれぞれ異なる製品を提供することによって成功した。これを効率的に行い、かつ高収益をあげるために、日本のメー カーは、生産技術、製品開発手法、職場組織を開発し、生産量の調節と市場への新製品の導入を早めることができるようにした。そのためには、フレキシブル・ オートメーション技術の開発だけでなく、高度の技能労働者の養成を必要とした。日本のメーカーは、コストと同様に品質とサービスを重視し、特定市場部門の ニーズを目標として顧客に接近し、コスト削減と品質向上のために部品供給業者に接近していった。部品供給業者との協調関係は、売れ行きが良くないときにも 維持されたが、アメリカでは、部品供給業者への発注削減によって需要減少に対応するのが典型的なケースであった。

日本のシステムの優れた点が明確になるにつれてアメリカの自動車業界はその模倣を試みたのだが、初期の大量生産システムの根強さがアメリカ企業の組織改革 の障害となった。アメリカの自動車メーカーは、大量生産システムの特徴である標準型乗用車の長期生産と、従業員を大量に解雇できる特権を放棄する気になら なかったのである。
古いシステムに新しいシステムを接続すると、新しいシステムは作動しない。
アメリカの企業は、日本のメーカーの製品開発の成果に見合うだけの成果を生み出せなかった。日本の企業は、実に多くの革新的新製品の開発と、市場への導入 時間の短縮を同時に達成することによって、細分化されたマーケットと顧客からの需要の増大に対応した(日本の商品開発期間が驚くほど短いことの主な理由については、五章で詳述する)。

繊維産業も、大量生産の長い伝統を持つ産業である。アメリカの繊維企業の中には、最近、切り替えが容易な、フレキシブルな機械を採用するようになっている が、依然として低賃金、未熟練労働に依存しつづけている。そこでは、十分な訓練を受けていない労働者が、新しい、性能の高い機械を十分に使いこなしていな いのではないかという懸念が残る。すばやい品種切り替えと多様化した生産品種は、織機の調整、染色槽の制御、裁断機のプログラム調整その他、さまざまな調 整と修理の能力のある労働者を必要としている。アメリカの過去の成功の遺産は、このようにしてアメリカ産業を改革しようとする力を鈍化させているのであ る。

もちろん、アメリカの企業の中にも、進んだ組織と経営戦略を持ち、世界の競争市場で勝利を収めている事例がある。本調査委員会では、なぜこのようなケース から熱心に学びとろうとはしないのか、また、なぜこのような変革がもっと速く、かつ広くアメリカの産業界に広がっていかないのかについて理解しようと努め てきた。産業事例研究の結果は、大量生産システムから生まれた経営思考と作業法の影響が、いまに引き継がれていることを示している。
アメリカの今日の経営者の中には、この大量生産モデルのある部分を打破し、たとえばQCサークルを設けたり、生産の基本単位を縮小すべきだと考えている人 がいるのだが、アメリカと海外の産業事例研究を通して言えることは、旧来の様式の個々の部分を個別に新しいものに置き換えることはできないということであ る。西ドイツや日本のシステムの一部を借用して、アメリカの流儀に適合させることは不可能である。それよりも、生き残り、かつ繁栄を勝ち取るための改革を成功させるために、システムが持ち込まれるアメリカの環境全体を変革しなければならないのである(以上、「Made in America」からの一部抜粋)。



大量に製品を作ることと、大量生産システムは必ずしもイコールではない。日本のお家芸のセル生産、屋台生産だってセルを増やせばベルトコンベア並みの生産が可能となる。しかもフレキシブルに。
製番システム(日立系列では作番システム)でも大量に生産できないというモデルではない。
米国の大量生産システムへの信仰は下記のような流れを遡って出来上がった成功神話であった。

次回に続く。