【第51回】孫子の兵法 -ガンジーと孫文と李健煕

孫子の兵法「謀攻篇」の中に有名な一節がある。
「彼(かれ)を知り、己(おのれ)を知れば、百戦して殆(あや)うからず」
(訳:敵を知り、自分自身をわきまえて戦えば、何度戦っても危険はない)

歴史を変える突然変異の要素に、DNA(血)と人格(教養)の別設計という人物の存在がある。
こういう人物は必ず歴史の交差点に立って活躍する可能性がある。

これは全くの予言で実現しないかもしれないが、先頃即位したヨルダンのアブドラ国王もその1人と筆者は見ている。
筆者は彼が中東の政治に歴史的な成果をもたらすのではないかという密かな期待を持っている。
彼はヨルダン人(あのザルカウィの国で、全くのイスラム圏であります)のDNAを持った英国人だからである。
彼の母親は英国人で、一貫して英米で教育を受け、アラビア語以上に英語が得意である。彼は中身が英国人なので英国人との戦い方をよく心得ている可能性があ るのである。ということは、フサイン・マクマホン協定、バルフォア宣言以来の欧米のアラブ政策に英国人的(と言うと、アラビアのロレンスのようですが)くさびをを打つ戦い方ができるポテンシャルを持っているからである(昨年12月4週号のニューズウィークに早速論文を発表しています)。

同様の才能を持ってインドの独立を勝ち取ったのが、かのマハトマ・ガンジーである。
筆者はガンジーについて何も知らなかったが、1983年に第55回アカデミー賞を授賞した、リチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」を見て、ガン ジーはインド人のDNAを持った英国のジェントルマンであり、それゆえ、英国流の戦い方を英国に仕掛けてインド独立を成し遂げたことを知った(主演のベン・ キングズレーが本当にガンジーにそっくりでした)。
ガンジーは英国と戦うのに非暴力(スワラジ)と非服従(スワデジ)を提唱し、暴力を用いない平和的な手法でインドを植民地から解放したのである。
もし、インドの宗主国がアフリカの××国だったり、イスラムの××だったり、ピサロやコルテス時代のスペインだったりしたらどうなっていたであろうか?
おそらくガンジーは、すぐに殺されて独立運動どころか民衆を立ち上がらせることもできなかったであろう。
彼は大英帝国のジェントルマンを熟知していたがために、こういう戦い方ができたのである。自身が英国人であったからである。

日本にもこういう人物がいた。かの白洲次郎である。かれは日本人のDNAを持った完璧な英国貴族であった(詳しくは青柳恵介(著)「風の男 白洲次郎」を読んでください)。

それと同様の例が孫文である。
中国が清朝を打倒した革命が1911年の辛亥革命であるが、ここには2人の立役者がいた。1人が孫文、もう1人が袁世凱である。
袁世凱は孫文と共に辛亥革命を指揮したが、その方法は裏切りと権媒術数、諜報と謀略の限りを尽くしたもので、利や権力に走ることを目的として理念や思想は殆どなかった(最後は皇帝になろうと試みて失脚します)。極めてリアリストな人物であった。
ところが、孫文は日本で学び(東北大)、亡命し(中山家)、日本人の右翼や志士(宮崎滔天、頭山満、犬養毅、等と交流が深かった)の友人を数多く得て、自由民権運動や社会主義の影響を強く受けた三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)を革命のテーマとして掲げ、日本の明治維新の志士のような活躍をして革命政府のリーダーとして迎えられたのである。そういう意味では中国人のDNAをもった明治の志士ということができる。
同じ時代の袁世凱が典型的な中国人的生き方だとすれば、理念と理想を掲げて国や民族のために命をかけた孫文は極めて異質であると筆者は思う。
正義の使い方や志の表現(死の前年の大アジア主義の神戸での演説等を読むと、中国人ではなくて自由民権運動の志士のようです)が、壮士のようなのである。
私心を持たず命をかけて理想を求めるリーダーを辛亥革命は得たのである(実は日本人から袁世凱を見るととんでもない人物ですが、かれは典型的な中国人であります。孔健(著)「日本人は中国人を永遠に理解できない」を読むとよくわかります)。

サムスンの中興の祖である、李健煕会長もまた歴史の交差点に立った人物と言える(まだ実在するので歴史的評価は何十年後になると思いますが)。
サムスンを知らない人はいないと思うが、一応、老婆心ながら説明すると、現代グループと並ぶ韓国財閥三星グループの中核企業であった昔の三星電子である (李健煕の父親である、李秉喆の三星商会がその原点でもあります)。1969年に現在の水原(スウォン)に創業され、当時の三洋電機のテレビの技術供与を 受けながら家電メーカーとしてスタートした。現在では6.5兆円(2004年)の売上と75,000名の従業員を抱え、DRAM、SPAM、TFT- LCD、LDI、Flashメモリ、PCモニタ、VCR、TVで世界一のシェアを持ち、携帯電話でも世界第3位、海外生産比率90%以上のグローバル企業である。
筆者も一度行ったことがあるが、水原(スウォン)というところが発祥の地で(ちょうど松下発祥の地の大阪の門真のような場所です)要塞のようなセキュリ ティゲートをくぐると、工場のど真ん中に2つの高層タワー(現在は3つです。水原市のどこからでも見えるビルです)がそびえていて、このタワーがこの工場の中で最も重要な施設であることがよくわかる。このタワーこそサムスンの戦略的重要拠点、R&Dセンターなのである。
サムスンは現在世界17ヶ所にR&Dセンターを持ち、2004年の研究開発投資額は46億ドル(5,000億円弱)、研究者を2万数千人擁し、その中で2千数百人が博士号、8,000人が修士号という、日立製作所も真っ青になるような研究開発体制を敷いているのである。
これはR&Dに全くお金をかけず、欧米の製品をそっくりコピーして生産する中国企業とは全く戦略が異なる。日本の家電メーカーと同じ戦い方なのである。
実は李健煕は韓国人のDNAと日本人の教養を持った歴史の交差点に立った人物ではないかと筆者は思っている。孫文やガンジーと一緒である。
彼は2度日本に留学しており、1度目は1953年小学校5年生から中学1年までの3年間(杉並区立永福小学校、永福中学校)過ごしており、彼はその間に1,200~1,300本の日本の映画を観たそうだ。
2度目は1961年から4年間、父の李秉喆と同じ早稲田大学商学部に学んでいる(実は延世大学に進学が決まっていたそうですが)。彼は現在でもサムスングループの中で最も日本語が上手であると言われている。そして愛読書は山岡壮八の「徳川家康」である。だから日本人及び日本企業の戦い方を熟知している。
「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」である。それは父、李秉喆の戦略でもあった。
2002年サムスン電子がソニーの時価総額を上回ったとき、社内は沸き立っていたが、彼はソニーとの技術力の差に悩んでいた。
そこで数日後、グループ会社に次のような5項目の指針を伝えたそうだ。

会社の自慢をするな
取引先からゴルフの接待を受けるな
無理して賞を取ろうとするな
過大な宣伝はするな
公の席で口をつつしめ
(洪夏祥(著)「サムスン経営を築いた男  李健煕伝」より)。

現在サムスンは宣伝力と商品力で世界のマーケットを席捲している。
日本の製造業はポスコやサムスンのようにかつて技術を供与したアジアの製造業から追い抜かれようとしている。
これは今そこにある危機である(ただ、救いはモノづくりが米国企業と同じスタンスなので、長い“品質”との戦いでどうなるかは未知数です)。

ある大企業の立て直しのために外人の会長が就任し、その下でR&Dのストラテジーを指揮する人物に先日会ったが、彼は“売るものがない、新しい製品が開発できない”とうめいていた。

製造業は技術を知らない社長を2代続けて輩出すると左前になると筆者は思っている(現場を知らない警察キャリアが署長になるようなものです。事件は現場で起こっている訳です)。

歴史の交差点には必ずこうした突然変異的才能を持った人物が登場するのである。教育ママの作ったチンマリした日本のエリートにその力はない。

いま歴史を変える英雄が必要である。