【第44回】7人のオタク -理系vs文系の構図~SEの素質とは?

最近の大学の研究はミクロな狭い領域を重箱の隅をつつくようにひたすら掘り下げて、超狭小領域の専門化が進んでいるらしい。
これはオタクと同じで楽だからである。自分が限定した狭い領域をひたすら追い求めるのは楽で楽しい。好きなもの以外、一切やらなくていいからである。
よくこの業界を志望する学生から、「PCの知識は要りますか?」とか、「PCが好きなので志望しました」とか、PCオタクがエントリーしてPG→SEに成長すると想像するらしい。

昔、「7人のオタク」という映画があった。
これは誘拐された子供を救出するために7人のオタク(ミリタリー、格闘技、アイドル、フィギュア、無線、PC、凡人)がそれぞれの専門能力を出し合って活躍するという珍妙な映画である。
実はあるソフトウェア会社の社長がこれと同じことを試みて見事に失敗したのである。
要するに、極めて狭い分野のオタクを集めると、総合力のある大スキル集団が形成されると考え、オブジェクト指向、ネットワーク、暗号、Web、データベース、アプリケーションのそれぞれのオタクを集めたのである。

が、その相乗効果は全くなかった。ただのダメ社員の塊にしかならなかったのである。
なぜなら、もともとオタクは人並み以下のコミュニケーション能力しかもたない半端者なのである。劣等感の風から逃げまくって自分が唯一否定されない狭小な隘路に閉じこもっているだけの人間だからである。

日経新聞の10月24日のインタビュー領空侵犯で東大の西垣通教授がこういう発言をしてオタク嫌いを公言している。
「オタクの多くは若者だと思いますが、若い人の魅力は大志をもって目標に挑戦する精神にある。ところがオタクは自分の好きな狭い対象だけに固執して、他のものに一切興味を示さない。挑戦することなど最初から諦めている。そこが情けない」
理系、文系の分類も一種のオタク化である。この業界を目指す学生のよくある質問に、「僕は理系ではないのですが大丈夫でしょうか?」というのがある。
「では理系というのはどういう能力がある人ですか?」と訊ねると、
「数学ができる人」、「物理ができる人」、「化学ができる人」、または「国語が嫌いな人」、「歴史が不得意な人」、「文章が苦手な人」と答えが返ってくる。

SEの素養は論理的な思考力とそれを正確に伝える表現力が必要なので、システムエンジニアの必要な能力は「文章が書けること」、「コミュニケーション能力」、「論理的思考力、「英語力」である。これは理系も文系も関係ない。
そもそも、高校受験で教えている答えが1つしかない数学のテスト問題が解けたくらいで論理的思考力が身につくとは思えないし、小説の1つも書けないようなやつが国語の試験で高得点を得たからといって文章力があるとは思えない。
大体、ソフトウェアの世界で純粋数学の知識が必要な分野は、CADのプロダクトの10%、もしくは流体解析のような特殊解析ソフトの設計の1部だけで、経理システムや原価システム、生産管理システム、営業販売システムの構築に必要なのは基本的な足し算、引き算、掛算、割算の算数であって、物理や数学の知識など全く必要ないのである。
今時アポロニウスの円の公式を使って円をプロットするような仕事はない。

そもそも、なぜ文系を志望するかと聞くと、「数学が苦手だから」、「物理が嫌いだから」、「化学が解らないから」というような劣等感や苦手意識から逃げるために志望する人が多い。
これはその人に文系的能力があるということではなく、文系の方がより偏差値の高い大学に行けそうだということでしかない(確率の有利なほうにつくわけですな)。

そもそもこういう珍妙な分類は日本にしかないものである。
西洋では昔からディレッタントと言って、幅広い教養と知識を持った人間を尊重する。
大学でも数学と文学を同時に履修するということは日常茶飯事である。ダビンチやゲーテのような人物はヨ-ロッパの教養から云えば当たり前なのである。
数学も、物理も、歴史も、文学も、経済学も、語学も、化学も、宗教学も、すべてが人間が正しく人生を生き抜くためには必要欠くべからざる素養なのである。
それを受験勉強に合わせて片寄せする必要はない。

このことによって分かるのは、日本人の元々能力の高くない人々の間でオタク化が進んでいたということである。
要するに、劣等感から逃げまくって、やっと見つけた小さな空間というわけである。
実はこれは精神の問題である。自分を直視することのできない弱い人の特徴である。弱い人は自分のいかなる欠点も直視することができない。それ故、欠点が出そうな分野から逃避するのである。
そのさいはての流浪の結果、欠点が出そうもない小さな小さな領域の中に、まさに“ひきこもる”のがオタクなのである。
考えてみればこれまでの日本の大人は「わたしは文系なので数学はわかりません」とか「ぼくは理系なので歴史には疎いです」という類の発言を繰り返して、自らの無知蒙昧の言い訳に文系理系を利用してきたのである。

たかが18歳のときに受験戦争で生き抜くための分類がその後の当人の教養を規定するなどというナンセンスが日本では平気で容認されるわけである(こんなのおかしいですよね)。

これはオタクの原型である。

日本人は大学受験を通じてオタク化してきたのである。
そろそろ日本人も偏狭な専門指向をやめて最初から万能の天才を目指すべきである。
だいたい天才になろうと思わない人間が天才になれるはずがないのである。
万能になろうと思わない人間が万能になれるはずはないのである。
才能は偶然には開花しない。長い間の努力と研鑽によってのみ培われるのである。

エジソンが「天才とは1%の霊感と99%の努力である」とのたもうた。
凡人はこれを聞くと、「ほうそうか。エジソンの1%の霊感とはそんなにすごいものなんだ」と思うらしい。SEは論理的な思考力を駆使する商売なので、こう考える。
「1:99とは、ない(存在しない)ものとある(存在する)ものの差だ。努力を持続させるということしか方法はないということなのだな」

みなさん、文系理系を振り回して飲み屋で酔っ払ってる場合ではないですよ。
幅広い教養を身につけましょう。それが人生の羅針盤であり六分儀(セクスタント)となります。