【第39回】ヘミングウェイと開高健 -不良中年のススメ

筆者は昔から根拠のなき自信家で、その昔文学部にいた頃、自分は物を書くために生まれてきた人間だと本気で思っていた。即ち作家である。
その根拠のない自信は後々も続いて、女に貢いで学費を使い果たし、大学を学費滞納で抹籍され、生活のために全く畑違いのプログラマーになった時も、 「俺のような天才が小説を書く代わりにやるんだから、こんなもんは朝飯前にできる」と嘘ぶきながら、しかし影ではソフトウェア工学を猛勉強していた。
作家を辞めた理由は簡単で、文学界の新人賞に今から考えてもよく書けた中編小説を応募したのだが見事に落選してしまった。
当選作を後で見たら、これがあの田中康夫の「なんとなくクリスタル」であった。
あまりにバカバカしくなって、こんなもんと比較されるくらいならもう文学はやらない、日本の純文学は死んだ、と叫んで筆を折ったのである。 それでソフト屋さんになった。

その頃の小説の師匠と言えば、大学で語学の担任だった辻邦生先生ではなく、洋はヘミングウェイ、和では開高健であった。
文体、作風、テーマ、とことごとく真似したものである(筆者は今でも開高そっくりの文章が書けます)。
この二人の作家の共通点は圧倒的に男性に支持されている作家であるという点である。 女性でヘミングウェイのファンとか、開高のファンというのはあまり聞いたことがない。 実はこの2人の人生は、成年男子の理想の人生でもある。
男がやりたい生き方をこの2人は全て実践したのである。だから男性のファンが多い。 これと似た人物が洋のウィンストン・チャーチル、和の吉田茂でもある。

それではこの2人が何をしたか列記してみよう。

ヘミングウェイ  :  開高健
戦争に行く(ヨーロッパ戦争):戦争に行く(ベトナム)
一番愛した女を小説にする(武器よさらば) :一番愛した女を小説にする(夏の闇)
美食を愛す:美食を愛す
ワインに耽溺する(マルゴー:娘の名前もマルゴー) :ワインに耽溺する(ロマネコンティ他)
酒を飲む(マティーニ、モヒートス、パパドーブレ) :酒を飲む(開高マティーニ(赤坂のバー木かげでレシピが封印)ウィスキー)
3回結婚する:女優とつきあう、テレビにでる
ノーベル賞をもらう:芥川賞をもらう
ヨットに乗る
狩をする
スキーをする
世界で釣りをする
時々人生に呻吟する
パリに住む:アマゾンに住む
お洒落をする
海辺に住む(キーウェスト) :海辺に住む(茅ヶ崎)


そして最後の共通点は、最後は自殺した点である(開高は喉頭癌で亡くなったが、一切積極的な治療をしなかったので緩慢な自殺と言われている)。
男のロマンとか男の夢という言葉があるが、それは要するに人生に美学を持ち込むという行為なのである。 それはヘミングウェイや開高のように生きなくても可能である。

仕事と趣味の違いは何かと質問した人がいた。 その答えは、
「趣味はいつやっても楽しいが3日で飽きる。仕事はなかなか楽しくならないが飽きない。だから仕事は面白いのである」
もし、金儲けだけが仕事の目的であったならば、これ程苦痛なことはない。バグだと言われ人に頭を下げ、言った言わないで喧嘩をし、他人(部下)がやったトラブルを、部下の不始末は上司の不始末と言われて目が点になり、たまには鬱が入ったりもする。
お金は換算可能な対価というだけの話で目的ではないのである。 事実、年収や地位目指して生きる技術者など稀有なのではあるまいか?

先日、筆者の小学校以来の友人が相談に来た(年齢は40半ばであります)。進路の問題である。
彼は現在大手の会社から子会社に出向していて、そこから本社に戻れず別の子会社(業務は全く違う)に再出向になるという話である。
今の出向先で転籍して正社員になるか、新しい出向先で(時間があるので)スキルUpして独立を目指すか、それともこのまま独立するかで迷っていたらしい。
実はこれに対する答えは他人では出せない。 なぜなら、彼に残されたビジネスマン人生は長くても15年で、損だ、得だはもうない。
自分が納得する生き方を自分で選択すべきであると筆者はアドバイスした。
サラリーマンを長くやっていると、サラリーマン生活がずっと続くような気がして錯覚に陥るのだが、大学を出て定年するまで長くとも40年しか勤務しないのである。
後の40年は別の人生である。 よく型にはまったサラリーマンの科白に「家族が、家族が」というフレーズが連発されるが、子供が全員成人して自立し、家人も長年添い遂げて40年も経てば、家族は当人が思っているほどアットホームではない。従って干渉もしない。
だったら、ヘミングウェイや開高健のように生きたいように生きるべきである。
夢を追うべきである。
酒を飲み、美食をし、本を読み、一人で海外に冒険し、ゴルフ三昧、趣味三昧でよいのではないか。
年相応に年を取る必要はない。 もちろん孫の面倒を見ながら余生を送る必要もない。 老化まで人に定義されたのではたまったものではない。

もっともっとクリエイティブにブレークスルーしていいと筆者は考える。
英語では「オヤジ」のことを「Gray Hair」と言う。 日本語の「オヤジ」は若者から年長者への蔑称だが、英語の「Gray Hair」は尊称である。欧米では年を取ることはカッコいいことなのだ。
クラーク博士ではないが、「オジさんよ、大志を抱け、スタイリッシュに生きよう」である。

皆さん、ヘミングウェイと開高健を読んで、カッコ良く生きましょう。