【第32回】東京すし物語 その2 -赤貝と金の卵

赤貝は江戸前の寿司ネタの中でも最高級のアイテムである。
その昔はケミガワと呼ばれていた。ケミガワとは検見川のことで、千葉の稲毛の方の地名である。昭和30年代までは江戸前赤貝の最高級品はここで採れたものであった。
その後、公害問題や東京湾の工業化に伴う開発や汚染が進行して、検見川は赤貝が採れるような川ではなくなった。
検見川の赤貝を食べたことのある日本人は、今では70歳以上でないといないのではないだろうか?

イソップ物語にこういう話がある。

-金の卵を産むアヒル-
ある日、田舎者が自分の飼っているアヒルの巣に行くと、全体が黄色く輝いている卵を見つけました。
手にとってみると鉛のように重く、狐にだまされていると思い、遠くへ投げてしまおうかと考えましたが、待てよと思い直し、兎も角、家に持って帰ってよくみると、なんとそれは純金の卵だったのです。
それから毎朝、毎朝同じことが起こり、男はその卵を売って大金持ちになりました。金持ちになると欲が出て、アヒルが産む金を一度に手に入れようと考えました。
アヒルを殺してお腹を裂いてみましたが、結局何も見つかりません。

欲は行き着くところまで行くものです。

これを赤貝を例に現代風に解説してみよう。

-築地で金を産む赤貝-
ある日、Yという地方の田舎者が自分の家の近くの川に行って、黒くていっぱい毛の生えた貝を見つけました。
この貝は赤貝といって、東京の築地に持っていくと大層な高値で取り引きされました。何でも東京の高級な寿司屋で珍重されたそうです。
そこの赤貝は身の美しさが評判で、Y産といえば赤貝の代名詞といわれるほど有名になりました。この赤貝は、殻を指で押すとペコペコへこむ位柔らかいのが特徴でした。
男はその赤貝を築地に売って大金持ちになりました。
金持ちになると欲が出て、もっと儲かる方法はないかと考えました。
そこで男は中国から別の赤貝を輸入して川に一定期間置いておいて、しばらく経ってから国内産と偽って築地に売りました。
そのうち、その中国産と国産の赤貝が交配して品種が変わってしまいました。
いまではその赤貝は色もすっかり変わってしまい高級寿司屋でも使われなくなりました。

欲は行き着くところまでいくものです。

となる。

しじみの産地偽装の問題や、魚や鰻の天然物と養殖物の混在、K産ハマグリ等々、寿司ネタも国際化や環境汚染の問題が人々の知らないところで進行している。

実はハマグリで有名だったK産もこの赤貝と同じ外国産との交配によって品種がダメになってしまった産地である。

ちなみに、寿司屋のカウンターに登場する江戸前貝は、赤貝、ミル貝、平貝、鳥貝、アオヤギ、アワビ、等々で、他に北寄貝、カキ、バイ貝、ホタテ貝なども握りで登場する。

カキの握りは少し珍しいものであるが、小ぶりの天然ガキを〆て握りで食べると冬の味覚が口いっぱいに広がって美味である(四ツ谷すし匠で冬に食べられます)。

ミル貝は回転寿司でよく使われるカナダ産白ミルではなく、黒ミルと呼ばれる本ミル貝である。コリコリした食感を楽しむ春の味覚であるが、最近はほとんど採れないので超高級食材となってしまった。

平貝は別名タイラギと言って、うちわ位に大きな貝殻の中にコリコリした直径4cm位の貝柱が入っていて、その貝柱だけをネタに使う。もったいないが他は捨てて使わない。身もひもも赤貝のひものように握ったり、ひもきゅうにしたりはしない(美味しくないらしい)。それゆえ、筆者はタイラギを泰山鳴動ネズミ一匹と呼んでいるが、これは薄くスライスして磯辺焼にして食べると美味しい。
一見ホタテの貝柱のようであるが、食感はもっとコリコリしているのが特徴である。

とり貝は最近は春先から夏頃まで生で食べれるようになった。これは食感が良くて甘くて美味しい。生とり貝はなんといってもその風味である。ほんのりと潮の香りがする(時々産地によっては臭みが抜けないものもある)。

最近は北海道から直送するルートを持った寿司屋もあって、北寄貝も人気が高い。北寄貝はホタテと違い養殖ができないので、全て天然物で苫小牧が有名である。これも歯ざわりがコリコリしていて甘味があって美味しい。

夏の名物といえばアワビである。よくアワビととこぶしの違いが論争のタネになるが、アワビととこぶしの違いは大きさではない。小アワビより大きいとこぶし も存在するので大きさで決まらない。また、貝に穴が開いているかどうかもあまり関係ない。ポイントは貝の形である。とこぶしの貝殻が平べったいカーブなのに対して、アワビのカーブは手元でふっくらしている。これは両方を比べると良く判る。また、表面もアワビの方がゴツゴツしている。穴の数はアワビが4~5 個でとこぶしが6~7個でとこぶしのほうが多い。
アワビといえば夏、夏といえばアワビの水貝である。
黒澤明の食生活を書いた、黒澤和子の「黒澤明の食卓」に出てきたエピソードであるが、撮影中に黒澤明が助監督に「今夜は水貝が食いてーな」とつぶやいたそうである。その助監督は気を利かして都内の魚屋を片っ端から探したが、どこにも水貝は売っていなかった。ヘトヘトになって黒澤明に「監督、水貝は売ってませんでした」と報告して黒澤明に笑われたというエピソードがある。
水貝とはアワビの代表的な夏の料理で、アワビを水洗いにして角切りにし、海水と同じ濃度(即ち、器の中に海を再現するのです)の塩水に氷と一緒に浮かす。そこにキュウリ、ウド、ミョウガ、じゅん菜、さくらんぼを添える。
寿司屋に行けば必ず作ってくれるので、外房産の大きなアワビをネタケースで見つけたら注文してみるとよい。海をすすりながらアワビを踊り食いしているような感覚である。食感もコリコリして美味である。
因みに、良いアワビとは煮ても固くならず柔らかい。こればかりは素材の勝負である。

江戸前の代表的な仕事したネタが煮ハマグリ、煮アワビである。これは刺身より味が濃密になる。これにツメ(「煮詰める」のでツメという。穴子などにかける 甘ダレである)をつけて握ってもらうと江戸前の味の染みた濃密な貝の美味しさがじわじわと口の中に広がる(是非お試しを)。

寿司屋で貝がネタとしてよく使われる理由として、その生命力がある。魚と違って貝は水の中でなくとも生きているのである。よく、とり貝とか赤貝をまな板に叩きつけるのは、生きている貝だと収縮するからである。活きのよい貝ですよ、という寿司屋のパフォーマンスでもある。

最近デフレのせいか、何もかもがコストダウンの波にさらされているが、食の安全や品質と引き換えにコストダウンを追求すべきでないと筆者は考える。
いいもの、美味しいものは高いのである。それでよいのである。
サプライチェーンにもコストがかかるのである。
それを無理に安くしようとおもうと金の卵のようになってしまうのである。
日本の食材の伝統のためにも漁業関係者が金の卵を追いかけないよう、祈るばかりである。