【第30回】東京すし物語 その1 -すべてはコハダに始まる

鮨の発祥は、文政7年(1824年)華屋與兵衛という人が両国の回向院前に「與兵衛寿司」を開いたのが始まりと言われいている。この背景にあるのが江戸サプライチェーンの発達であった。
紀伊国屋文左ェ門が開いた太平洋航路(これを樽廻船といいます)によって上方から江戸へ、酒、醤油、酢(ミツカンの創業者尾張国中埜家の主人中野又左衛門 が粕酢を江戸に出荷したのが1810年頃のことである)が運ばれ、庶民の食卓で使用されるようになって、粕酢を使った酢飯、わさび、仕事をしたすし種(当時は鮮度管理の問題でマグロなどの遠洋のネタはなく近海江戸前のネタのみである)、煮きりによってトータライズされた現在の寿司の原型が完成した。
まだ200年も経っていない新しい文化である。

日本人であれば大抵の人がお寿司(鮨)を好物というであろう。

ところが、普通の日本人でちゃんとした寿司の味わい方を知っている人は少ないのではないだろうか?おにぎりと寿司は一見同じ部品表でできているようであるが、その賞味の仕方は全く違うのである。 寿司をつまむマナーも、手でつまむべきだ、箸は邪道だ、という議論はあるが、味わい方に関する記述が少ないのは意外だと筆者は思っている。

よく筆者は海外からのお客様を寿司屋に案内することが多いが、その時に必ずレクチャーするのが、“How to appreciate Sushi”である。方法は極めて簡単である。
口の中に入れたら何回も噛みこむのである。コハダなどの光モノは特に味が変化して美味しくなる。いい〆加減のコハダは嚥下する時に喉がキュッと鳴るくらいまで噛みこむと握りの本当の醍醐味がわかる。
外人にはいつも「it’s more delicious if you chew many times」とアドバイスする。
実は、おにぎりと寿司の決定的な違いはここにある。寿司の本当の味は噛みこまないと判らないのである。
ただし、喉がキュッと鳴るようなコハダには滅多に出会わない。〆加減が絶妙に難しいのである。
コハダという魚は本当に不思議な魚で、煮ても焼いても刺身でも天婦羅でも美味しくない珍しい魚である。寿司屋で〆た時しか美味にはならない。まさに「仕事をしないと美味しくならない」珍しい魚である。
それゆえ寿司屋では光モノの代表と呼ばれるし、その寿司屋を判定するのに重要なモノサシとなる。ワインでいうとボルドーワインのようなものである。
そのコハダの〆加減は、江戸前で、しかも東京の寿司屋でないと本物の喉が鳴るような代物に出会うことはできない。

よく地方の魚が美味しいところは寿司も美味しいと思われるかもしれないが、刺身が新鮮で美味しいのと、寿司が美味しいというのは全く別の次元の話で、シャリと一体化した設計は素材の良さだけでは実現できないのである。
ネタとシャリが渾然一体となって口の中で1つの食べ物のように統合化されて新しい味に変化するのである。それゆえ寿司は、一貫一貫をフルコースのメインのよ うに味わって噛みこまなければならない。仕事の評価は噛みこまないとわからないのである。その美味の代表選手がコハダである。

近年サプライチェーンが発達して、一年中日本の津々浦々からコハダが運ばれるようになったが、何と言っても最上は江戸前である。
皆さんは江戸前がそんなに美味しいのかと言うかもしれないが、東京湾のコハダは大ぶりでも皮目が柔らかい。これは他の産地と圧倒的に違うところである。これは別格である。

コハダは出世魚で、しんこ→コハダ→なかずみ→このしろ、と名称が変化する度に大きくなる魚であるが、通常は寿司屋ではこのしろは使わない。その理由は、 このしろくらい身が厚く大きくなると塩と酢を内部に染み込ませてしまうまでに全体が浸かり過ぎてしまって味がまわり過ぎる代物になるか、逆にまわらなくて浅すぎたものになってしまって仕事がきちんとできないからである。それゆえ、江戸前ではこのしろやなかずみは普通使用されない(実は名古屋で有名な某寿司屋 にて、立派なコハダと出された代物がこのしろで、これはかたくなる程味がまわっていました。もちろん美味しいわけがありません)。

今は夏なのでしんこの季節である。今年は6月の終わり頃から、三河、瀬戸内、九州としんこが出回り始め、8月になって江戸前のしんこが出荷されるように なった。このしんこは一番小さい赤ちゃんコハダで高価な上に手間が大変なので、寿司通は一年中で一番首を長くして待っているネタの1つとなっている。
しんこは大きさによって1貫の寿司を握るのに5尾分使用したり(5枚づけと呼ぶ)、3尾分(3枚づけ)使用したり、2尾分(2枚づけ)使用したりするため におろす手間は普通の仕込みの何倍もかかるし、薄くて小さいのでその塩加減や酢の加減が秒単位の難しさなのである。それゆえ、最近は寿司通の間で珍重される ようになった。

筆者はしんこを一種のお祝いの縁起物くらいに考えているので、しんこが美味しい=素晴らしい寿司屋とは思っていないが、その店の腕とプライドを賭けた勝負の一品であることには違いない。
実はしんことコハダは別の食べ物である。素材も味も香りも違う食べ物を同じと思ってはいけない。しんこは皮目が柔らかく、香りが良いので、サッパリした味 わいの美味しさであるし、よく仕事をしたコハダはそれこそ噛みこむ毎に脂が乗って味がしみて変化して喉が鳴る美味しさである。これは別の味わいである。
しんこはできそこないのような小魚なので安いのかと思えばさにあらず、今年の初物はキロ7万円で、7月の九州、三河でもキロ4万円、やっと最近キロ2万円~1万円台になったという代物である。
仮にキロ4万円のしんこを一貫(3枚づけ)で握ったとすると、原価は約1,200円、2貫で2,400円である。下手なマグロよりも高価であることは間違いない。従って店の方もそんな高価な値段は取れないので、普通のコハダと同じ値段でサービスしているのである。
それゆえ、縁起物のような存在であると筆者は考えているのである。

しんこはともかく、コハダの極上をいつも食べさせる店となると、それ程たくさんの店はない(都内に数軒ですかね)。もちろん、大阪、京都、名古屋、北海道にもほとんどないと筆者は思っている(ちなみに、地方は江戸前仕事に目利きのある客自体が少ないです)。

先日、ヨーロッパに出張した時、ミシュランのガイドブックを買って、1つ星のレストランに行ってみた(3つ星は予約が取れなかったため)。筆者はバターを半ポンド位使用する、古いフランス料理をイメージして行ったので、リコッタチーズ、パンナコッタ、ウニだとかありとあらゆる食材を使って出されるヌーベル・キュイジーヌの変化に非常に驚いたが、伝統のなさにも失望した。旨ければ何でも使うというカリフォルニア・キュイジーヌ風のドラスティックさなのである。それはそれでよいと思うが、振り返ってみれば東京の寿司屋がアボガドやキングサーモンのような新ネタをたくさん導入して有名になったという話を聞いたことがない。江戸前は江戸前の伝統的な素材から一歩も外れることなく勝負しているのである。伝統という点ではこちらの方に歩があると言わざるをえない。

鮨屋は一回行くだけで美味しいまずいの判定はできない。すくなくとも季節ごとに訪問して食べこまないとその店の本当のよさはわからない(鮨は非常に季節感のある食べ物なのです)。
夏の今頃だと、しんこ、しいか(墨烏賊の赤ちゃんポクポクした食感が美味)、星鰈(または眞子鰈)、こち、アイナメ、ホウボウ、あわび(水貝にして賞味してください)、梅雨穴子(梅雨時がいちばん美味です)などががおすすめである。
ぜひ皆さんご賞味あれ。

皆さん、たまには回転していない寿司屋に行って、ウニとか大トロだとかを頼まずにコハダを一貫じっくりと噛みこんでみてください。嚥下するときにグッとかキュッと喉が鳴ります。
江戸前のコハダが世界一の美味な食べ物であることがわかるはずです。これには巨万の富はかかりません。
今回はいろいろ寿司ネタのうんちくを傾けようと思ったのですが、コハダだけで紙面が終わってしまいました。この調子でいくと本一冊分になってしまうので、リクエストがあればまた書きます。ちゃんちゃん。