【第20回】能力とは何か? ~ウサギとカメの寓話より

弊社ではよく新入社員にウサギとカメの話しをする。
「もしもしカメよ、カメさんよ」で始まる童謡にもなった有名なイソップ寓話である。
この話しは、ウサギとカメが競争をして途中でウサギが居眠りをしてしまっている間にカメに追い抜かれて負けてしまうという話しである。
常識的な印象では、ウサギは圧倒的な俊足でもってカメの何百倍も速いということになっている。
だが、我々システムエンジニアは常識を論理で処理するので、この物語を単純に鵜呑みにしない。
冷静に論理的に考えると、この勝負にウサギの勝ち目は全くない。

イソップの巧妙な点は、この勝負を1回だけ行ったことである。これを100戦したらどうなったであろうか?
筆者は100回カメが勝利したと考える。なぜなら、こんな大事な勝負で怠けて眠るような不真面目なやつは必ず長い仕事のサイクルでサボるからだ。100回試合をしたら100回居眠りするであろう。それがウサギの行動様式であり、人生観だからだ。
2時間の試験時間内で居眠りしたり、サボったりする人間はいないが、PGなら1週間、SEなら1ヶ月の仕事のサイクルの中で、二日酔いになる奴は必ず二日酔いになるし、遅刻する人間は必ず遅刻するのである。
それが生活習慣だからだ。
だから、不真面目な人間が真面目を装っても、必ず馬脚をあらわすことになる。
人間の生活習慣は、クラスライブラリのクラスと同じなので、オブジェクトをいくつか生成している間に、必ず本性を顕すのである。
二重人格や、本音と建前の異なる人が酔って人格が豹変するのと同じ現象である。
ゆえに、ウサギは永遠にカメに勝てない。真面目は能力の一部なのである。

もう1つの観点で、健康面でもウサギはカメに勝てない。2時間の試験では、生きたり、病気になったり、死んだりしないので、健康問題など能力に全く関係ないと思われているが、カメは万年生きるのに比べて、ウサギは14ヶ月しか生きない。
同じ新入社員でこの2人が入社したら、カメは定年まで無事に勤め上げるが、ウサギは2年目で死亡するのである。毎年レースをやったら、毎年死ぬわけである。
これは100戦戦ったら、カメが必ず勝つ。

以上のような観点で考えると、ウサギがカメに勝てる要素は1つもないのである。

学校の試験という制度は、つくづく特殊な条件下での能力テストであると思う。
第一、学校の試験は自然界に滅多に存在しない答えが1つしか存在しない事象(普通は最適解が複数あります)をドーベルマンのように最速で発見するテクニックを磨く行為なのである。
勇気とか忍耐力、判断力や勤勉さ、健康や統率力や責任感のような、ビジネスの世界では必須の能力を全く見ないのである。
これでは有能な人材を発見することは難しい。

さらに不幸なことに、試験の成績を能力の全てと勘違いする人がいて、試験に出ないことは不要であると勝手に考えてしまう。これが受験戦争の最大の弊害である。
例えば、女性が結婚したとすると、料理は一生を通じた重要なスキル(技術)であるのだが、マヨラーに代表されるように、料理が全く出来なくて、しかも味音痴の若い女性が増殖している。この背景をたどると、「料理」は大学受験に出ないので必要がないと勝手に思い込んでいる節がある。
料理を大学受験で出さないのは、採点が面倒だからであって、決して不要とは言っていないのである。
試験に出ないもの、評価されないものを不要と思うのは、受験戦争の顕著な弊害である。
その代表に「教養」がある。教養なんかなくても大学には入れるからだ。ところが、教養が乏しいと人生をうまく渡る判断が出来ないのである。

同じ原理で、どうして今日のサラリーマンは卑怯で勇気がない人々が多くなってしまったかと言えば、新人から30歳で管理職になるまでの10年間は部下もい ないので、「勇気がある」「卑怯でない」というようなリーダーシップに必要な条件は評価対象からはずされているのだ。「勇気がある」「卑怯でない」は トムソーヤには必要だが、サラリーマンには不要なものだということではないのである。
誰も不要だとは言っていない。評価できないので評価していないだけの話しなのだ。
評価されないものを不要と考えて切り捨ててはならないのである。
管理職になって急にリーダーシップを研究してももう間に合わないのである。
ここにも受験戦争の弊害がある。

皆さん、玉磨かざれば光なしですぞ。
試験や評価に右往左往するのはやめましょう。
能力は試験でのみ測定されるものではありません。