【第18回】“能力”すべては勘違いから起こる悲劇 ~経験は能力か?~

児童虐待がなぜ起こるのかということを考えてみたところ、1つの仮説が浮かびあがった。
能力を勘違いして悲劇が起きたのではないか、と。

その能力を生殖能力と恋愛能力と仮に呼ぶことにしよう。
生殖能力とは、人間の肉体が成長して物理的肉体的に子供を作れる状態になったことを指す。これは五体満足に生まれさえすれば誰でも時間が経てば(歳を取れば)身につく能力である。
全ての人々はここで「結婚できるようになった」「恋愛できるようになった」と勘違いしてしまうのである。
人を好きになる感覚と人を愛す(または愛し尊敬し合う関係を築く)能力は一致しないことに皆気づいていない。
いっぱい好きになればいい恋愛につながると思い込んでいる節がある。
恋愛するためには恋愛能力という別の能力が精神に備わっていなければならない。

そもそも、破れ鍋に綴じ蓋とか、あばたもえくぼという片方が片方の欠点をカバーするような中途半端な人間関係の恋愛は上手くいかないと思っている。
自分自身で自分自身を幸せに出来るような生活基盤と精神と人格が確立されて、初めて他人と幸福を分かち合えるし、長い永続的な信頼関係が生まれるのである。これが恋愛能力が備わっているという状態である。
相手を理解する知性も教養もなくて、まともな相互理解や恋愛が成立するはずはないのである。
オタクやニートのコミュニケーション能力では、まともな会話すら成立しない。

恐らく児童虐待の背景にある直接の原因は貧困である。
だが、そうなった遠因には能力の勘違いが関わっているのではないかと思うのである。初めから恋愛能力も生活能力もないのに、生殖能力だけを駆使して子供を作ってしまうので、せっかく子供が出来たのに夫婦は幸せになれないのである。漠然と子供が出来れば幸せになれると考えている節がある。その結果、自由に遊びにも行けなくなり、面倒を見るのも大変で、しかも元々生活が困窮しているものだから子供に辛くあたることになるのである。出来てしまったからというの は、生殖能力を濫用した親のエゴである。

システムもSE能力の勘違いでよく破綻する。

10年もシステムの仕事をやっていると、経験が長いので(実は勤続年数が長いだけだが)、プロジェクトマネジメント能力や設計力が備わったと勘違いする人が多い。実はこれは生殖能力と同じで、何の訓練も努力もしていない状態なので、それで何かを遂行できる能力が備わったということではないのである。
日本のソフトハウスは役務型のビジネスモデルが多いので、元受SIerの各プロジェクトがオーバーフローした分のプログラム開発を人月で請け負う仕事をしている会社が大半である。従って、その会社の中にはプログラム開発の仕事しか存在しない。従業員が100人いようと、1,000人いようとそれは同じであ る。そういう仕事を10年も20年もやっていていも、設計スキルが上がるということはない。同じ現場で上級SEが基本設計か詳細設計をしていて、その Outputからプログラム開発をしていたとしても、設計スキルは全く身についていないのである。なぜなら、実際にやったこともないし、やった経験もないし、教育されたこともないし、学んだこともないからである。
(当たり前か!)

そういう人に面接で質問することがある。

Q.あなたはSEですよね?
A.はい、経験15年です。
Q.では、システム開発を、提案、プレゼン、要求定義(要件定義)、概要設計(外部設計)、
  基本設計(内部設計)、詳細設計(SPEC作成、プログラム仕様書作成)、プログラム開発、
  結合テスト、総合テスト、本番支援まで全て経験したことがありますか?
A.・・・・(無言)
Q.では、どこまで経験しましたか?
A.(言葉に詰まりながら)前の会社ではプログラム開発の仕事しかなかったので、
  他の仕事はやったことがありません。


当人も明快に自覚していないので、不幸といえば不幸なのだが、やったことのない仕事が自分に出来るか、出来ないかは、実はよく分からないのである。
それゆえ、出来るとも思えないし、出来ないとも言えないのである。
そういう素人が上流工程の仕事をやると、要求定義も概要設計も基本設計も、見よう見真似でドキュメントを作って、なんとなくスケジュール通りに進んでプログラムにも着手出来た、何だ、出来るじゃない!と、思っているとテストで無期限モグラ叩きのような不整合と修正と設計変更の山となり、やっと徹夜で動かしたら、今度はユーザー(お客様)から、仕様が違うと言われて、せっかく作ったプログラム群をまた1から設計し直して、お金は10倍、納期は 2倍に膨れ上がってしまい、徹夜を続けたSE氏は精根尽き果ててバンザイするのである。

SEの社会は職人ギルド社会なので、職歴や加齢によって自動的にスキルはUpしない。
学習と指導と訓練と実践のサイクルを地道に繰り返さなければならない。
一言でシステム設計という仕事を表現すると、バクテリアのような仕事である。
すなわち、どの工程においても複雑な事象をより単純な事象に分解するということを延々と繰り返す仕事なのである。その素養は仕事を科学する心にある(教科書として推奨するのは、ナドラーの「ワークデザイン」です)。
最後には、「在庫を減らす」とか、「原価を計算」するという仕事をコンピュータのCPUが理解出来るコマンド(機械語)にまで分解してシステムとして実現する仕事なのである。「ただ何となく」では出来ない仕事なのである。
これはゼロ戦対イーグルの関係である。
高度10,000フィートで戦うゼロ戦が10,000機あっても、高度30,000フィートで戦えるイーグル1機には勝てない(戦う空域が違うので両者は戦闘にならないのです)。

ゼロ戦とイーグルの差はあと20,000フィート足らずだが、その20,000フィートが大変なのである。これがプロとアマの差であり、PGとSEの差でもある。
じっと立っていると両方同じ人間(ホモサピエンス)なので同じ能力に見えるのだが、内容は実はずいぶん違うのである(経費も億単位で違います)。

会社に20年いるからといって素人を大プロジェクトのPLに指名したりしてはいけません。動かないコンピュータになってしまいます。
そこのところをお間違えなく。