【第13回】日本のITとモノマネ文化

日本人はイノベーションに尊敬を払わない。
尊敬を払わないから人の作ったオリジナルを何の罪悪感もなく真似するのである。これは日本に限らず、中国、韓国、ひいては東洋人全般に言えることではないだろうか?
中国に行っても韓国に行っても、欧米の一流ブランドのイミテーションが山のように溢れているし、中国ではソフトウェア産業が成り立たないくらいコピー模倣が横行している。
これはなぜであろうと考えてみた。

まず、これらの国々に共通することは、稲作農業文化圏であるということだ。
こう書くと、家業が農家でもないし生まれてから一度も農業をやったことがないのに我々は農耕民族だとこじつけるんだろう、と皆さんは思うであろう。
半分はそのとおりである。しかし我々は農業をやっていないくても農耕文化、農村的人間関係を受け継いでいるのである。

例えば「サザエさんの幸福」という命題がある。
サザエさんを人間の女性として初めて分析したのは、かの寺山修司であるが(有名な「家出のすすめ」のサザエさん悪妻説である)、サザエさんの人生には農耕民族特有の幸福観が生きているのである。
なぜなら、サザエさんの人生は永遠に変化がない。昨日も今日も多分明日も同じような生活が続くのである。
かつお君は相不変ボウズ頭の小学6年生だし、わかめちゃんは今時珍しいおかっぱ頭のままで、タラちゃんは幼児のまま成長せず、タマは不老不死の不思議な猫である。
ある時、「サザエさんをどう思いますか?」と、とあるマイホームパパに聞いてみたところ、「ほのぼのしていいんじゃない」という答えが返ってきた。
この変化のない人生を別の言葉に翻訳すると、「昨日は不幸ではなかった、今日も不幸ではない。明日も不幸ではないだろう、ということは、これは幸福なのか もしれない」「昨日は台風は来なかった。今日も津波は来なかった。明日も多分地震はないだろう、ということは不幸ではないことだ。不幸ではないということは、不幸の反対は幸福なので、幸福なのかもしれない」という風になる。
農業は変化を嫌う産業である。ゆえにこういう幸福観や人生観が人々を支配するのである。変化を嫌うし、変化をもたらす人間も疎んじる傾向にある。
別な話しで説明しよう。

(日本むかし話風に)
田吾作Aは村一番の働き者であったそうな。毎年同じ田を耕して村人の評判であったそうな。そこに田吾作Bという若者が現れて、今までと違う方法で倍の収穫を上げたそうな。田吾作Aは思ったそうな。Bがいるからオラは2番になったでねぇか。出る杭は打たれるぞ。「きじも鳴かずは撃たれまいだ。能あるタカは 爪を隠すだ、分かったか!オラより目立つでない!」そう言って田吾作AはBの足を引っ張ったとな。男の嫉妬は怖いということだそうな。くわばらくわばら。

ということになる。

農耕民族は基本的にチャレンジしないので、チャレンジするという行為を尊敬出来ないのである。
イノベーションも同じである。
誰も現状を変えようと思っていないので、そのために苦労した発明人の苦労や汗を理解出来ないのである。だから簡単に真似をするのだ。 また、自ら何も創造出来なくても痛くも痒くもない。真似して結果が同じであれば問題ないのだ。農業とはそういう技術である(最近、有機農法や水耕栽培、等々の革命的農業を推進している人々ももちろんいらっしゃるので全てが全て工夫がないとは言わないが)。

ただ、工業というのはもっと人工的なものなのでこの限りではない。
イノベーションは、種子であり生命線なのである。
日本でも立派な大手企業がコピー天国のように他社のイノベーションを真似して出している。特に、アプリケーションは精査するのが難しいので、キャッチコ ピーやパワーポイントや主な特徴であれば同じ文句を並べることが可能なる。そうなると、知名度がある大手が圧倒的にビジネスが有利になる。かくして、中小のイノベーションは模倣されて陳腐化してゆくのである。日本のITが世界に独創的な商品を輩出できない背景がここにある。かくして象とアリが同じK-1のリ ングで戦うことになるのである。
産業には必ずリーディング・カンパニーというリーダーがいて中小を踏み潰さないように共存してきた。これが日本に中小企業を輩出した懐の深さがある。
それが広大な産業の基盤を形成しているのである(ちなみに、筆者が考える日本最大の中小企業の一つが村田製作所です)。
IT業界が世界に独創性をもたらすこ とができない理由にイノベーションを担う中小企業がとても育ちにくいという風土がある。そこにきて業界を代表する企業の倫理観が曖昧なのである。横綱が横綱相撲を取っていなく、セコイ手で真似をする。しかも暖簾と力で対等のリングに上がる。これではイノベーションを目指す中小ベンチャーは生き残れない。
投資は中小ベンチャーで、回収はそれをコピーした大手ベンダーが担うのだから真のイノベーターが生き残るのは難しい。
かくして、田吾作Bは苦渋をなめることになる。
弊社のように基幹の仕様を日米でいくつもの特許で固めていてさえ、コピーされないという保障はないのである。

また、日本人に関しては、特に横並びの意識が強く、天才や大才能を認めない風潮がある。それらの人々の言い分はこうである。
「同じ人間で同じ時間だけ生きているんだから、そんなに違うはずはない」
では、その人達に質問してみよう。米国の大統領と禁固10年の囚人の1年間は同じ1年だからそんなに違わないか?
いや、大統領は5分のスピーチで何十億人の人々にメッセージを送れるが、囚人は誰にもアピールすることは出来ない。同じ職場にいても、生き様によって0対100くらいの差がつくのである。このことを我々は忘れてはならない。
イノベーションに対する尊敬を忘れた社会には必ず懲罰が下るのである。
その結果が今日のIT業界の植民地状態を生んでいる。
科学技術は、脱農村、脱安定。常に進歩と発展を求めて変化しなくてはならないのだ。日本のITはその面でとても深刻な鎖国状態にあると言わざるを得ない。
一時期の米国信仰は下火になったが、まだまだ「Give me ハイテク」の状態が続いているのだ。日本が米国のITの植民地になった今、これからどうやって独立国家として自立していくかは、脱モノマネ文化にかかっていると思うのである。
サムスンの中興の祖、李健熙は言った。「女房と子供以外は全て変えろ!」
現在のサムスンは社員10万のうち、R&Dが2万人で、そのR&Dのうち2千数百人が博士である。イノベーションは農耕民族ではなく、狩猟民族である証なのである。

日本の受験エリートは常に過去問題と参考書に守られて、自ら創造しなくともいい成績がとれるようになっていた。これこそ模倣のススメである。

だがビジネスはそうではない独創的な製品を常に開発してライバルよりもいつも一歩先を行かなければならない。我々が勝ち続けるためにはそれが重要である。

ECObjectsのイノベーションは「君子3日会わざれば刮目してこれを見よ」の名の下に日進月歩進化しております。
これからも卓越した独創的なソリューションを代理店お客様に提供し続けます(数ヶ月で新しい機能がリリースされているので皆さんチェックしててください)。

負ケラレマセン、勝ツマデハ!である。

今年もどうぞ、クラステクノロジーを宜しくお願い致します。